勝海舟は、目の前に広がる波しぶきを静かに見つめていた。遠くに見えるメキシコの海岸線は、まだうっすらと霞がかかり、海と陸の境界が曖昧に揺れている。彼の瞳には冷徹な判断力と、揺るぎない自信が宿っていた。全軍を指揮する立場にある者は、どんな時でも冷静でなくてはならない。焦りや恐怖が兵士たちに伝われば、士気は一瞬にして崩壊する。
彼は、かつて黒船来航の際に培った知識と経験を、この戦いにすべて注ぎ込んでいた。敵艦隊は数で勝っているが、戦術で勝る者が最終的な勝者となる――その信念が勝海舟を突き動かしていた。
「大砲用意! 撃て!」
鋭い号令とともに、大砲が咆哮を上げた。轟音とともに火花が散り、煙が白い雲のように立ち上る。砲弾は空を切り裂き、次々と敵艦へと降り注いだ。しかし、敵艦隊の規模は圧倒的だった。砲撃が命中しても、すぐに別の船が前に出てくる。まるで終わりのない波のように、敵が押し寄せてくる。
勝海舟はその光景を冷静に見つめ、眉一つ動かさなかった。むしろ、この圧倒的な物量こそが、彼の作戦にとっては必要な要素だった。
「第一陣、前進用意! 敵艦隊に切り込め!」
鋼鉄の船体が波を切り裂き、3隻の軍艦が一直線に敵陣へと突き進んでいった。敵の砲火が激しさを増し、轟音が空気を震わせる。視界が火薬の煙と水しぶきで曇る中、突撃した軍艦は次々と炎に包まれた。しかし、その船はもともと無人の突撃艦だった。数人の操縦士はすでに脱出し、小型ボートで安全な場所へと逃れている。犠牲は最小限に抑え、敵に大打撃を与える。それが勝海舟の狙いだった。
爆発の閃光が海面を照らし、巨大な水柱が次々と立ち上る。敵艦隊は突如として現れた無人艦の猛攻に混乱し、防御の陣形が一瞬崩れた。勝海舟はその瞬間を見逃さなかった。彼はすぐに次の命令を下した。
「全軍、後退開始! 敵を引き付けろ! けん制に程よく大砲を撃て。無駄遣いはするなよ!」
号令とともに、大日本帝国海軍の艦隊が静かに後退を始めた。兵士たちは慌てることなく、勝海舟の命令に従って正確に動いた。敵艦は、こちらの動きを見極めようと様子をうかがっている。追撃してくる様子はない。勝海舟は静かに頷いた。計算通りだ――敵の注意を引き付け、時間を稼ぐ。それが陽動作戦の要だった。
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数時間後、空は夕焼けに染まり、海面が赤く照らされていた。メキシコ北部の沿岸から、もくもくと黒煙が上がるのが確認できた。その煙は、陸上部隊が都市を陥落させた証だった。
「勝将軍、わが軍がメキシコの都市を陥落させた模様です!」
報告を受けた勝海舟は、深く息を吐いた。陽動作戦は見事に成功した。彼が率いる海軍が本体と見せかけ、その間に陸軍が南下し、敵の拠点を制圧する。手柄を西郷隆盛に譲るのは癪に障るが、国のためだ。彼は自らの功績を誇るよりも、祖国の勝利を優先する男だった。
さらに東方では、坂本龍馬が率いる別働隊がパナマ海峡を抜け、メキシコ東部で戦果を上げているはずだ。龍馬の活躍を想像し、勝海舟の口元にはわずかな笑みが浮かんだ。彼は、自らの後進たちが成長することに喜びを感じていた。戦場は教科書にはない生きた教訓を与える。実戦でしか得られない経験が、若き海軍士官たちを成長させるのだ。
彼は遠くの海を見つめながら、次の戦いに思いを馳せた。北米、メキシコ、インドネシア――これらの地を手中に収めた今、大日本帝国の勢力はさらに広がりつつある。次はどこを攻めるべきか。それは、伊藤博文に決めさせればいい。だが、勝海舟は密かに願っていた。次も海戦であってほしいと。海こそが、彼の戦場であり、彼の誇りだった。
大海原に沈む夕陽が、勝海舟の鋭い眼光を赤く染めていた。その眼差しは、次なる勝利をすでに見据えていた。