『お久しぶりです。ドクター。』
ホワイトボードに向かっていたタカハシは声をかけられて振り返った。
長身の男は片手を上げると、胸元に当てて小さく会釈した。
『ん?んん?』
タカハシは何か思い出したように左右に目玉を動かすと大きく目を見開いて笑った
。
『ミライ君か!』
『はい。』
ミライは屈託なく笑うとタカハシの差し出した手を両手で握る。
『大人になったな。あんなに小さかったのに。』
『はい、まだ三歳でしたから。ドクターもお変わりなく。』
『いいや・・・そうかそんなに経つのか。君が無事に健やかに育ってくれてよかった
。君のお母さん、エイコさんはご息災かな?』
『はい。老化で目がやられていますがね。』
『それは自然でいいことだよ。それはそうと・・・ミライ君は支給されたグラスは受
け取ったかい?』
『はい。今かけているのがそうです。なんだかポリス内でもやかましいので、フレ
ームが既存のものに似たのにしました。』
『・・・そうか・・・やはり反発が強いのだな。』
タカハシは肩を落とすと椅子に腰掛ける。
『やはりペテン師の言うことなど・・・という事なんだろうな。』
『ドクター・・・。』
ミライはタカハシの前に跪き、彼の手を握った。
『小学校での件で少し変わればいいです・・・ドクター・・・お話したいことがあります
。』
『うん、何かな?』
『今回の事件・・・小学校でしたよね?僕はその付近の聞き込みを行なっていたんで
すが、ペットの猿がいなくなったという話がありました。』
『ペットの猿?』
『ええ、けど家で飼育されているものではなく、見世物のペットの猿です。写真を
見せてもらいましたが小さな猿で赤ん坊くらいでしょうか・・・洋服を着せられてい
て。』
『ああ、よくある飼い主の趣味だな。』
『はい。それで昨日僕の端末に連絡が入りました。猿が見つかったというので今朝
確認をしてきました。少し汚れていましたが写真のとおり可愛い猿です。』
ミライはポケットから端末を取り出すとモニターに写真を出す。愛らしい猿の目は
真っ赤で指を赤ん坊のように吸っていた。
『ふふ、小さな赤ん坊だ。見つかってよかった・・・が・・・もしかしてそういうことか
?』
ミライは頷く。
『この猿は小さな子供のための見世物だそうです。知っていますか?この国のベス
トセラーになっている玩具。これです。』
ミライは端末のモニターを操作する、猿の写真から子供用の玩具に切り替わった。
『これはビニール製の人形です。足元にフックのようなものがあり、それを引っ張
ると簡単に服が足のつま先から頭のてっぺんまでずるりと捲れます。外側が愛らし
い少女、中は宇宙人というユニークなものです。』
タカハシはごくりと唾を飲む。
『猿は見世物の檻の中で子供たちから見られていました。子供達の中には猿に見せ
るために玩具を持ち込んでいたようです。この人形も持ち込まれていました。飼い
主が言うには、猿は子供が捲るのを何度も何度もせがんだそうです。さすがに子供
の物なので猿が手に取ることはありませんでしたが、じっと見ていたそうです。』
『・・・そうか・・・。動物も好奇心はある。』
『はい。ですから細胞研究所のほうへ、猿の毛と僕がおやつに持ち込んだ棒つき飴
の棒を出しておきました。検討違いかもしれませんが。』
『うん、ありがとう。これで一歩進んだかも知れない。』
タカハシの言葉にミライは笑う。
『お役に立ててよかった。僕はドクターを助けるためにここにいるんです。』
E国、ハーモニーヴィジョン研究所。
三歳になったばかりのミライは親戚の家に遊びに来た足でここへと来ていた。
母親エイコはミライに手を引かれて研究所内を見学している。
研究所は美しい建物でどこか教会を思わせる創りをしている。
『待って、ミライ。少し休憩しましょう。お母さん足が疲れてしまったわ。』
エイコが脇にある椅子に腰かけると、ミライもまた隣に座った。
『そうか。ごめんね、お母さん。』
『いいのよ。ねえ、ミライ・・・今日はどうしてここに来たかったの?』
『うーん、わかんない。』
ミライは足の付かない椅子でパタパタと足を漕ぐ。
『そうなのね。あ・・・誰かいらしたわ。』
エイコは声を抑えてミライの動く足にそっと手を触れた。
『こんにちは、ようこそ私の研究所へ。』
優しい穏やかな声にエイコとミライの顔が上がる。そこにいた男の顔に見覚えがあ
ったのかエイコが小さく声を上げる。
『ええと・・・タカハシ・・・さん。』
エイコの顔に不安を見てタカハシは苦笑した。
『・・・はい。でも噂されているような悪人では・・・ないのです。』
『あ!私ったら・・・失礼を。』
『いいえ・・・かまいません。坊や、こんにちは。』
ミライはタカハシの差し出した手を取るとはにかんだ、
『こんにちは。おじさんは・・・僕のことわかる?』
『うん?なんだろう・・・教えてくれる?』
ミライは小さな手を胸に当てて首を傾げる。
『ここがね・・・ギュッてなる時があるの。お母さんもお父さんもお爺ちゃんやお婆
ちゃん、おじちゃんやおばちゃんも分からないって。』
『うん・・・今はどうかな?僕の手に触れた時、どんな風だった?』
タカハシが微笑むとミライは唇を噛んで嬉しそうに笑った。