「柊先輩!」
俺は気づいた時には彼の名を呼んでいた。
だが街中で誰かに名前を呼ばれる事などよくある話では無い。よって先輩は、空耳かな、と言わんばりに一人首を傾げていた。
「ああ、もうっ──柊先輩!」
先程よりも声のボリュームを上げて言うと、今度は気づいてくれたようで、こちらに体を向けてくれた。
そして目が合う。
俺は夏鈴を列に残して、先輩の元へ駆け寄った。
近くで見ると、遠くから見た時と比べ物にならないくらい爽やかなイケメンだった。
話そうと思っても少し躊躇ってしまう──勇気を出すんだ、俺。先輩は悪い噂の無い、まさに絵にかいたような人だ。何も恐れる事は無い。
「お話があるのですがいいですか?」
「あはは、敬語は要らないよ。今は並んでるから、その後でいいなら話せるよ」
「ほんとですか。ありがとうございます」
良かった。俺はホッと肩をなでおろす。
俺は一度夏鈴の元へ戻り、クレープを2人分買ってから先輩と合流した。
「すぐ近くに公園があるからさ、そこでクレープを食べながら話そう」
「分かりました」
俺達は公園に移動し、石でできた階段に横並びで腰を下ろす。4月の後半だと言うのに蒸し暑く、動かなくても背中が汗ばむ。
「えと……青羽隼人くんだよね。瑠璃ちゃんの弟の」
「えっ……」
どうして俺の事を知っているんだ。今まで話した事が無いと思うのだが……
「どうして先輩が隼人の事を知ってるんですか?」
「それは瑠璃ちゃんから君の事を話に聞くからだよ。実は瑠璃ちゃんは俺の幼馴染みなんだよ」
「なるほど」
夏鈴はクレープを1口含みながら頷く。
姉さんが柊先輩と幼馴染みねぇ。本人の口から一度も聞いた事が無いな……というか俺が高校に入学する少し前から対応が冷たくて、あまり話してくれないんだよな。
おっと忘れていた。俺が聞きたかったのは──
「先輩ってこの頃、斎藤先輩と付き合いましたよね。先輩は斎藤先輩のどういった所に惹かれたのですか?」
「ああ、それを聞きたかったんだね」
先輩は微笑を浮かべながら言うと、嫌な顔ひとつ見せずに話してくれた。
「さっき瑠璃ちゃんと幼馴染みって言ったけれど、朝陽ちゃんも幼馴染みなんだ。そこで少しいざこざがあって、朝陽ちゃんがとても寂しそうにしていた事があったんだよ。俺は昔から彼女の明るい姿しか見てこなかったから、その表情が頭から離れずにいて、気づいた時には手を差し伸べていたんだ──」
その後は少し惚気混じりだった。
幼馴染みから恋人へ変わった時の気持ちや、斎藤朝陽の惹かれたところ。
どれも聞いていて胸焼けしそうだった。
話を聞いたからこそ分かる。柊先輩が虐めに関わっている可能性は低い。
先週は部活動の大会で1日も登校していないらしい。それなら虐めの事を知らないという事も十分ありえる。
「わざわざ話してくれてありがとうございます」
「いいよ──ところで君達は仲が良さそうだけど付き合っているの?」
「「……」」
先輩は幼馴染みを好きになった。しかし俺にはその感情がよく分からない。
俺にとって夏鈴との距離は男友達と変わらない。だから夏鈴と付き合う=男友達と付き合うのと同じ感覚だ。世の中には同性の人を好きになる事はあるらしいが、俺にはその感情を理解出来る日が来るとは思わないな。
「先輩達のように幼馴染みですが、付き合ってません」
「そうなんだ。2人、とても仲が良さそうだからお似合いだと思うんだけどな〜」
先輩は何を言っているんだ。
ふと隣へ視線を向けてみると、耳の先まで真っ赤に染めた夏鈴の姿があった。何故赤いのかは分からないが、今にも蒸気を発しそうだ。
「俺付き合うなら夏鈴みたいなのじゃなくて、もっとお淑やかで優しい人を選びます──痛いッ!!」
「夏鈴
夏鈴は俺を鋭く睨みながら、脇腹を強く摘んでくる。そこは敏感だからやめてくれ……
「ぎ、ギブだ……」
「許さない」
「ひいッ!痛い痛い痛い痛い!!」
これ以上摘まれると俺の脇腹の肉が引きちぎられてしまう。
「ご、ごめんなさいッ。夏鈴は可愛らしくて理想的な女性だよ。だから離して!」
「ふぅーん。都合のいい人」
少し頬を膨らましながらも、やっと俺の脇腹から手を離してくれた。離されてからも、まだヒリヒリする……
柊先輩の事など忘れていると、先輩は大きな声で笑いながら言った。
「あははっ!君達本当に仲が良いね。お互いに相手の事を想えていて羨ましいよ」
仲が良い事は否定しないが、お互い相手の事を想えている?俺はともかく夏鈴が俺の事を想ってくれるだなんて想像も出来ない。
「隼人。何か失礼な事を考えていない?」
「き、気のせいだと思うよ……」
どうして知られたくない事ほど気づいてくるんだ。
「そ、まあいいわ。隼人が失礼な事を考えているのはいつもの事だから」
「おいっ!夏鈴の方が失礼だろ!」
またしても先輩を忘れていると、先輩は「これからもそのまま仲良くするといいよ」と少し寂しそうに言ってから、去っていった。
夏鈴に対して腹が立っていたからか、先輩への反応が薄くなっていたかもしれない──今になって後悔してしまったがもう終わった話だ。仕方ないか。
俺が1歩引いて、お互いの頭を冷やしてから今日は解散にした。
結局夏鈴には相談に乗って貰わなかったが、結果的には収穫があった。姉さんの虐めに関わっているのは、斎藤朝陽とその取り巻きだという事。
あと少しだ、待ってて姉さん。
俺は心の中でそう呟き、帰路に着いた。