「精霊って、ああいう使い方もできるんだな」
そらまどベーカリーを後にした帰り道で真っ先に頭に浮かんだのが精霊に関する感想だなんて、一般人としてはあるまじきだよな。
なんて、誰に言うでもない冗談を脳内でつぶやいたところで、すっかり日が沈んだ夜道を一人寂しく歩く男子高校生である事に変わりはないわけで…。
俺の思考は、数分前のやり取りを思い越していた。
「パンに興味があるのかい?」
啓さんの何気ない視線とぶつかって、思わず両手を振って否定してしまった。
「いえ、蓮…天戸くんから、雪久さんが戦闘魔法師だったって聞いたので」
「ああ、話しちゃったか」
呆れたような視線がフォカッチャをつまんでいる当の本人、蓮に向けられる。
「悪かったな?」
「まあ、いいけどさ。随分昔の話だからな」
恥ずかしそうに頬を掻く啓さんと、無表情のまま変わらずフォカッチャを食べ続けている蓮。
一見まるで似ていないのに、どこか“似ている”ふたりだ。
不思議な人達だよ…全く。
「基本的に精霊との契約は魔法師の命が終わるまで続くからな」
「じゃあ、精霊さんとは長い付き合いなんですね」
俺は手に持っていたフォカッチャを口に押し込みながら相づちを打った。
うん、冷たい。これはこれで悪くないけど、やっぱり焼きたての方がよかったかも。
そんな余計な事を考えていると啓さんがじっと俺を見ていることに気づいて、首を傾げた。
「ねえ、彼、面白いだろう?」
連の意味深な言葉に啓さんの瞳は細くなる。
「……そうだな」
なんだよ。蓮はいつもの事だから、もはや反論しないがその保護者まで妙なことを言って惑わしてくるとは予想外だ。
「変なこと言いましたかね?」
「いや~。ごめんね。なんだか新鮮な返しだったから」
「新鮮ですか?」
お刺身じゃないんだから、言葉に“新鮮”って正しいのか?
「魔力持ちって、それだけでなんでもできるって思われがちなんだってさ」
「こらこら。お友達におっさんの愚痴を暴露するのはやめてくれよ」
「僕にはよく愚痴るくせに。“魔法師は楽でいいですね”って、知らない人に絡まれたって嘆いてただろ。“俺の精霊で出来る事なんて、せいぜいオーブンを操るぐらいなのに”って、下手な子守歌より聞かされたな」
「あああ!もう、それ以上はやめてくれ」
漫才かな?って思うくらい自然な掛け合いだ。
案外、ステージに立ったらウケるんじゃないかな?
なんて、友人とその保護者について謎の感想を持ったけれど、さすがに余計なお世話か。
「お二人の方が、よっぽど面白いですよ」
「おおっ!糸森はなかなか切れ味のある返しをするんだな」
「すみません、つい…」
「いいんだ。蓮が懐いてる理由、ちょっとわかった気がするよ」
「はあ…」
それって褒められてるんだよな。たぶん?
うん、そういうことにしておこう。
「あの、”精霊でオーブンを操る”っていうのはどういう事なんですか?」
「やっぱり、そういうの気になるタイプかい?」
「すみません、聞いちゃいけなかったですか?」
「いや、いいよ。この子は“フレイム”って言ってね」
啓さんの背後から、透けた人影がふわりと現れた。
その顔はベールのような光に包まれていて、よく見えない。
それでも全体が淡いオレンジ色に発光しているのが印象的だった。
「炎を操るのが得意な子なんだ」
「聞いたことがあります。精霊には属性があって得意分野があるって」
「詳しいね」
「一般魔法教養の授業で習いますから」
「フレイムは特に温度調整が上手なんだよ。この子がいなきゃ、俺のパンは完成しない」
「温度調整。ああ…オーブンの?」
「そう。フレイムがいちばんパンを美味しく焼ける温度と時間を計ってくれるんだ」
フレイムと呼ばれた精霊さんはまるで実演でも披露してくれるようにするように、オーブンと融合してくれた。一般人の俺にも見える。
彼?いや、彼女かもしれないけれど…。
とにかく、オーブンとその周囲を淡いオレンジ色の光が優しく包み込んでいるのだ。
「精霊とオーブンの共同作業ですか。凄いですね」
「分かってるかい?この絶妙なバランス加減を…」
啓さんは天然タイプかな。
「まあ…。はい」
そう言うしかないよな。俺は肝の小さい男子高校生なんだ。
わざわざ、喧嘩を売るような発言はしない。
連はそんな俺と啓さんの会話に特に割り込んでくる様子はないけれど、どこかいつもより明るい表情なのは気のせいではないと思いたい。
それになんだろうな…。
今まで、精霊っていうのは戦闘魔法師のパートナーって言うイメージしかなかったけれど…。
こんなふうに日常に溶け込んで、生活の一部になっている精霊さんもいるのか。
世界って、思っていたよりずっと広くて、ずっと近いのかも。
そんなふうに思いながら、俺はそらまどベーカリーを後にしたわけであるが…。
少し歩いた今になって、あのやり取りが本当に“現実”だったのか?
ちょっと不安になってきたのも本当で…。
やっぱり、ここ数日の出来事が案外尾を引いてるのかもな。
それでも、 “友人”としての記憶は確かにある蓮の知らない一面を見て、ちょっとわくわくした感情もちゃんとある。けれど同時に、”囁”や“歪理”を修復していた“彼”と“友人”が同じ人物だと、どこかで信じたくない気持ちもあったりするんだよな。
だって、啓さんと笑い合っていた蓮は、正真正銘“普通の高校生”にしか見えなかったんだから。
そんな薄情なことを思ってしまう俺って、血も涙もないんじゃないか?
自分で思って落ち込むなんて、ほんと、世話ないな。
こういう時はさっさと帰って、好きな動画でも見て気を紛らわすに限る。
もちろん、勉強もするさ。たぶん…。
そんなわけで、足取りを早めたつもりだったんだが…。
「危ない!」
空から飛んできた声に、反応が遅れた。
――ドンッ!
俺の肩を何かが物凄いスピードでかすめた。
その直後、少し先の木が二本、不自然に倒れていく。
紫色の光線。まるで魔法みたいだ。
いや、違う。
これは正真正銘の“魔法”だ。
俺は気づいた。それが封魔夢の攻撃だって事に…。
もしかして、結構危なかったんじゃ?
「大丈夫?」
その言葉が、真上から降ってきた。
見上げると、海埼さんがいた。
俺の心は彼女の登場に少しばかり傷ついた。
その理由は封魔夢の攻撃を目の当たりにしたからではない。
俺、お姫様抱っこされてる?
心配そうな彼女の表情を眺めながら、状況を把握した俺は固まっていた。
海埼さんは、歴戦の魔法師だ。きっと一般人の俺なんかが比べ物にならないぐらい強いんだろう。
でもさあ。それは分かっていたって複雑には変わりないんだよ。
同い年の女の子に抱えられている男子高校生の姿を見て、誰が喜ぶって言うんだ?
俺の心の声が漏れ出すことは、もちろんないのであるが…。