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第12話 縫い目

「というように、精霊は古来より人の身近にあって視えない存在だったわけです。彼らは魔力を好み、その祝福を受けた魔法師たちに力を…」


本堂先生の気だるさを帯びたちょっと落ち着いた声が午後の教室にも響くわけで…。

俺の身体はどうやら、この時間帯を”眠い”としか認識しなくなってきているらしい。


いつものごとく瞼が重くて仕方がないよ。

下手したら朝よりひどいかも?


まあ、それでも昼食におにぎり二つとミニラーメンをお腹に入れられたのだから、全部オッケーってことでいいのかもな。


我ながら、10分で平らげたのは褒めたいよ。

なんて、自画自賛してみたものの、静まり返る教室は相変わらずなんだよな。


どこを見渡しても教科書と睨めっこ中の光景ばかり。

みんな、勉強熱心だな。

俺も見習えって事なんだろうけれど、その中に加わりたくないというプライドも覗いたり、そうでもなかったり?

結局、どっちなんだよって自分でツッコミを入れても、もちろん誰も返してはくれないんだよな。


かたや、こんな時でも蓮の纏う空気は相変わらず軽やかで、ゆったりしている。

肩肘を張らず、浮遊感すらあるようだ。俺自身もいつの間にか”蓮”呼びに慣れてきている事にも言及はしないでおこう。


昼もパンだけだったけど、蓮のやつ、他の物は食べないんだろうか?

そんなどうでもいい疑問も頭をよぎる。

そんなわけで、魔法科のプールで遭遇した“囁”のことをぼんやり思い出してみたりもするのであった。


――観測者…か。


天文学者でもないのに、随分と仰々しい言い方だよな。


“現実をあるがままに見る存在”…なんて言われても、どうもピンとこない。


例えば、“突然魔力に目覚めました”とか、“霊と契約することになっちゃいました”みたいなドラマチックな展開なんかが起きたなら、少しはワクワクもするんだろうが…。


いや、それはさすがに妄想が過ぎるので却下だな。


つまりは中二病みたいな名称がつけられたとしても心躍るわけはなく、ただ、時間は過ぎていくだけなのである。そこに対して、別に悲しくもない。


プールで出会った“囁”についても、実際のところ拍子抜けするほど地味だったしな。

でも、まあ…日常なんてものは、そんな感じに廻っていくのが当然であるので、受け入れるのが一番手っ取り早い。


全く、俺は授業中に何を悟ってるんだか。

そんな自問自答を繰り返していても、今日も夕方がやってくるのである。


「それで、何を言いたかったんだい?」


唐突に話しかけてくるのは、やっぱり蓮だった。


「何がかな?」

「今日はずっと僕に何か言いたそうだったから。気になってね」

「ああ…そうなんだよ。ちょっとした悩みがあったんだ。家族についてなんだけど」


俺自身、すっかり抜け落ちていた話題だったのに、よく覚えてるもんだな。

これが優等生と凡人の差ってやつだろうか?


「一緒に帰る?」


ふわりと笑う蓮の頬に、夕陽の明かりが優しく差し込む。

こうしてると、本当に“普通”の高校生なんだけどな。


「そういえば、君と帰るのは初めてだったね」


リュックを背負いながら、蓮はぽつりとつぶやいた。


そりゃ、昨日出会ったばかりだからじゃないかな?

とはいえ、そう思ってるのは俺だけなんだろうけど…。


「まあ、タイミングってやつじゃないかな?…なあ、蓮」

「なんだい?」

「君って、パン以外も食べるのかい?」

「食べるよ」

「本当に?」

「僕を何だと思ってるんだい?」

「さあ?」


蓮の正体なんてこっちが知りたいよ。


「じゃあ、何が好きなんだ?」

「何でも好きだよ。和食も洋食も、イタリアンも…」

「漠然としてるな」

「男子高校生なんて、そんなものじゃないのかな?」


それは合ってるようで、違う気がする。

こればっかりは個人差もあるだろうし、俺から言えることはないか。


だが、これだけは言っておく。


「蓮にだけは”男子高校生”ってワードは使ってほしくないな」

「それまた、どうして?」

「深い意味は特にない」

「なんだい。それ…」


なんとなく、取り留めもない会話を繰り返しながら、俺達は学園を後にしたのであった。


何度か言った気もするが、神岐市は別名“坂の街”と呼ばれていたりする。


自虐的にそう発言するのは大体が地元の人間であるが…。


とにかく、見渡せばどこも急な斜面ばかりなのだ。

碧見原学園も、山を切り拓いて建てられているしな。


つまりは登校は地獄、下校は天国。それに尽きるのである。


「僕に聞きたかったことって、食の好みについてだったのかい?」

「違うよ。俺の姉について」

「六つ上だったっけ?」

「あれ、話した事あった?」

「うん。君が教えてくれたよ」

「確かに、話した気もするような?」


自分の記憶の引き出しを探ろうとして、思わず眉をひそめてしまった。


「変な話だけどさ、俺の中には“一人っ子の人生”と“姉がいる人生”が、同時に存在してるんだよな」

「そっか…」

「これも、君が言う“観測者”ってやつの影響なのかな?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「なんだよ。その曖昧な答えは…。俺に観測者なる妙な肩書きをつけたのはそっちだろう?」

「ごめん、ごめん。修復の前後の記憶はどうも曖昧になってしまうからね」

「“忘れる”ってこと?」


蓮は小さなネジネジパンこと、エピを口に運びながら、静かにうなずいた。

ちなみにベーコン無しだ。


「僕には“修復した”って認識は残る。でも、何を修復したかは忘れてしまうんだ。いや、修復という行為自体もこの日常には元からなかった事になるんだよ。そして、残された繋ぎ目は自動的に辻褄を合わせて、新しい世界を構築する」

「それって、生徒指導室でも言ってたな」

「うん。夜詠者は世界から認識されない者。だから、誰も僕を覚えられないし、知らない。そして、僕自身もね」


“忘れる”ってのは、そういうことなのか…。

さらっと恐ろしいことを言ってのける友人は、この瞬間も飄々と歩いている。


ただ、進んでいるだけなのに…。

それでも俺にははっきりと見えている。


彼の足跡の先で、萎れていた花が静かに息を吹返したという事実に…。

シャッターのそばで乱雑に積まれていた段ボール達が自然と綺麗に積み直されていく光景も…。

信号待ちをする顔色の悪い女性の顔にほんのりと血色が戻っていく瞬間が…。


蓮…。君が通り過ぎた場所だけが、音もなく“正しく”なっていく。

存在するだけで、すべてがあるべき場所に帰っていくように…。


「あっ。噂をすれば、縫い目だね」

「縫い目?」


気づけば、古い商店街に差しかかっていた。

一年ぐらい前まではシャッター街だらけで俺も踏み入ったのは多くはないが今は明りがちらほら見て取れる。母さんの話だと、安く店が開けるってことで県外から人が集まってきてるらしい。

なんとも、現実的な話だ。

そう思うと、蓮はやっぱり非現実的な存在なんだよな。


「それで、なんだい?」


蓮が覗き込んだ路地の隙間に、淡く色づくピンクの光が小さな模様を描いていた。


「魔法陣?」

「夜詠者の修復の痕だよ。僕は“縫い目”って呼んでいる。ほかの人は違う呼び方をしているかもね」

「それって、君以外にも夜詠者いるって事かい?」

「もちろん。いるよ」


ここにきて、新事実が…!


「へえ~」

「僕もまだ挨拶はしてないんだけどね」

「人見知りさん達なの?」


何気なく聞き返せば、彼は面白そうにこちらを見上げてくる。


「やっぱり、君って楽しいね」


だから、何がかな?


夜詠者僕らは魔法師みたいに、魔力で認識できないからね」

「誰が夜詠者なのか、区別できないって事かな?」

「そうだよ。“縫い目”だけが、夜詠者が確かに”いる”っていう証なんだ。だから、こうして誰かの痕跡を見つけると、嬉しくなっちゃうんだよね」


蓮はいつものように笑っている。でも、その目にはどこか遠さがある。


夜詠者か…。


もしかしたら、想像以上に寂しい存在なのかもしれないな。


ああ、俺とした事がちょっと、しんみりしてきちゃったじゃないか。


「よく、分からないけどさ。観測者?っていう俺は全部覚えているわけだろ?」

「そうとも言えるかもね」

「ならさぁ…。“忘れられる”っていうのは正しくないんじゃないかな。少なくともここに全部、認識できる男子高校生がいるんだから」


なんとなく、鼻の穴を膨らませてみても、春の夕暮れは肌寒い。


「君って想像以上にいい人だよね」

「そこは普通にありがとうで良いと思うんだけどな」

「ありがとう」

「素直でよろしい」

「それで、お姉さんの話だったよね」

「うん。やっぱり、“囁”なのかな?」


冷たい風が再び、吹き抜けたその時…。


「桜真?」


その当人が、友人の後ろから顔を出したのであった。


ここは、恐怖か?それとも、驚きの声をあげるべきなんだろうけれど…。


正直、それよりも“友人との帰り道に姉に出くわした”という、なんとも気まずい弟としての感情の方が勝ってしまう俺は、まあ、思春期男子としてごく正しいと思いたいんだよな。

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