今村誠は、手元にあるダイナマイトの筒を慎重に指先でなぞった。その重厚な感触と、内部に秘められた凶暴なエネルギーが、まるで沈黙の獣のように息を潜めている。伊藤首相がノーベルから権利ごと買い上げたこの爆発物は、日本の産業と軍事の未来を左右する、国家の威信が込められた特別な代物だ。
机の上には数本のダイナマイトが並べられ、それぞれの導火線がまるで細い蛇のようにくねっている。今村の視線は、その導火線の先端から爆薬の詰まった筒へと移動した。ノーベルが生み出したこの技術をどうにかして日本独自のものにし、外国人には扱えないようにしなければならない。政府の無茶な要求とはいえ、そこには明確な国家防衛の意図が見え隠れしていた。
「外国人が使えないようにしろ、なんて政府も無茶苦茶な要求をしてくれたな……」
ぼそりと漏らした独り言は、研究室の冷たい空気に溶けて消えた。化学的に秘密を隠そうとしても、いずれはその仕組みを解析され、模倣されるのが目に見えている。技術の流出を完全に防ぐことは至難の業だ。だが、何か抜本的な方法があれば――。
その時、扉がノックされ、相澤がひょっこりと顔を出した。若いが勤勉な部下で、今村の右腕とも言える存在だ。
「今村先輩。政府がまた金鉱を入手したらしいですよ」
相澤の言葉が耳に届いた瞬間、今村の脳内に閃光が走った。「金鉱」という響きが、硬直した思考の壁に亀裂を入れる。そうだ、金だ――日本が世界の供給を握っているこの貴重な金属。それを使えば、ダイナマイトを他国が容易に再現できなくなるかもしれない。
「おい、相澤。今、
今村の声は急に熱を帯びた。眼鏡越しの瞳が鋭い光を放つ。
「ええ、そうですよ」
「金鉱は我が国がほとんどを押さえている。この認識で間違いないか?」
「そりゃそうですよ。そうでなきゃあ、今頃帝国はどうなっていたのやら」
相澤の言葉には、国家の強みへの自負が滲んでいた。その返答に今村は満足げに頷く。金の供給を牛耳っていることが、これほどまでに有利に働くとは思ってもみなかった。
「ありがとう、相澤」
短い言葉に込められた感謝と決意を残し、今村は再びダイナマイトへと向き直ったある仕掛けを施すために。
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「西本さん、出来上がりましたよ」
今村誠は、自信に満ちた表情で手にしたダイナマイトを西本に差し出した。黒光りする円筒には、試行錯誤の末に完成した精密な細工が施されている。導火線の根元は、わずかに金色に輝き、それがこの仕組みの肝であることを静かに物語っていた。
西本は慎重にダイナマイトを受け取り、まるで初めて見る奇妙な道具を観察するようにじっくりと眺めた。その冷徹な瞳が、今村の努力と成果を見抜こうとしている。彼の指先が表面を撫で、質感と細部を確かめる。
「それで、どうやって外国人が使用できないようにしたんですか?」
西本の問いは低く、抑えられた声に込められた疑念が滲んでいる。彼の眉間にはわずかな皺が寄り、政府の要請に応えるためにどんな奇策が施されたのか、真剣に知ろうとしていた。
今村は口元に薄い笑みを浮かべ、ゆっくりと答えた。
「金ですよ、金。金は我が国の特産品と言っても過言ではありません。ですから、金がなければ爆発しない仕組みにしました」
その言葉が放たれた瞬間、西本の表情が硬直した。鋭い眼差しが一気に曇り、険しい陰が顔に落ちる。彼の唇がわずかに震え、次の言葉を押し出すように吐いた。
「金を使い続けろと? それでは、我が国は破産するぞ」
ドスの利いた低い声が、部屋の空気を一瞬で張り詰めさせた。西本の言葉には、国家財政を憂う重圧と怒気が宿っていた。彼の目は、まるで相手の心の内を抉り取るように鋭い。
だが今村はその視線を恐れることなく、落ち着いたまま立っていた。深呼吸をし、冷静に言葉を紡ぐ。
「もちろん、金を使うのは初期のものだけです。しばらくしたら、普通の材料に戻します。ただ、噂を流すのです――『金がなければ作れない』と。それが広まれば、他国は無駄なコストと時間を費やし、追従することはできなくなるでしょう」
今村の言葉には明確な戦略があった。表向きの真実と裏に潜む欺瞞。その二重構造が、限られた資源を守りながらも国の優位性を保つ鍵だった。彼の目には自信の炎が揺らめき、その冷静な判断が西本の厳しい表情を徐々に和らげていく。
西本は深く息を吐き、硬直した肩をわずかに落とした。口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「助かる。別の兵器の開発の際には、手伝って欲しい」
彼の言葉は短くとも、そこには信頼と期待が含まれていた。西本はダイナマイトを慎重に懐に収め、足早に部屋を後にした。廊下に消えるその背中には、これからの戦略と任務に対する覚悟が感じられる。
静けさが戻った研究室で、今村は長いため息をついた。肩の力が抜け、緊張が一気に解ける。だがその顔には、安堵と共にわずかな憂鬱が浮かんでいた。
「また、厄介な注文が来るかもしれないな……」
独り言は虚空に吸い込まれ、研究室の窓から差し込む午後の光が、机に置かれたダイナマイトの残骸を静かに照らしていた。