――「購買部の幽霊、また出たらしいぞ」
――「ただの魔法悪戯でしょう?いちいち、反応しすぎ!」
俺の午後の教室、というより学園中が消えたパン類諸々お惣菜の話題で持ち切りなるのは当然の事で…。だが、まあ…そうだとしても授業中は私語を慎むのが普通の高校生というものである。
というわけで俺の学校生活はいつもとほとんど変わらないんだよな。
非日常はお昼に置いてきたかな?っていうぐらい静かで穏やかだ。
いつもと違う点と言えば、杉浦が悪びれの欠片一つなさそうに話しかけてきた事だろう。
「なあ、桜真ちゃん。これ、返しといてくれないか?」
ちなみに今は放課後である。
とか言いつつ、俺は一体誰に報告しているんだか…。
とにかく、杉浦の手には一冊の本。
「
「面白い漫画に古いも新しいもないだろ」
「それは一理ある。だからって、俺に託すのはどうかと思うぞ。それ、学園の図書館のだろ?」
「だからだよ。桜真ちゃんは図書委員なんだから」
ああ、なるほど。
俺はどうにも腑に落ちない感覚にとらわれて、思わず眉毛がつり上がった。
「お前なあ…。自分が借りた本ぐらい返しなよ」
藤里は呆れたようにマギタブレットを閉じた。
「返却期限、今日までなんだよ」
「「それは答えになってないぞ!」」
俺と藤里の声が揃ったのは予想外だった。
だからと言って、杉浦の心に届いた様子はない。
「悪いって…。この後、どうしてもジムに行かなきゃならないんだ」
「ジム?」
「マギアクトアーツの選考会が近くってさ」
――マギアクトアーツ。
魔法技術と旧来の総合格闘技を組み合わせた新種のスポーツの総称だ。
元々は戦闘魔法師の育成プログラムとして開発されたため、一般人には無縁であった。
しかし、それも20年ほど前までの話で今では持たざる者でもプロから趣味、はたまたフィットネス目的で始めている人間は多かったりする。
俺は運動は苦手なので、たぶんこの先も無縁なジャンルではあるだけどな。
「プロ目指してたんだっけ?」
「そりゃあ、なれるのが一番だけどさ。俺は選考会に通った事すらない」
「えっ!そうなの?」
失言にとられかねない驚きの声をあげたのは俺ではない。
里菜さんだ。
今日も一日中、教室にいたな。
何度も言うが、彼女にしては珍しい事である。
「俺、超弱いんだよ。だから、ジムのトレーナーにも大会に出るのはやめておけって、毎年止められるんだよなぁ」
自分で超弱いって言うタイプだったな。
杉浦は…。
「じゃあ、選考会ってもしかしてジムの?」
「だから、そうだって言ってるだろ。今年こそ、選考会に通って地区大会出たいんだよ」
そりゃあ、また身につまされるほど底辺の戦いだな。
「大事な戦いなんだね」
続々と教室を後にする生徒達のざわめきや気配をかき消すように蓮の声が通り抜けていく。
「ああ!ずっごく大事だ。今回こそは必ず!!」
「大げさすぎやしないか?」
「いいや。10代の間に一回だけいい。大会に出るのが夢なんだよ」
決意を宿した杉浦の気迫に思わず後ずさりする俺がいる。
でも、そうだよな。コイツにとっては想像する以上にきっと大切な目標なんだ。
「わかったよ。本は返しといてやるよ。図書委員としてな」
「恩にきる」
そう言えば、ジムに通っているのは知っているがマギアクトアーツ歴は知らないな。
「ちなみにどれぐらいやってたんだっけ?」
「今年で10年だ」
何食わぬ顔で答える杉浦にその場が一瞬凍り付いたようにさらに音を失くした。
「お前、本当に頑張れよ」
最初に我を取り戻したのは藤里であった。
「おっ!おおぅ…」
「うん。なんか涙出そう」
「桜真ちゃん…。それは俺が選考会に通ってからにしてくれ。というわけで行ってくる」
「ああ、頑張れ」
俺を始め、友人達に見送られて杉浦は旅立っていった。
「10年って事は小学生の大会も出られなかったって事よね。アイツ…」
帰り支度を始めている里菜さんがポツリと言葉を紡いだ。
その場に冷たい風が吹き抜けていく。
「それは言わないであげなよ」
「うん。確かに私にしても失言だったかも。じゃあ、私も帰るわ」
彼女は大きなため息をつきながら、教室を出て行こうとしていた。
一瞬、蓮に視線を向けた気もしたけれど、もしかしたら勘違いかもしれない。
「じゃあ、俺は部活に出てくる」
「また明日…」
藤里も流れるように教室を去っていく。
さて、俺も預かった本を返しに行かなくちゃな。
「蓮はどうする?」
「僕は探索かな?」
親友は当たり前のように緩やかに微笑んだ。
相変わらずつかみどころがないな。
「今度は何をする気なんだ?」
「大した事はしないよ。ただ、気になる事があるだけ…」
「歪理がらみか?」
「君の助けが必要になったら言うよ」
「俺が観測者だからか?」
「そうだね」
だからって、俺に何ができるって言うんだか。
「なあ?」
「うん?」
「俺、いつから図書委員になったんだろうな?」
「昨日は違ったの?」
「そのようだよ。これも昨日の修復による整合性なのかな?」
「君もいたの。屋上に」
「いたとも言えるし、そうでもないとも言えるかな」
厳密には俺は自室にいたわけだし…。
親友の表情が少し陰った気がした。
「大丈夫だよ。蓮はちゃんと修復した。俺はちゃんと覚えている」
「君の言葉はやっぱり、温かいな」
「なんだよ。それ。まあ、そう言う事だから。じゃあな」
俺は当たりさわりのない言葉で別れを告げ、背を向けた。
杉浦から受け取った古き漫画の表紙の感触が腕に伝わってくる。
でもまあ…。
どうして図書委員なんだかな?
俺は部活も委員会とも無縁の帰宅部だったのに…。
それでも、図書委員に立候補して満場一致で選ばれた記憶はあるから不思議だ。
忘れていくのが夜詠者なら過去が増えていくのが観測者なのか?
それに限らず、俺の周りは記憶をなくすやつばかりだよな。
俺は中庭の向こうにかすかに見えたナギルアさんにかつての友人の姿を重ねてみたりもするのであった。とまあ、感傷に浸ってみたりもするが、図書館まで意外と距離がある事に気づきちょっと、絶望してみたりもするわけで…。
なんせ、運動は苦手だからな。