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第18話 石房先輩

今日も本当にいろいろとあった。

だから、ぐっすり眠れると思っていたんだけどな。


ベッドに潜り込んだまでは良かったはずなんだが、ふと見上げた天井にはありえないものが浮かんでいた。


「穴だよな?いや、水…鏡…そっか、氷鏡だ」


一人実況したところで状況はとくに変わらない。

とにかく、俺の部屋に現れた歪な形の反射面はただ周りを漂っている。

魔法に満ちた日常を送っているとはいえ、これはどう言葉を取り繕っても怪奇だなという感覚が正解なわけで…。そして、その透き通る氷に映り込むのはどういうわけか学園の屋上である。

さらに言えば蓮が手を振っている。

後、石房先輩も見えるとなると、そりゃあ、驚くのは当然であろう。


「えっと、これはどういう状況なのかな?」

「うん、ごめんね。起こしちゃったよね」


昼間よりも濃い焼きたてのパンの香りを纏っている蓮の空気感は相変わらずだ。

だからって、パジャマ姿を友人に見られるのはやっぱり恥ずかしいなとも思うんだよな。


「う〜ん。これって夢だったりしないかな?」

「残念ながら、違うんだよね」


――胸がざわつく。

――奴のせいだ。


声が、頭に響いた。

昼間と同じだ。


むしろ、夢でしたって言われる方が普通の男子高校生としては納得するんだけどな。

なんて呑気な感想が心を占める中、俺の部屋に浮かぶ氷鏡から鋭い剣先が伸びてきた。


「おっと、危ないな」


その剣の持ち主が石房先輩だと気づくのは我ながら早かった。

無視の次は明確な敵意を向けられるなんて…。


だいぶ、ショックだよ。


俺が一人問答を繰り返す中でも氷鏡の向こうも時間は過ぎているようで、石房先輩の腕を背中側に回して抑え込む蓮がいた。

それはまるで、古き良きヤンキー漫画のワンシーンみたいな空気感だ。

いや、あの作品には魔法はなかったはず。むしろ、ヤンキー漫画じゃなくて、空手とか合気道を描いた物でもいけるシチュエーションだ。そんなどうでもいい小学生の頃の記憶を掘り起こしている間に逃げようとする石房先輩をさらにねじ伏せる蓮に驚いた方がいいのか。

普通に見届けるべきなの悩むよ。


そもそも、魔法科のエースと物理的にやりあっている時点でいろいろとおかしいんだよな。


「駄目ですよ。“現在”の先輩も、“過去”の先輩も、誰かを傷つけることは望んでいないはず」

「ふんっ!お前に何が分かる。離せ!」

「いいえ。さっきも言いましたが僕は“貴方”が戻るべき場所に帰れるようにここにいます」

「くだらん。俺が“そこ”に戻る理由がどこにある?」

「それでも、何とかしたいから今日もここに来たんでしょう?“六番目の不思議”に、“もう一人のわたし”に会うために」

「あれは、ただの噂話だ」


うん?

“水のないプール”じゃなくて?


「もしかして、先輩も覚えてるんですか?“もう一人のわたし”を。嬉しいな。俺以外、誰も認識してないと思ってましたよ」


場違いな感想を漏らした俺に、鏡の向こうの石房先輩はひどく青ざめた顔を向けてきた。


「俺、なんかマズいこと言ったか?」

「うん。“歪理”にとってはかな」

「歪理…先輩が?」

「今、君が見ている先輩は石房先輩であり、歪理なんだよ」

「と言いますに?」

「先輩の心に歪理が発生しているんだ」


ああ、魔力を持っている人は乱れやすいって言っていたな。

それって、こういう事もありなのか。


「“彼”にとってはね。君は怖くてたまらないんだよ」

「えっ!俺が?」

「そう。“君”の目は曖昧を許さない。歪理は不完全であってこそ、力を持つんだよ。だから、存在を定義されるのが怖い」

「さっぱり分からないな」


難しい数式を提示された気分だ。

なんだか、眠くなってくるよ。


「頼むから俺を視ないでくれ」


石房先輩の瞳がかすかに揺れた。


――お前に視られた瞬間、私は“私”にされてしまう。


まただ…声が。


「“私”にされたら困るものなんですか?」


そんなふうに聞く俺に、先輩は唇をかみしめた。


俺…もしかして、すごく悪いことしてる?


「“彼”は恥ずかしがってるだけだよ。自我を持った“歪理”は観測者に存在を定義されれば、記憶や感情を掘り起こされる。それは痛み。でも、その“痛み”もかつての誰かが残した物に過ぎないけれどね。今回の場合は“石房先輩”だね。それでも現在の魔法師の先輩の心に住み着いたのは学園に長く根付いた不思議の名がつく歪理だからかな。それとも、魔力の強い石房先輩がたまたま遭遇したせいなのか?どちらにしても、その心にあるのはすでに“過去”の心ですよ」

「やめろっ!!」


――力が欲しい

――見返したい

――あの時の自分に戻りたい

――休みたい


ああ、昼間に聞こえた声は過去の先輩の想いだったのか。


「俺はただ、魔法師として不要な感情を捨てに来ただけだ」

「だから、六不思議に会いに来たんですね」


蓮の声は水に溶けるみたいに優しかった。


「違う。“もう一人の俺”が呼んでくれたんだ。俺が魔法師としてより高みを目指せるように」

「違いますよ。先輩が“貴方自身”を呼んだんです。歪理に姿を借りた“石房俊也”という名の残留思念を…。だって、魔法師の高みを目指しているはずの先輩は今も苦しんでいる。僕はそれを整えに来たんです」

「黙れっ!」


――魔法師なんて俺には荷が重い。

――どんなに鍛えても終わりが見えない。

――封魔夢は尽きない。

――負けは許されない。

――苦しい。


風のような声が、空間を裂いた。

プールの水面が揺れ、反射が乱れる。


「俺は石房俊也だ。魔法科のエース!勝つことでしか価値を示せない。それが“本物”の俺の願いだ!」


疲れてるってそう言う事なのかな。

なんとなく、そう思った。

俺の脳に届く叫びの奥には誰かを守りたくて踏みとどまってる“心”も見えるんだよな。

まるで、“彼”の歪理は“先輩”を気遣っているみたいに…。


「なんだか…悲しいですよ」


俺はぽつりと口にしていた。


「先輩は多分、皆の憧れを引き受けちゃってるんですよね。完璧な魔法師をやらなきゃいけないって…。その思いだけで、十分凄いですよ。俺みたいな普通の学生なんて志も特にないまま日々を過ごしてるんですもん」

「お前らと一緒にするな」

「そりゃあ、そうですよね。つまり、俺が言いたいのはですね。休んでもいいって話なんです。海崎さんもしかり、魔法師さん達ってみんな、肩の力入りすぎですって…。たまには何もしない日があったって誰も怒りませんよ。いや、怒る人はいるか?まあ、気にしないでって事で…」


冬用パジャマでもちょっと寒い中、俺は一体何を語ってるんだか。


「お前、マジか?」

「支離滅裂な発言でしたかな?」

「普通の奴なら、“魔法師は戦って当然”って反論するところだぞ」

「そうなんですか?なら、俺、普通じゃないのかも」


ついに自分は変だって認めちゃったな。

まあ、だからって見える世界が特に変わるわけもないんだが…。


「彼はそういう人なんですよ。だから先輩。そろそろ、“本物”を返してもらえませんか?」


蓮は静かに石房先輩を離した。

それは、まあ、良いんだけどさあ…。

変人って所は蓮にだけは肯定されたくはないな。

だって、俺からすれば君の方がずっと変わってるんだから。


「お前は嫌いだ」

「そりゃあ、歪理と夜詠者は水と油ですからね」


そう言って、蓮はクロワッサンを取り出し、水面へと沈める。


ああ、やっぱりバターの香りだ。


歪理は、石房先輩の姿をしたまま、少しだけ目を伏せた。

氷の鏡が、今度は反射ではなく、閉じ込められた“もう一人”の先輩を映す。

これは、“彼”の中に閉じ込めた本物の想いだ。


「クロワッサン。食べません?」


蓮の問いに先輩は答えず、ただ笑うだけだ。


その手が氷に触れた瞬間、姿はゆっくりと溶けて消えていった。

残されたのは気を失った本物の石房先輩だけだ。


「おかえりなさい。そして、おやすみなさい、先輩」


どうやら、今度こそ本当に修復は終わったらしい。


「君もごめんね」

「ああ、いいよ。友人のよしみって事で…」

「じゃあ、また明日学園で…」

「ああ……」


どうしてだか、この非日常空間でも学校帰りの会話みたいなんだよな。


蓮は小さく笑い、背負っていたパンをそっと担ぎ直す。

その瞬間、俺の部屋に浮いていた氷鏡も音もなく姿を消した。


いつもの見慣れた寝室だけが広がっている。


「蓮のやつ、こんな夜中まで活動してるのか。元気だな。俺には無理だわ」


まあ、とりあえず聞きたいことは山ほどある。でも、明日でいいか。

そう言えば、氷鏡が消える前…蓮の背後になんとなく見知った誰かがいた。


あれは見間違いだろうか?


それも明日考えればいいか。

凡人の俺はフカフカのベッドに潜り込むことこそが最重要事項だ。

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