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【伊藤博文】主人に反抗する奴にはおしおきを

 アメリカ東部に芽吹いた反乱の報せが耳に届いた瞬間、伊藤博文の脳裏は熱を帯びた怒りで燃え上がった。まるで黒い焔が心臓を包み込み、その鼓動は不規則に早鐘を打った。立て続けに施行した復興政策、経済強化策──すべてが綿密に計算され、未来の繁栄へと繋がるはずだった。なのに、突然の反逆とは何たる愚行! 彼の中に湧き出す激情は、冷徹な理性という薄氷を今にも溶かしてしまいそうだった。



 硬い木製の机に指先が激しく叩きつけられ、乾いた音が部屋に響き渡る。その音はあまりに鋭く、まるで自らの苛立ちを切り裂くかのようだった。しかし、伊藤は一瞬目を閉じ、深く息を吸い込んだ。落ち着け、怒りに飲まれてはならない。何度も心に刻んだ冷静さが、彼を無理矢理に平静へと引き戻す。



「心配することはない……」低い声が静かに部屋に染み渡る。自らに言い聞かせるように、そしてそこにいた側近たちに対しても、恐れを抱かぬようにと語りかけるように。



 飛行船による爆撃──その手段が、これまでどれほどの成果を上げてきたことか。高高度から降り注ぐダイナマイトの猛威は、反逆者たちの士気を粉々に砕き、跡形もなく灰にしてきた。反乱は一瞬の狼煙にすぎない。すぐに灰燼と帰すだろう。自らの計画の正しさを信じ、伊藤は冷徹な視線を側近に向けた。



「西郷に伝えろ。いつも通りの戦い方で構わん。手加減無用だ」



 その命令が終わると同時に、彼の拳が壁を激しく叩いた。鈍い音が重苦しい空気を震わせ、側近たちの背筋に冷たい汗が走る。伊藤の目には、もはや容赦という言葉は存在しなかった。反逆者たちを根絶やしにし、再び二度と立ち上がれないように徹底的に叩き潰す──それだけが今の彼の目的だった。


**


 だが、時間が過ぎても報告は芳しくない。新聞は依然として楽観的な見出しを掲げ、「反乱鎮圧は時間の問題」と大々的に報じていた。だが、その虚飾の裏には冷たい現実が横たわっている。現場からの真の情報を知る伊藤にとって、その紙面の文字は薄っぺらな嘘でしかなかった。



 苛立ちを押し殺しながらも、伊藤の胸中には疑念が渦巻く。なぜ、前回と同じ作戦が今回は功を奏さないのか。飛行船からの爆撃は、過去の戦いでは無敵の威力を誇ったはずだった。だが、今回は違う。爆発の報せは届けど、戦場の静寂が予想よりも早く戻ってくる。反乱軍の抵抗は予想以上に組織化され、恐ろしいほどに統率が取れている。



 「何かがおかしい……」



 彼は鋭い目を細め、机上に広げた戦況地図に目を走らせる。矢印とマークが複雑に交差するその地図は、まるで謎の迷宮だ。反乱はただの暴動ではない。その裏には、もっと深い何かが潜んでいる──そう確信せざるを得なかった。



 さらに悪いことに、西郷隆盛との連絡が途絶えた。西郷が沈黙するなど考えられない事態だった。彼はどんな絶望的な状況でも冷静さを保ち、適切な判断を下す男だ。その彼からの報告がないということは、単なる通信障害では済まされない何かが起きている証拠だ。



 「現場を直接見てこい!」



 伊藤の鋭い命令が、執務室に冷たく響く。命じられた側近は唖然とし、その顔から血の気が引いていく。



 「戦場へ……直接、ですか?」



 声は震え、目は恐怖に揺れていた。しかし伊藤は一歩も引かない。その目には国家の未来を背負う覚悟と、反逆者への怒りが宿っていた。



「お前は俺の右腕だ。そのくらいできなくてどうする!」



 冷徹な一喝が、部屋の温度をさらに下げた。側近は震える足で立ち上がり、絶望的な表情を浮かべながら部屋を飛び出していく。その後ろ姿を見送りながら、伊藤は深いため息をついた。



「何もかもが思い通りには進まないものだな……」



 彼は再び地図を見つめ、反乱の影に潜む真実を暴こうと鋭い視線を注いだ。暗雲はさらに濃く、未来の戦いの厳しさを予感させる。それでも伊藤博文は、冷静と激情を併せ持ち、国家のために次なる一手を考え続ける。その目には、冷たい光が宿っていた。

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