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古生物学者 福井恭一の場合⑥

 翌朝、薄曇りの空の下、福井と柿沼は静かな役所の玄関前に立っていた。



 彼らの前に現れたのは、背筋をぴんと伸ばした一人の男だった。黒い詰襟の官服に身を包み、頬はこわばり、唇は一本の線を描いている。彼の姿はまるで機械のように無機質で、そこに人間味はほとんど感じられない。



「西本と申します」――彼は短く名乗ると、その後はぴたりと口を閉ざした。彼の声には温度がなく、感情の波が一切感じられない。まるで必要最低限の情報だけを吐き出す自動人形のようだった。



 福井はそんな西本の態度を一瞥し、内心ため息をついた。彼の鋭い観察眼は、この男が「仕事」以外の言葉を口にしないであろうことを瞬時に見抜いた。



「どうやら、仕事以外のことを話す気はなさそうだな」



 福井は肩を軽くすくめ、苦笑しながら柿沼に耳打ちする。彼の声には、諦めと共に、どこか挑むような好奇心も混じっていた。こうした無愛想な役人と旅をするのは、決して楽ではないが、それもまた新たな刺激と受け取るのが福井の性分だった。



 柿沼は隣で目を細め、抑えた声でぼやく。



「これは堅苦しい旅になりそうだな」



 西本はその言葉に反応したのか、わずかに眉を動かした。しかし、その動きは石に滴る水滴ほどの変化で、反論や訂正と呼べるものではない。否定しないということは、つまり認めたも同然だ。柿沼の言葉の通り、これから始まる旅は、会話の少ない無味乾燥なものになるだろう。



 三人の間に微妙な沈黙が広がった。福井はその沈黙に構うことなく、足元の地面を見つめながら考え込む。旅の目的、恐竜の化石、そしてダイナマイトを持ち込もうとする違法な発掘者たち――すべてが頭の中で渦を巻いている。



 西本の無表情は、職務に忠実であることの証だろう。彼がどれほど冷たく見えようと、きっと現地での任務はしっかりと果たすに違いない。だが、それでも柿沼の言う通り、この旅に彩りを添えるような雑談や笑いは期待できそうになかった。



 遠くで汽笛が鳴り響き、出発の時が近づいていることを告げた。曇天の下、福井は軽く息を吐き、視線を前方に向けた。



「さあ、行くか」



 そう呟くと、西本は一礼し、無言のまま二人に続いた。三人は硬い空気を引き連れて、次なる冒険の舞台へと歩みを進めていった。


**


「それで、現場はどこなのですか?」西本の口調には、まるで機械のように感情がなかった。彼の鋭い眼光は、まっすぐに福井へと向けられ、暗に「早く仕事をさせろ」と命じているかのようだった。



 福井は地図を広げ、目を細めて指先で指定された場所をなぞった。「地図によると、このあたりで違法採掘が行われているらしいんだが……」しかしその声音には、自信の欠片も感じられなかった。広大な荒野にぽつぽつとしかない目印の中で、違法採掘者たちが尻尾を出すとは到底思えなかったからだ。



 柿沼はそんな福井の不安を見透かし、思案顔で口を開いた。「教授、これは持論ですが、奴らはお互いの発掘を邪魔し合っていると思うんですよ。どちらかの陣営を捕まえられたら、もう一方の陣営の居場所も分かるんじゃないでしょうか?」



 その言葉には確かな根拠と、鋭い洞察がにじんでいた。柿沼の目は、遠く荒野の地平線を見つめながら、冷静に状況を分析していた。



「なるほど、それはいい考えだ」福井は目を輝かせた。そして、西本に向き直る。「では、こうしましょう。我々も発掘調査をしているという噂を流すのです。不届き者は、好奇心と警戒心から、自らこちらにやって来るでしょう」



 西本は少し考え込むように唇を引き結び、次の瞬間、静かながらも熱を帯びた声で答えた。「いい案です。手早く手を打ちましょう」



 先ほどまでの冷淡な態度がわずかに和らいだのを、福井と柿沼は感じ取った。



「よし、そうしよう。ひとまずは、ここで設営だな」福井は地面に杭を打ちながら汗を拭った。頭上の太陽は容赦なく照りつけ、地表の砂はまるで火傷するかのように熱かった。



 柿沼は手をあおいで、わずかな風を作ろうとするが、熱風が舞うばかりで涼しさとは程遠い。「テントがなくては、この暑さで熱中症になりかねませんね」



 三人は黙々とテントを設営した。金槌が杭を打つ音、布地が風にはためく音だけが乾いた空気に響く。そして、設営が終わる頃、太陽は西に傾き始めていた。



 だが、彼らがほっと息をつく間もなく、気温は急速に低下し始めた。先ほどまでの灼熱が嘘のように、冷たい風が荒野を吹き抜け、身を切るような寒さが肌を刺す。福井は思わず肩をすくめ、震え始めた。防寒着など、まったくの用意不足だった。



「リサーチ不足でしたね。これは厳しい戦いになりそうだ……」福井はため息をつき、夜空を仰いだ。星が澄んで見えるほど空気は冷え込み、骨の芯まで冷たさが染みる。



 その時、西本が無言で何かを投げて寄越した。重みのあるそれを受け取ると、柔らかい感触が手に広がる。防寒着だった。しかも、ほのかに温かい。



「あなた方は無計画すぎる」西本は冷ややかに言い放ったが、言葉の裏には諦めとも取れる淡い優しさが滲んでいた。「勝将軍から事前情報がなければ、二人とも凍え死ぬところでしたよ」



 福井は西本の用意周到さに驚きながらも、その好意に心の底から感謝した。「助かったよ、西本君」防寒着を羽織ると、暖かさが体に広がり、緊張していた筋肉が緩んでいくのを感じた。



 柿沼も防寒着を身につけ、安堵の息をついた。「これでなんとか一晩は凌げそうですね」



 夜の荒野は静寂に包まれ、遠くで小さな虫の音が響くばかりだった。福井は暖かい寝袋にくるまり、冷たい夜風を遮断しながら、次なる一手を考え続けた。



 明日こそ、違法採掘者たちの尻尾を掴む。そう誓いながら、福井はゆっくりと眠りに落ちていった。

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