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第13話 カレーパンとそれから…

「何してんの?」


夕日に染まりかけた空を背にする姉はやっぱりいつもの姿なんだよな。


「姉ちゃんこそ、何してんだよ?マンションは反対方向だろ!」

「あのねえ~。高校生のアンタは学園と自宅の往復がほとんどでしょうけれど、社会人の私は違うの!」

「尊敬できる社会人かどうかは別だけどな」

「あっ!だから、そういうの言っちゃダメなのよ。うん?」


姉ちゃんの視線が俺の隣にいる蓮へと向きを変えた。


「おっと!イケメンさん発見だ」


仮にも弟の友人を珍獣発見みたいに指さすのはやめてくれよな。


「そういうのアウトだぞ!」


さらに、姉ちゃんが目を輝かせて蓮を見つめるもんだから、弟の本音としては複雑で仕方がないよ。


「はじめまして。糸森君の友人の天戸蓮です」


蓮はまるで礼儀作法の教科書に載っている写真みたいにきれいなお辞儀をした。

まったく、彼らしい。


「こちらこそ、蓮の姉の桃羽です。よろしくね」


明らかに頬を染める姉ちゃんの様子にますます、俺の頭痛は加速しそうだ。

もはや、この姉が“囁”だろうが“歪理”だろうが、どうでもよくなってくる。


「やめてくれよ。未成年に手を出したら犯罪だぞ」

「やあね。そんな風には見えていないもん。私はね。綺麗なものを拝みたいだけなの。ごめんね。弟ってちょっと変わってるの」


姉ちゃんにだけは言われたくないよ。


「あれ?この香り…もしかして」


蓮の視線が姉ちゃんの腕にかかったエコバッグへ向いていく。


「あら、やだ。匂う?」

「いえ。とても、いい香りですよ」

「そこのパン屋でカレーパンを買ったの。美味しそうだったから、ついね」


そう言えば、神岐っ子の姉ちゃんも漏れなくパンにはうるさかったな。


「ありがとうございます」

「うん?」

「そこのパン屋の者です」

「そうなの?じゃあ、また寄ろうかな」

「ぜひ。お待ちしてます」


また丁寧に頭を下げる蓮。

今日はほんと、お辞儀日和だな。

なんて、呑気な事を考えてる場合じゃないはずなのにな。


蓮には、姉ちゃんがどう映っているんだろうか?

気になって仕方がないが、“姉”は俺の姉ちゃんとしてそこにいて、“蓮”は俺の友人の天戸蓮だ。

その事実は確かに存在しているのだ。この瞬間においては特にそう思える。

だからこそ、この瞬間にも俺だけが日常から少し浮き上がってるみたいで、不思議な感覚もするんだよな。


「これ以上の立ち話もあれだから、もう行くわ。男子高校生の邪魔をするほど、大人気なくないから」

「そういうのを自分で言うのはどうかと思うよ」

「そこはスルーって事で…。あんまり遅くならないようにね」


言いたいことだけいって、姉は去っていく。


まるで嵐のようだな。

いや、それはちょっと言い過ぎか。


「君のお姉さん、似てるね」

「やめてくれよ。で、どうかな?」

「何がかな?」

「姉ちゃんの事だよ。やっぱり“囁”?それとも“歪理”?」


どっちにしても、覚悟はできている。

いや、出来てないけれど…。

でも、こればっかりはな。

なんて、冷静に考えている時点で俺って冷たい弟に変わりはないんだよな。


「さあ?」

「なんだよ、その反応は…」


涼しい顔で笑う蓮に、ちょっとムッとしたのは内緒にしておこう。


「歪理ではないと思うよ。たぶんね」

「じゃあ、囁?」

「僕は歪理にならないと、判断できないからな」

「う~ん。それじゃあ、困るよ」

「なら、君には“何か”視えてるのかな?」

「“視える”って?」

「いつもみたいに“ノイズ”とか、世界の“歪み”みたいな感覚はあるかって事かな?」

「今は特に、ないな」


姉の周りに異常はない。

いたって普通だ。

とはいえ、その存在自体に疑念を抱いているわけであるが…。


「それなら、整合性で生まれたのかもしれないね」


どうやったら、一人っ子の男子高校生に姉が生まれるという展開になるんだ?

なんか、いろいろ間違ってるだろ?

いや、そういうのって偏見かな?


「蓮が修復したから?」

「それはわからないよ。他の夜詠者かもしれないしね」

「そんなものなのかい?」

「整合性は、頻繁に起きているからね」


とりあえず姉の生存には不覚的要素が多すぎる事に変わりはないのか。

何はともあれ、しばらくは姉弟という関係は続きそうな事実にホッとしたのは気づかなかった事にしておこうか。


「大丈夫だよ。もしもの時は、僕が整えるから」

「そっか。じゃあ、それで頼むよ」


猫の目が光る路地の前で俺と蓮はそれ以上、何も言わず、ただ笑い合った。


鳥の声、足早に過ぎる人影もそのすべてが、彼のそばでは優しくなっていくようだ。

彼そのものがあらゆるものを修復していくように…。

友人の周りだけ、どこまでも空気が澄んでいる。


そんな風に感じるのも俺が観測者ってやつのせいなのか?


――チャリンッ。


ベルの音が、当たり前のように俺たちの世界に溶け込んできた。


「蓮。帰ってたのか?」


商店街の一角。オレンジ色のドアから現れた中年の男性が、蓮を迎えた。


けいさん。ただいま」


啓さん?

真っ白な帽子に、オレンジ色のエプロン。

50代くらいの職人然としたその人は、寡黙そうでいて、でも温かい空気を纏っている。


「友達か?初めまして。蓮の一応、保護者の雪久啓ゆきひさけいです」

「どっ…どうも。糸森桜真です」


笑みを浮かべる啓さんに俺の頬も緩んでいく。

そう言えば、今さらながら、蓮と苗字が違うことに気づいた。


“父”じゃなくて“保護者”って名乗ったあたり、何か事情があるんだろうか。


とはいえ、俺の頭の中では“ついに保護者に挨拶するときが来たか”ってよく分からない感想が湧き上がってきた。いや、そもそも、俺の中では友人関係になってそれほど、時間が経っていないので”ついに”という表現は正しくないわけで…。


「糸森君はパンが好きなんだよ」

「それは嬉しいな」


あえて、公言した記憶はないんだけどな。


「えっ…はい。まあ」


「じゃあ、ちょっと寄って行っていいよ」

「そうだね。それがいいかもね」


蓮の保護者は彼とよく似た表情を浮かべている。

もしこれで、血のつながりがないとかいう感じだったら、ある意味、すごいな。


「いいのかな?」

「いいよ。パンに興味があるんだろう?」


蓮が作るパンに興味があるっていう言葉がつくんだけど…。

とは思いつつも、香ばしい香りには勝てないのが普通の高校生なんだよな。


それはそれとして、雪久啓さんか。

さすが、パン職人。肌が綺麗だ。

うん?それは関係ないよな…。

そんな俺の言葉は特に音になる事もなく、夕日に溶けていくのかも。

要は今日も、“何もなかった”とは言えないけれど、“何かあった”とも語れない一日はこうして終わるのかもしれないってわけで…。

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