俺がカレーうどんを無事に調達し終わった後でも、やっぱり食堂は騒がしいわけで…。
だが、空気が重いと言った様子はない。
――「購買部の幽霊に遭遇しちゃった。クラスで自慢しちゃおうっと…」
――「ついに七番目の不思議の誕生かしら?」
その大半がこの謎の現象を面白おかしく受け止めている。
みんな、楽しんでるな。
「こっちに席取ってるよ」
蓮に呼ばれて、人の波をかき分けていく。
「俺のチョコ無しコロネを守ってくれていたんだね」
カレーうどんをテーブルに置き、彼と向き合うように椅子に座る。
目の前の蓮はすでにカレーパンを半分食べ終えていた。
今日はカレー日和かな。
「大丈夫だよ。チョコならちゃんと入っているから」
けして細くはないのに、しなやかな指先でチョココロネの入ったビニール袋を一回転させた蓮。
そこから漂ってくるのは甘い砂糖とカカオの香り。
「チョコが戻ってきた?」
でも、確かに俺はチョコ無しコロネを買った。
もちろん、不本意ではあったが…。
チョコのないコロネなんて、ただの味気ないクルクルだよな。
とまあ、俺は何を言ってるんだか…。
とにかく、“なくなった”はずのチョコが俺の手元に戻ってきたのは事実なわけで…。
つまり、今この瞬間、蓮が整えたという事…。
「じゃあ、やっぱり購買部の幽霊は魔法悪戯じゃなくて歪理?」
「そうだね。でも、ここじゃないかも…」
カレーパンをすべて食べ終わった蓮は緩やかな雰囲気を纏いつつ、どこか鋭い視線でチョココロネを射抜いた。
おいおい。俺のチョココロネだぞ。
「えっと、食べてもいい?」
伺うようにチョココロネを掲げてみると蓮は静かに笑みを浮かべてくれる。
「もちろん。どうぞ…。今が食べ頃だからね」
旬な野菜みたいに言うのはありなのか?
とは聞けない俺は何も答えず念願のチョココロネを頬張るだけで…。
うん。お味は予想通り美味しい。
これは買って正解だよな。
「こんにちは」
二口目を味わおうとしていると優しい声が背中越しに響いた。
「海埼さん?」
まさか、彼女の方から近づいてくるなんてな。
「昨日はあの後、何もなかった?」
いやあ~。それはもう、凄い事が…。
しかし、寝室と学園が繋がりましたとはさすがに言えない。
「すこぶるよく眠れた。海埼さんはあの後も封魔夢を?」
「ええ~。全部倒したわ」
「さすがだね」
へぇ~。遭遇した封魔夢を海埼さんに助けられたって言う過去は整合性の波に消えなかったのか。
「おい。千世。呑気に遊んでいる場合か。さっさとこの馬鹿な魔法悪戯をやっている人間を探すぞ」
やはり、険しい表情の石房先輩が海埼さんを叱責する。
あれ、先輩の腕に包帯が巻かれている。
「ああ、これ?」
思わず、石房先輩に視線を向けていた俺の疑問に答えてくれたのは魔法科の方の量見君だ。
今朝、修羅場っていた陽映の君とよく似ている。
うん。血のつながりって神秘だな。
「昨日の夜に風見の棟に出た封魔夢を一人で討伐しに行ったまではよかったのに、思っていたより強敵で負傷したんだよね」
量見君は先輩を揶揄うように微笑みながら説明してくれる。
風見の棟か。これって、蓮が修復した屋上プールの不思議は“石房先輩が一人で封魔夢を倒した”という過去にすり替わったっていう解釈であってるのか?
「康介!!そこは名誉の傷と言え」
「おお~。エース様は相変わらず勇ましいこって……」
苦言を呈していても、量見君はまるで気にしない素振りで軽やかに立ち去っていく。
「全く…。あいつのあの性格はどうにかならないのか?」
「仕方がないわよ。まだ、一年生だもの」
「もう、一年だぞ。中学とは違うんだ」
大きくため息をついた石房先輩はおもむろに蓮のパンに視線を向ける。
そう言えば、よくよく考えたら、この二人が顔を合わせるのってあんまり良くないんじゃ?
また、喧嘩が始まるかも?
厳密にいえば、先輩が一方的に蓮に絡んでいるだけだが…。
「先輩。パン食べます?」
いつの間にかクロワッサンを取り出している蓮の声は静かで穏やかだ。
「ああ、貰おう」
身構えた俺の予想は大きく外れ、石房先輩は素直に蓮からクロワッサンをもらい受ける。
「気に入りました?」
「ああ…。まあな」
「パンがお好きなら、そらまどベーカリーへどうぞ」
ちゃっかり、パン屋の宣伝までしてるし…。
「機会があればな」
あれ?
先輩の雰囲気がどこか透き通っている。
心持ち、表情も緩い気が?
分かりにくいが、もしかしたら笑っているのかもしれない。
あの先輩が?
そう思うほど、俺は石房先輩を知らないけどな。
「行くぞ」
「ええ~。じゃあね。糸森君」
海埼さんは俺に一言付け加えて、魔法科のエースたちはそそくさと生徒の波に消えていく。
「仲良くなったんだね」
蓮の抑揚のない声に肩をすくめて見せる。
「昨日、彼女の戦闘を目撃したんだ。近くに封魔夢がいたみたい。それより、蓮は石房先輩を覚えているのかい?」
「う~ん。どういう事かな?彼らとは生徒指導室仲間だろう?」
「そうじゃなくて…」
今はない屋上プールで君は先輩を整えただろう?
その問いを俺は口にはできない。
たぶん、蓮も先輩も覚えていない。
俺だけが知っている昨日か…。
場に馴染む生徒達のざわめきも遠くに感じる。
また、俺だけが知る世界が広がっていくのか。
でも、まあ、それも、いいか。
石房先輩はすべてを忘れてしまったけれど、もしかしたら、どこかで屋上の事を感じ取っているのかもしれない。少なくとも、先輩が蓮に歩み寄った今の態度はそのおかげだと思いたいじゃないか。
それはそうと、親友が食べていたカレーパンは啓さん作なのか?
それとも蓮作なのか?
その辺りは気になるわけで…。
「なあ…」
「なんだい?」
「さっきのカレーパンは蓮が作った物?」
「あれは啓さんの…」
「へえ~。君は自分が作ったパンしか持ってこないと思っていた」
「カレーパンね。啓さんが得意なんだ」
「それはつまり、他のパンは蓮の方が上手いって言いたいのかな?」
「君はいじわるだな」
「おっと、失言でしたな」
蓮は流れるように水の入ったコップに口をつけた。
それだけで、この場に広がる雑音が溶けていくようだ。
まあ、それはそれとして、修羅場に購買部の幽霊と騒動が次々起こったとはいえ、俺の昼時はそこそこ平和に過ぎていくのである。