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第3話

「気安く手を握らないでくれる?」


 姉さんが逃げてしまわないよう、手を握っていたら冷たく言われてしまった。

 思っていた事を吐き出せたからか、顔色は少し良くなっているように見える。


「姉さんが逃げるかもしれないから無理」


「うわっ、彼女でも無い人にその言葉は引く。何だか寒気がしてきた」


「酷いっ」


 俺がふざけたように言うと、姉さんはクスクスと肩を揺らしている。女性には涙よりも笑顔の方がとても似合うな──

 なんて恥ずかしくて口には出せない事を思いつつ、姉さんの手を引いた。

 反対の手にはレジ袋を持っているが、中は卵で酷い有様だ。

 まあ姉さんの命と比べると比にならないくらいに安い。後でお義母さんに謝っておこう。


 ふと、人気ファッションブランドのショーケースを視界に捉えた。

 オシャレな服をマネキンが着ているが、それよりもガラスに写る、俺達2人の姿が気になった。

 姉さんは俺よりも身長が低い。よってカップルに見えるし、仲のいいにも見える。


 今は落ち着いているが、また考えすぎてしまうかもしれない。しっかりと様子を観察しておくとするか。


 空は茜色に染まり、手を繋ぐ2人分の影は長く伸びる。いつも以上に疲れがどっと溜まっている。

 一時はどうなるかと思ったが、姉さんの手が、今俺の手中にある事をとても幸せに思う。


 ◆


 家に帰ると、姉さんは「今日はごめんね、少し寝る」と言ってすぐに部屋に引っ込んで行った。

 お義母さんが帰ってくると、すぐに今日起きた出来事を話した。虐めの事から自殺の事まで。

 酷く驚いて、涙を流していた。そして、ありがとう、ありがとう。と何度も感謝を伝えてくれた。


「卵無いのしってたから買ってきたんだけど、割れちゃった。ごめんね」


 気恥ずかしくなり、少し話を逸らすことにした。


「何を言ってるのよ、そんな事どうでもいいわ。ところで隼人くんは怪我、してない?」


 なんて優しい人なんだ。

 血の繋がりのある娘が死にかけた時でも、俺の事まで心配してくれるのか。


「大丈夫だよ」


「良かったわ」


 お義母さんは安心したように、ホッと肩をなでおろす。

 それから少し間を開けて──


「……隼人くん。少しお願いがあるのだけど、いい?」


「うん、いいよ」


 内容は聞いていないが、大体想像はつく。


「瑠璃の虐めの事、任せてもいいかしら」


 やはりな。


「いいよ。任せて」


「ほんと?ありがとう。──頼んでおいてだけど、絶対に無茶はしないで。私、明日は休みだから瑠璃の事、しっかりと見守っておくから安心してね」


「ありがとう」


 お義母さんは本当は、俺に頼むよりも高校の先生に相談したいだろう。

 しかし先生から注意されれば、「お前、チクったな?」と虐めは更にヒートアップするのが目に見えて分かる。

 お義母さんに言われずとも、俺は自分の手でどうにかしようと考えていた。丁度良かったのだ。


 夕食はビーフシチューだった──牛肉たっぷりの。

 肉は噛みごたえがあり、更にシチューの味がいい塩梅で染みており、俺は新しい玩具を見つけた子供のようにはしゃぎながら全て平らげた。


 ◆


 次の日、昼休みの始まりを告げるチャイムと共に、教室を飛び出した。

 姉さんのクラス──3-6の教室に向かうため。

 今日、姉さんは欠席しているので、教室に行っても誰も俺の事を知らないだろう。気弱そうな人に圧をかけて、話を聞き出すとしよう──


 階段と長い廊下を進み、3-6の教室に着いた頃には精神にどっと疲れを感じた。

 高校3年生──それはもう大人と変わらないじゃないか……あまり敵は増やしたくないな。


「やらかした」


 つい口から言葉が零れてしまう──なぜなら教室の中を見渡してみると、半数以上の生徒が居なかったからだ。

 記憶を辿ると、今日は昼休みに委員会があった事を思い出した。それならこれだけ生徒が少なくてもおかしくない。


 これじゃあ得られる物は無いと思い、自分の教室へ引き返そうした時だった──


「──青羽みたいに虐められたくなかったら、私達の分のジュース買ってきて」


 突如廊下の奥から聞こえた話し声に、俺は足を止めて声のする方へ視線を向けた。

 そこには金髪で耳にはピアスを着けた、如何にもギャルのような生徒と取り巻きらしき生徒が2人が、おどおどとしていて気弱そうな生徒をパシっていた。

 パシりの現場は、入学して約2週間だと言うのに何度か目にした事があるので、あまり気にはならなかった。


 そんな事よりも俺が気になったのは、という苗字についてだ。話の内容からは姉さんを虐めていたのは、あの3人組だと言う事が分かった。

 あまりに見た目で判断するのは良くないが、彼女達は悪い事を企てていそうな姿をしている。


「──んじゃ、よろしくね。さーん」


 廊下の真ん中だと言うのに、少し大きい声でこんな事を言うだなんて、相当狂っているな。

 彼女達は高らかに笑いながら、教室に引っ込んで行った。


『金魚の糞』と呼ばれた生徒は、1人廊下の真ん中で地面を見ている。悔しいけれど、言い返せない──そういったところだろう。


「先輩、少しいいですか」


 俺はすかさず話しかける事にした。

 ビクリと肩を震わせてから、彼女はゆっくりと顔を上げた。目の端には透明の液体を浮かべている。


「な、なんですか……」


「青羽瑠璃って知ってます?」


 生気のない顔が更に青くなる。両手は僅かに震えているように見えた。


「し、知ってます。いつも私を悪くいう人から助けてくれてたんです……」


 何となくだが、この生徒が『金魚の糞』と揶揄われた理由が分かった気がする──となると姉さんが学校に来ないうちは、この生徒は嫌な思いをし続けるという訳だ。

 可哀想だな。今会ったばかりなのでそれ以上や、それ以下の事は何も思わなかった。


「俺は青羽瑠璃の弟、青羽隼人と言います。よろしくお願いします」


赤岡朱莉あかおかあかりです。よろしくお願いします」


「早速なんだけど、さっきの嫌な雰囲気の3人組が姉さんを虐めてるって事であってる?」


「は、はい。あの3人だけです」


 3人だけ──それなら割りと簡単に解決できるかもしらない。そう思った矢先、赤岡さんが続けて言った。


「金髪の人──斎藤朝陽さいとうあさひさんは、最近校内でも有名な男子生徒と付き合って、調子に乗っているんです。だから皆、斎藤さんに口出しできないのです」


 まさかの斎藤朝陽という奴は、他人の人気を使って姉さんを虐めてたのか。ますます許せない。これは地獄に落ちてもらわないと、こちらの気がすまない。


「先輩、ありがとうございます。姉さんが早く学校に通えるように頑張りますので、また何かあれば教えてください」


 最後に連絡先を(強引に)交換し、その場を去った。

 思わぬ幸運によって姉さんを虐めている人は見つけた。後はそいつを地獄に落とす策を練るだけ。


「待っていろよ、斎藤朝陽」


 小さく呟いて出た俺の声は、人知れず虚空に消えていった。

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