扉がゆっくりと開いた。
現れたのは、深い黒の毛並みに金の瞳を持つ女性。
彼女の目がリアを見た瞬間、大きく見開かれる。
「……リア……?」
その声に、リアの体が震える。
言葉を紡ぐ間もなく、リアは駆け出していた。
「……ママっ!」
腕の中に飛び込む。母が、呆然としながらもすぐにその体を抱きしめた。
遅れて、奥から現れたのはがっしりとした体格の黒猫の男性。父親だ。
「……本当に……リア……生きて……!」
母が震える声で繰り返す。リアは言葉にならず、泣きながら首を振った。
父も膝をつき、娘を抱きしめる。その手は大きく、しかしどこまでも優しい。
「……あの時……襲撃があった夜、私たちは……!」
リアは泣きじゃくりながら、過去の夜を口にする。
その声に、母が目を閉じた。
「……あの夜、王国軍が村を襲った。
私たちは……リア、あなたを逃がすために、最後まで家に残ったの。」
父が続ける。
「覚えているか? 裏山の抜け道。あそこから逃げろとお前に言ったろう。
俺たちは捕まる覚悟だった。だがそのとき、虎族の戦士たちが来たんだ。」
「……倒れかけた私たちを、この地へと連れてきてくれたのです。
ここは王国の目の届かぬ、森の深奥。
私たちは、ずっと身を隠すように暮らしていました……。」
リアはその言葉を聞きながら、再び涙をこぼした。
恐怖の夜。ずっと知らなかった真実。両親が生きていた理由。
そして、自分を生かしてくれたのは──この地の人々だったのだと。
「リア、会いたかった……でも、お前が生きていてくれた、それだけで……。」
母の言葉が涙に濡れる。
リアはその胸に顔を埋めながら、何度も頷いた。
―――
しばらくして、リアが顔を上げる。
「……里長さまに、お会いできるかな。……ちゃんと、お礼を言いたい。」
母と父が頷く。
灯生たちに目をやったリアが、少し微笑んだ。
「来てくれて、ありがとう。……みんな。」
そして、一行は森の奥、里の中心へと足を進める。
巨木に抱かれた巨大な岩、『磐座の間』。
そこに佇むのは、年老いた虎族の長──白毛混じりの堂々たる体躯、静かな金の瞳。
「ようこそ、異邦の客人たち。……そして、リアよ。よく戻ってきたな。」
灯生が一歩前に出て、静かに頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私は灯生と申します。私たちはリアの家族を探しにここへ来ました。
あなた方が命を救ってくれたと聞き、心から感謝を。」
里長は頷き、深い声で応える。
「礼などいらぬ。わしはここの里長をしているグライスだ。
あの夜、倒れた者を見過ごすことなどできぬ。それが我らの掟だ。」
灯生が頷く。
「だが……おぬしらがここへ来た理由。それは感謝のみにあらずと見える。」
里長は長く息を吐く。
「……よかろう。お主らに害意なしと見た。
この里は、しばしの休息を与える場所となろう。
明日、再び集い、語らうとしよう。──この里が語り得る限りの“真実”をな。」
その言葉に、一同は静かに頷いた。
リアはそっと、灯生の袖を引いた。
彼の顔を見上げ、少し照れくさそうに、でも心からの声で言った。
「……ありがとう、ご主人様、みんな。本当に……ありがとう。」
——翌日。
灯生たちは、里の中心『磐座の間』へと向かう。
そこには既に、里長が待っていた。
大きな虎の毛皮を背に纏い、威厳を帯びた金の瞳が一同を見渡す。
「座るがよい。今日は、語らねばならぬ“記憶”がある。」
里長の声は、低くも穏やかに響いた。
「……リア。おぬしの両親を保護した夜、我らは王国軍の騎士団と戦った。
彼らは民を襲い、火を放ち、痕跡を消し去ろうとしていた。
だが──おぬしの母が最後に叫んだ名が、“獣神の末裔”であった。」
リアが目を見開く。
「……獣神の末裔……?」
里長は静かに頷く。
「かつてこの大地には、“獣神”と呼ばれる神格が存在した。
森に生きる四種の聖獣が、人の姿を得て地を守っていたという。
ここや黒猫族の里も“獣神の里”と呼ばれておる。」
「その血を引く者たちは、時折『原初の
リアよ、おぬしの目には時に、風が巻き、刃の軌跡が遅れて見えることがないか?」
リアが息を呑む。
「……ある。戦いの中、何かが“遅れて”見えるような感覚に……。」
里長が深く頷く。
「それが“獣神の残響”だ。
おぬしの一族は、黒猫族の末裔。
風と影を読む者、“迅なる爪”と呼ばれた古き戦士の血を継ぐ。」
灯生が問いかける。
「それは、王国が彼女の一族を狙った理由でもある……?」
「おそらくは。“徴”を得た者は、王家にとって脅威でしかない。
民の中に“神の証”が芽吹けば──王たちは、正統を問われることになるからな。」
アルファスが口の端を歪めて笑う。
「……血と伝承を恐れるとは、実に人間らしいやり方だな。」
里長は静かに目を閉じる。
「かつて、我ら獣人は王国と盟約を交わしていた。
が、半年前、“獣神の石碑”が破壊され、王国は協定を反故にした。
その後、密かに血族の排除が始まった。リアの黒猫族の里も……その一つであろう。」
リアは拳を握り締めた。
灯生がそっと彼女の肩に手を置く。
「リア。君は今、生きている。そしてこれからも──前に進める。」
ルーナが言葉を添える。
「私たちがあなたを見つけたことにも、きっと意味がある。
この旅の中で、その意味を形にしていこう。」
里長は立ち上がり、大きな巻物を差し出した。
「これは、黒猫族に伝わる“獣神の系譜”。
おぬしの母が書き記していたものだ。これを携え、進むがよい。」
リアはそっと巻物を受け取り、深く頭を下げた。
「……ありがとう、里長さま。私、必ずこの“血”と“記憶”を守ってみせる。」
風が吹き抜け、大樹の葉がざわめく。
それは、失われた神々の残響か。あるいは、始まりの合図か。
黒猫の娘は、再び歩き出す。
過去と向き合い、そして未来へと──。