勇者とは何か――――
勇者とは誰もが恐れるような困難に立ち向かう勇気ある者を指す言葉である。力がなくとも、知恵がなくとも、自分ではない誰かの為に恐怖を押し殺し戦うことができる者を讃えるためにある言葉である。
けして――――
──ゼラストラ冒険者ギルド、作戦本部
「久しぶりですね、ヴァンガード殿。」
ギルドの最上階。
作戦本部となった広間で、ギルド長シルヴァリエンが静かに言葉を紡ぐ。
「これはこれは、丁寧な挨拶ありがとう。シルヴァリエン。」
対するは、一人の老人──《猛斧の修羅》 クロウ・ヴァンガード。
普通の冒険者からすれば、ギルド長に対してあまりにも無礼な態度。
しかし、これが普通なのだ。
──たとえ王族であろうとも、遜ることはしない。
──誰に対しても、己を貫き通す。
それができるだけの力を持ち、
誰もがそれを認めざるを得ない存在──
それが、"S級冒険者"なのだ。
クロウは丁寧な所作で席に腰掛け、鋭い視線をシルヴァリエンに向ける。
「では、私が率いる部隊について説明してもらってもいいかな?」
その問いに、シルヴァリエンが淡々と答える。
「A級15名、B級50名、C級以下100名ほど。
補給部隊や治療班を含めれば、総勢200名規模の遠征部隊になります。」
「……随分と多いですね。」
クロウは苦笑しながらも、どこか楽しげな表情を浮かべる。
「つまり、"大規模戦闘"になるというわけですか……分かりました。」
クロウは腕を組み、口角を吊り上げた。
「このクロウ・ヴァンガードに、お任せを。」
──ゼラストラ支部・広場
ゼラストラの広場には、200名の冒険者が集結していた。
その光景はまるで"軍隊"。
──鎧を纏い、大剣を担ぐ屈強な戦士たち。
──魔導書を片手に、静かに魔力を練る魔法使いたち。
──弓を構え、獲物を狩るような目つきの狩人たち。
それぞれが戦場へ赴く覚悟を決め、武器を握る手には使命が込められていた。
その中央──
黒いロングコートを翻し、舞台に上がる一人の男。
クロウ・ヴァンガード。
その姿を見た瞬間、ざわめいていた広場が"静寂"に包まれる。
「……聞け。」
たった一言。
それだけで、広場の空気が凍りつくほど引き締まる。
「今回の遠征は、"未踏破のダンジョン"への挑戦だ。」
「誰一人として、生還した者はいない。」
言葉を噛み締めるように、クロウはゆっくりと続ける。
「だが──」
クロウは、不敵に笑った。
「それが何だ?」
冒険者たちは、一斉にクロウを見つめる。
「これは、"民の命"を脅かす存在だ。」
「冒険者の唯一無二の掟は、民を守ること。」
「この危機に立ち向かわずして、貴様らは本当に冒険者を名乗れるのか?」
冒険者たちは、一瞬言葉を失う。
──しかし、否定の声は一つも上がらなかった。
それどころか、熱気が広場を包み込み始める。
「そうだ、流石は冒険者諸君だ。」
クロウはゆっくりと手を上げ、広場を見渡す。
その目には戦場を見据える猛獣の光が宿っていた。
「任せろ。」
その瞬間、クロウの雰囲気が"ガラリ"と変わる。
今まで静かだったのが嘘のように、
彼の身体から圧倒的な闘気が溢れ出す。
それは嵐の前の静けさを一瞬で吹き飛ばすような威圧感。
「この《猛斧の修羅》クロウ・ヴァンガードが、
彼の背中から広がる威圧感に、冒険者たちは鳥肌を立てる。
だが、それは"恐怖"ではなかった。
──これは"興奮"だ。
──これは"期待"だ。
クロウの言葉が、冒険者たちの本能を呼び覚ましていく。
「我々は勝つ。」
「そして──ダンジョンを攻略する。」
クロウが拳を高く突き上げる。
その瞬間、解放された闘気が空を震わせるほどの衝撃となる。
「さぁ、出発だ!!」
「「「おおおおおおおお!!!」」」
数百人の冒険者たちの"咆哮"が、ゼラストラの街を震わせた。
こうして、"ダンジョン大遠征"は始まった。
──未知なるダンジョンへ。
──未知なる戦場へ。
勇気ある者たちの出撃だ。
ゼラストラの広場に響き渡った冒険者たちの咆哮は、まだ街の空気に余韻を残していた。
武具を打ち鳴らす音、仲間同士で士気を高め合う声、興奮した歓声──
熱気が渦巻き、大遠征の幕開けを告げていた。
その熱狂の渦を、一人の少年が静かに見つめていた。
彼の名は──
カイン・アスベルト。
世界から《勇者》の称号を与えられた者。
しかし、彼の瞳には不安が滲んでいた。
どこか頼りなげな細身の体。
まだ成長しきっていない背丈。
肩に背負った剣の重さが、彼の幼さを際立たせるようだった。
周囲の冒険者たちとは明らかに違う──
戦場に立つ者の顔ではない。
彼は、勇者としての責務に押し潰されそうになっていた。
カインは、意を決して歩き出した。
向かった先には、遠征の総指揮官であり、自身の師でもある
クロウ・ヴァンガードの背中があった。
鋼のように鍛えられた巨体。
長年の戦場を生き抜いた証のような無数の傷。そして、まるで大地そのもののような揺るぎない存在感。
その背中は、勇者である自分よりも遥かに大きく、重く見えた。
カインは拳を強く握りしめ、震えそうな声を無理に抑えながら言った。
「クロウ様……私も、勇者の責務を果たすため、今回の遠征に同行させてください。」
彼の声には必死さがあった。
勇者としての責務。
国や世界が自分に求める期待。
その重圧に押し潰されそうになりながらも、彼は勇者であることを示さねばならなかった。
クロウは足を止め、ゆっくりと振り返る。
そして──
彼の表情には、どこか困ったような優しさが滲んでいた。
「カイン……」
その声は低く、穏やかだった。
「あなたがここに来たのは分かる。」
「勇者として、責務を果たさなければならないと思っているのも分かる。」
「だが──」
クロウは静かに、だがはっきりと言った。
「今回の遠征は、お前を連れていくわけにはいかない。」
「なぜですか?!」
クロウの言葉が終わるや否や、カインは思わず叫んでいた。
「私よりも力のない者だって、たくさん遠征に参加しているのに勇者である私が行かなくて、どうするのですか?!」
声が震える。
拳が震える。
──焦り。
──怒り。
──悔しさ。
心の奥底から沸き上がる感情が、カインを突き動かしていた。
自分は"勇者"なのに。
自分は"選ばれた者"なのに。
それなのに──
なぜ、クロウは自分を戦いに連れていかないと言うのか?
「カイン―――」
クロウの声が、カインの激情を静かに押し留めた。
彼はその小さな肩に手を置き、まっすぐに目を見据えながら言った。
「あなたはまだ、命を懸けるということの意味を知らない。」
「だから──"駄目だ"。」
カインの胸に、重い一撃を食らったような衝撃が走る。
それは否定ではなかった。
"本当の勇者とは何か"を突きつける言葉だった。
「……大丈夫だ。」
クロウは優しく微笑む。
「私たちに任せておきなさい。」
カインは、歯を食いしばるしかなかった。
何も言い返せなかった。
いや──言い返せる言葉を持っていなかった。
クロウの言葉は、ただの拒絶ではない。
彼は本気で、自分を気にかけてくれているのだ。
だからこそ、戦場には立たせないと決めたのだ。
「……分かりました。」
カインは、絞り出すように言った。
拳を握りしめたまま、俯きながら。
クロウは彼の頭を軽く撫でると、背を向けた。
そして──
ゆっくりと歩き出す。
その背中を、カインはじっと見つめていた。
──大きい。
──自分とは比べ物にならないほど、大きな背中。
「勇者とは、どうあるべきなのか……。」
カインは思った。
今の自分は、本当に"勇者"と呼ばれるに相応しいのか?
勇者という称号が、ただの飾りになっていないか?
そればかりを考えていた。
──今の自分では、まだ足りない。
そう痛感するには、十分すぎるほどの時間だった。
やがて、クロウたち遠征部隊が門を抜け、ゼラストラの街を出発する。
──カインは、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
勇者とは何か――――
勇者とは誰もが恐れるような困難に立ち向かう勇気ある者を指す言葉である。力がなくとも、知恵がなくとも、自分ではない誰かの為に恐怖を押し殺し戦うことができる者を讃えるためにある言葉である。
だから―――けして、与えられた責務に押し潰されそうになって怯えている者を指す言葉ではない。勇者のあり方は誰かに決められるものではないのだから。