伊藤博文は執務室の大きな窓から、遠くに広がる東京の街並みを見下ろしていた。近代化の波が押し寄せ、レンガ造りの建物や、蒸気機関車の煙が空に細い筋を描いている。日本がここまで成長したのは、彼らの力によるものだ――そう思うと、自然と胸が高鳴った。だが、その高揚感の裏には、焦燥感と野心が渦巻いていた。
「北中米、インド、インドネシア、オーストラリア、そして中国……」
指で地図をなぞりながら、伊藤は征服した領土を順に思い返す。もはやアジア全体は大日本帝国のものとなった。あとは、南アメリカの広大な大地を手中に収めれば、世界の大部分を掌握したも同然だ。しかし、その野望を成し遂げるためには、さらなる一手が必要だった。
空は鈍色に曇り、遠雷がかすかに響いた。 まるで嵐が近づいているように、世界の情勢も一触即発の緊張をはらんでいる。イギリスの没落、フランスの台頭、そして南アメリカの未だ手付かずの資源――その全てが、大日本帝国の未来を決定づける鍵となる。
伊藤は執務机に戻ると、椅子に腰掛け、深く息を吐いた。考えるべきことが山ほどある。経済の再建、兵器の開発、そして外交戦略。これらを一つでも誤れば、せっかく築き上げた帝国の基盤が崩れ去るかもしれない。
「大久保を呼べ」
その一言で、部屋は一瞬にして緊張に包まれた。側近が素早く部屋を出ていき、数分後、大久保利通が姿を現した。彼の表情には、いつもの冷静さと共に、微かな疲労がにじんでいる。経済を支えるための奮闘が、その顔に刻まれていた。
「それで、どうなんだ? 経済を立て直す作戦はあるか?」
伊藤の言葉は鋭く、部屋の空気を切り裂いた。大久保は眉をひそめ、苦悩の表情を浮かべた。
「これは困った……」と大久保は重い口を開く。「今の状態で南アメリカに進出するとなると、資金繰りが厳しい。南アメリカをフランスと分割し、我が国が手にした領地に金鉱などの資源があることに賭けるしかありません」
彼の声には、確信よりも諦念が混じっている。運に頼る――それは伊藤にとって最も避けたい選択肢だった。
伊藤は指で机をトントンと叩きながら考え込む。彼の瞳は冷たく光り、どこか遠くを見つめているようだった。やがて、邪悪とも言える笑みが口元に浮かんだ。
「例えばだが、新兵器を開発して、我が国がフランスよりも戦果を挙げたらどうだ? それなら、分け前を増やせるだろう。金鉱などの運任せよりも、確実に領土を広げたほうがいい」
大久保はため息をついた。現実の厳しさを知る彼には、その計画がいかに危ういかが分かっていた。
「しかし、新兵器の開発には先行投資が必要です。もし、期待通りの成果が出なければ――」
「それは心配ない」伊藤は言葉を遮った。「アメリカのライト兄弟が『飛行機』を発明した。飛行船よりも小回りが利き、空からの攻撃がより効果的になる。もし失敗しても、フランスを裏切ればいい。それで領土を増やせばいいだけだ」
窓の外で雷鳴が轟き、暗雲が空を覆った。 まるで世界が伊藤の野心を映し出しているかのようだ。彼の瞳には冷酷な光が宿り、その笑みは帝国の未来を支配する者の自信に満ちていた。
「どっちに転んでもいい。大日本帝国さえ栄えればな」
伊藤博文の声は、部屋の隅々まで響き渡った。嵐が訪れようとしているのに、彼の心には恐れはなかった。彼が見据えるのは、支配と栄光の未来だけだった。