トオルは事件が起きた時のことをよく覚えていた。時々泣き出しそうになると、小さな拳を握って堪えるように俯いた。
『それで・・・君の前で犯人の男が黒い怪物になったのかい?』
『そうです。びっくりした・・・。』
その顔に嘘はなかった。トオルの聴取の前に塾にいた生存者たちの聴取も行なわれていた。その証言から犯人はトオルにかまっていた事が分かっている。
『何を話したのかな?』
その質問の意味にトオルは首を捻った。この少年はまだ幼い。ラザロの姉の息子が同じくらいだろうか、好奇心旺盛で善悪の判断もうまくつけられない頃だ。この国の子供たちは分からないが、きっと同じだろうと思われた。
『何も・・・。ラザロさん、僕はいつ帰れますか?』
泣き出しそうなトオルにラザロは手を伸ばす。柔らかい頬に触れると指で撫でた。
『大丈夫だ。ご両親は今こちらに向かっているよ。もうすぐ会える。頑張ったね。』
トオルは何度も頷き、耐え切れなくなって泣き出した。ラザロはそっとトオルを抱き寄せると天を仰ぐ。神よ、どうかご加護を。
事件現場のビルにカツラギはいた。規制テープを抜けて、検査員達に軽く会釈すると中へと進んでいく。学習塾の看板は血と引っかき傷で汚れていた。壊されたドアに、壁は小さな赤い手形がついている。長机の上には教科書とノートが残されており、壁の装飾からまだ幼い子供たちであることがわかった。
カツラギはゆっくりと確認をする。廊下を進むと小さな教室が並んでいる。破壊されたドア入り口の床には引き摺られた痕がついていた。教室の中央には子供一人分くらいの血だまりがカーペットに染みていた。
『カツラギさん。』
後ろから呼び止められて振り返る。検査員のマリエが青い顔をしていた。
『来ていたのか。』
『はい、缶詰はご免なので・・・けど、当初も思いましたけどここは地獄ですよ。』
『そうだな。何か分かったのか?』
マリエは持っていた資料を提示する。
『やっぱりここでもあの文様が出ましたね。黒い怪物が出たのは間違いないです。けど、今回は犯人が変身した?んですよね?』
『ああ・・・子供たちは皆そう言っている。』
『錯乱してるとか・・・ではないんですか?』
『多分な・・・ラザロたちが対応してくれている。』
うんと唸ってからマリエは眉をひそめた。
『・・・カツラギさん、信頼できるんでしょうか?』
『ラザロか?』
『正直チャーリーさんとは違います。チャーリーさんはもっとフランクで。』
カツラギは小さく頷く。
『分かっている。でも、チャーリーの腹心の部下だった男だ。小学校の猿の事件での経験もある。』
『ああ!あれですか。・・・カツラギさん。』
『何だ?』
『早く治まるといいですね。』
『ああ、そう願う。』
ポリス駐車場に黒塗りの車が数台止まる。黒服たちに囲まれた恰幅の良い男が署内へ進んでいく。職員達はそれに気付くと皆、平伏した。男は黒服を引き連れて鼻を鳴らすと対策本部に向かった。対策本部のドアを乱暴に開き、中にいたミライとタカハシは驚いた顔でそちらを見る。
『オオギ大臣。』
タカハシの呟きにオオギは煙草を銜えると火をつける。
『タカハシ君じゃないか、いや、今はドクタータカハシか?あちらの軍と一緒に働いているそうじゃないか、ご活躍だな。』
『・・・そちらも。』
オオギは部屋をぐるりと見渡すと鼻で笑った。
『それで何か成果が出たのかね?君の研究、ハーモニーヴィジョンだったか?』
俯いたタカハシを見てミライが前に出た。
『失礼ですがオオギ大臣、ポリスを監督されているあなたがどのようなご用件でしょうか?』
背筋を伸ばし、いかにも礼儀正しく見えたのかオオギはニヤリと笑う。
『下からクレームが来ている。街の状態も明らかに荒れている。ポリスは頭を抑えられているからな、軍に。』
『それについては市民からもクレームが出ています。ポリスからの暴行事件などもあり、軍が介入し対応していると聞いています。』
『市民など・・・犯罪者ばかりじゃないか。』
オオギは聞こえるか聞こえないか程度でぼやいた。小さく舌打ちをしてタカハシを睨む。
『それと・・・タカハシ君が配ったグラスだがな。クレームが来て回収した。』
『は?』
『強度が弱く怪我をした者が出たそうだ。自国産のグラスがあるから問題はない。』
タカハシの顔が青くなった。
『強度?そんなはずはない。あなた達は何を考えている!』
オオギはタカハシの顔を見ると心底嬉しそうに笑った。
『ハハハ、信用がないのだよ、君は。』
『また!同じことを繰り返すのか!』
タカハシの絶叫に近い言葉にオオギは声を上げて笑う。
『ああ、そうだった。君の娘の件があったな。あれはとてもお気の毒だった。今日はこれで失礼するよ。グラスの回収の件を伝えにきただけだ。あの忌々しい異人の大将もいないしな。では。』
オオギと黒服たちがドアの向こうに消えていくと、タカハシは両手で机を何度も叩いた。
『くそっ!くそっ!』
悔し涙に机に蹲りタカハシが泣いている。ミライは彼の肩を摩ると呟いた。
『ドクター・・・。』
タカハシの娘の事件について、ミライはすでに資料で確認していた。
200の事件と共にタカハシはハーモニーヴィジョンの研究を始める。その頃タカハシには三歳の娘がいた。妻と共に国の施設で200を抑えるためのグラスを開発、それは国中にばら撒かれ一旦は落ち着いた。しかし危険因子の回収と称して200の捕獲が始まり、それと同時に異常な研究も始まっていた。まだこの頃は各国が戦争の兆しがあったため、国防を強化する必要があったのだ。
200を兵士にと考えたがそれも難しく、それでは彼らの能力を移行するという考えから軍人たちに栄養剤と称して麻薬と200の血を混ぜて投入した。
その頃、タカハシの娘も200と発覚し研究施設で隔離という処置で免れていたが、能力の高さからタカハシが外出している時に娘を拉致。
娘は栄養剤として解体され、タカハシが気付いて救出に向かった時にはもう彼女の痕跡すら無かった。タカハシの妻はそれを見て発狂し、警備員に発砲されて死亡している。その後、タカハシを国外追放した。
ミライはタカハシの背中を撫でながら、オオギの去っていったドアを睨みつけた。彼がグラスを外すと、ドンッと音を立てる。ドアには殴ったような痕がついていた。