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第7話 焦燥する騎士


土埃が舞い、観客たちの熱狂的な声援がドーム状の闘技場に反響していた。


先程までの激しい攻防で抉れた地面に、グレンはゆっくりと、しかし確かな意志を込めて立ち上がった。


その肩は大きく上下し、額からは汗が滝のように流れ落ちている。



「アンタ……とんでもない動きするな……!まるで疾風だ」



掠れた声でグレンが絞り出す。その瞳には、驚愕と、それ以上に強い闘志が宿っていた。



「ふふ。あいにく魔法は使えなくてね。その代わり――肉体の動きやしなやかさ、反応速度、それらを誰よりも研ぎ澄ませてきたのさ」



私は、鞘に収めるにはまだ早いと判断し、剣の切っ先をわずかに下げただけの構えを解かずに微笑む。観客席からの興奮した声が、耳に届いていた。



「へへっ……なにが“魔法が使えない”だよ。あんたの動き、どう見ても魔法で肉体強化してなきゃ無理なレベルだぜ。そうでなきゃ、俺の剣をあんな紙一重で避け続けられるもんか」



グレンの声はまだ震えている。しかし、それは恐怖から来るものではない。強者と対峙した武人としての本能が、彼の全身を高揚させているのだ。



いわゆる武者震い――いい目をしている。



「ならば、“肉体魔法”とでも呼ぼうか。私が編み出し、私だけが使える、至高の魔法だ」



軽口を叩きながらも、私はグレンの一挙手一投足を見逃さない。


彼の指先が微かに動いた。次に来るのは――



「……さっきは不覚を取っちまったが! 今度こそ俺の番だァ!!」



グレンが吠えると同時に、その両の手のひらに揺らめく炎が宿った。


直径30センチほどの炎の塊が、周囲の空気を歪ませる。



私にいきなり飛びかからず、まずは魔法で牽制、あるいは足止めするつもりか。構えを見るに、騎士道を重んじる実直な男なのだろう。好感が持てる。



私は、意識を集中させた。



次の瞬間、グレンが右腕を振り抜き、灼熱の火球を放ってくる。


ゴウッ、と空気を焦がす音を立てて迫るそれに対し、私は地を強く蹴った。


火球の軌道を冷静に見極めながら、最短距離でそれをすり抜けるように右へと疾走する。



「なんだその速度……!?目で追うのがやっとだ……!でも、まだだァァァ!!」



彼は私の動きを捉えようと懸命に視線を動かし、そして見事に次の行動を予測してみせた。私の移動先を塞ぐように、時間差で放たれた第二の火球が、的確に私の正面へと飛んでくる。



だが、その程度で私の歩みを止められると思うな。私は迫りくる火球に対し、剣の腹でそれを横に弾き――



「はっ!」



言葉と共に、長剣を一閃。燃え盛る火球が、まるでボールのように弾かれ、闘技場の壁に激突して霧散した。


斬り払ったというより、叩き落とした、という方が正しいかもしれない。



「はぁ!? 火球を剣で弾くなんてアリかよッ!?」



グレンの口があんぐりと開く。


その驚愕が、ほんの一瞬ではあるが、致命的な隙を生んだ。



私はその好機を逃さなかった。



迷わず懐へ飛び込む。


グレンが慌てて振り下ろしてくる剣を、紙一重で身を捻って回避し――体重を乗せた右膝を、がら空きになったグレンの顔面へと鋭く叩き込んだ。



バギィッ!!



鈍い音が闘技場に響き渡り、観客席から悲鳴に近いどよめきが上がる。



「ぐっ…………!」



グレンは短い呻き声を上げると、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。



『これがS級の実力かァァァ!! 大方の予想通り、魔法を一切使わず、騎士団期待の星グレンを圧倒しているゥゥゥ!!! まさに戦場のエトワール! エレンの強さは底が知れない!!!』



実況者の興奮しきった声が、マイクを通して割れるように響き渡る。私の名が、歓声と共に闘技場を包み込んだ。



「くそっ……!」



焦燥の色を顔に浮かべながらも、グレンは鼻を押さえ、ふらつきながら立ち上がる。その瞳の光はまだ死んではいない。



「もう一度だッ!!」



闘志を再燃させたグレンが、先程よりも鋭い踏み込みで駆けてくる。


その剣閃は速く、重い。


しかし、今の彼には冷静さが欠けていた。私の剣は、その猛攻を一撃も喰らうことなく、まるで踊るように避け続ける。金属が空を切る甲高い音が、連続して鼓膜を打つ。


「くそ……くそっ! あたんねぇッ!!」


完全に、周囲の喧騒と自身の焦りに呑まれているな。動きが単調になっているぞ、グレン。


私は的確に相手の軸足を目掛けて足払いをかけた。不意を突かれたグレンの体勢が大きく崩れる。一瞬、宙に浮いた彼の腹部――がら空きのそこへ、私は再び容赦なく膝を叩き込んだ。


「がはっ!!」


今度は鳩尾だ。先程よりも低い、蛙が潰れたような悲鳴がグレンの口から漏れる。


完全に意識が飛びかけたその身体を狙い、私は追撃のために地を蹴った。


「はぁあっ!」


鋭く、強く。狙うは無防備な胴体。


横一文字に薙いだ剣が、空中でグレンの鎧を浅く切り裂いた。


「――!!」


声にならない叫びと共に、グレンが砂塵を上げて地面へと叩きつけられる。私は猫のようにしなやかに着地した。


「げほっ……げほっ……はぁ……はぁ……」


激しく咳き込み、肩で息をするグレン。だが、彼はまだ諦めていなかった。ゆっくりと、しかし確実に立ち上がろうとしている。その姿に、観客席からは驚嘆の声と、彼を応援する声が入り混じって聞こえてくる。


「……マジで……ヤベェな、あんた…。」


ぜえぜえと荒い息を吐きながらも、グレンは私を真っ直ぐに見据える。その目には、もはや焦りはない。ただ、純粋なまでの強者への畏敬と、己の未熟さへの悔しさが滲んでいた。


「お褒めに預かり光栄だ。だが――君も、なかなか優秀な騎士だと思うぞ。その若さで、あれだけの剣技と魔法の使い手はそうはいない」


静かに、しかしはっきりと届くように言葉を投げる。これは、単なる慰めや励ましではない。彼がもう一段階上へ進むための、“次の一手”へと繋がる、私からのささやかな導きだ。


「焦りを捨てろ、グレン。今この闘技場にいるのは、私とお前だけだ。観客の声援も、野次も、期待も、重圧も、全て斬り捨てて構わん」


私の言葉に、グレンの瞳が微かに揺れた。だが、それは迷いから来るものではない。何かを掴みかけている者の揺らぎだ。


「お前が真に向き合うべきなのは、喧騒ではない。目の前の私だ。私の剣、私の動き、私の呼吸、その全てを感じ取れ」


その瞬間、グレンの目の色が変わった。まるで憑き物が落ちたかのように、澄み切った輝き。その奥に――鋭さと覚悟の光が宿る。


「……なるほどな。あんたの言う通りだ。俺は周りが見えすぎていた。……あんたを……一人の剣士としてリスペクトするよ。だから見せる、俺の全力を!」


グレンは深く息を吸い込み、吐き出す。そして、残った魔力を全て右腕に持つ剣へと注ぎ込んだ。剣身が真紅に染まり、炎が竜巻のように渦巻く。今までとは桁が違う魔力量だ。闘技場全体の温度が数度上がったかのように感じる。


「俺の必殺技……騎士団長直伝、その名も『紅蓮剣だ』!!受けてみろォォォ!!」


縦に、横に、そして斜めに、烈火のような炎の斬撃が剣の動きに合わせて迸る。名を冠した必殺の一撃――確かに強力だ。並の相手なら、その威圧感だけで身動きが取れなくなるだろう。


だが、どんな大技にも、構えから発動までには僅かな隙が生まれるものだ。そして、私にはそれが見えている。


振りかぶる――その一瞬の静止。


私は、彼の剣の柄(つか)頭の部分を正確に狙い――自分の剣の切っ先を、雷光の如き速さで叩きつけた。


カキィィンッ!!


甲高い金属音が響き渡り、火花が散る。


「っ!?」


グレンの目が見開かれる。必殺の一撃を放つ寸前、その手から伝わる衝撃に、彼の剣が宙を舞った。炎は行き場を失い、虚空に霧散する。


「ま、マジかよ……こんな……こんな破り方が……!」


その驚きと絶望が入り混じった表情に、私は間髪入れずに最後の一撃を放つべく踏み込んだ。


「――ふっ」


短い呼気と共に、私の剣が袈裟に斬り下ろされる。それは彼の身体ではなく、彼が身に付けていた防御魔法によって生成された透明な鎧を狙ったもの。


パキィィィィィンンンッ!!


ガラスが砕け散るような甲高い音と共に、透明な鎧が木っ端微塵に砕け散った。


その瞬間、あれほど騒がしかった会場が一瞬にして静まり返った。まるで時が止まったかのように。


そして――次の瞬間。


「エレーーーン!! エレーーーン!!」


「すげぇ……! なんて強さだ!」


「あの魔法の剣をあんな風に破るなんて……!」


「何者なんだあの女剣士……! 」


嵐のような大歓声が、闘技場全体を揺るがすほどに巻き起こる。勝利を確信した私は、ゆっくりと剣を鞘に納め、静かに息を吐いた。


そして、まだ地に膝をついたまま呆然としているグレンに歩み寄る。


彼は、砕け散った鎧の破片を見つめていたが、やがて顔を上げ、私を見て――ふっと、憑き物が落ちたように笑った。


「ハハ……ハハハ! 完敗だよ。なんつー強さだ……手も足も出なかった。これが……世界か」


その笑顔は、悔しさよりも清々しさに満ちていた。


「いい剣だったよ、グレン。特に最後の紅蓮剣、見事な気迫だった」


私は彼に手を差し出す。


彼は、少し驚いたように私の手と顔を交互に見たが、すぐにその意図を理解し、力強く握り返してきた。


「あんたに勝つために、また剣、磨いてくるよ。次はもっと、あんたをヒヤッとさせてみせる」


その言葉に嘘はないだろう。彼の瞳は、新たな目標を見つけた狩人のように輝いている。


「ふふ。楽しみにしているよ。次はもっと楽しませてくれよ、グレン」


引き上げたその手の温もりが、確かに“絆”へと変わっていくのを感じた。ライバルとして、そしていつかは友として。


私は、万雷の拍手と歓声が降り注ぐ観客席を一瞥する。


揺れる空気。その興奮の中心に、自分が立っている。不思議な高揚感があった。


(“ちょうどいい”試合だった。これで私の実力は十分に示せただろう)


私は観客に向かって静かに一礼し、闘技場を後にした。


──まだ、戦いの幕は開いたばかりだ。私の本当の目的を果たすための戦いは、ここから始まるのだから。


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