「よし、それじゃ手続きの方にいこうか。」
シルヴァリエンが机の引き出しを開け、小さな金属の板を取り出した。
それは手のひらに収まるほどのサイズで、鈍く光る銀色をしている。
「これが"
「へぇ……意外とシンプルな作りなんですね。」
「見た目はな。しかし、これは
シルヴァリエンは金属の板を指で弾き、カンッと軽い音を鳴らす。
「さて、手続きを進めようか。方法は簡単。君の血を一滴、この板に垂らすだけでいい。」
「血を……ですか?」
「そう。これによって、この冒険者証が"君専用"のものとなる。偽造や譲渡は不可能。盗まれても使い道はないから安心するといい。」
なるほど、魔法技術を利用した個人認証システムか。
確かにこれなら身分詐称はできないし、信用度は高い。
「分かりました。」
俺は指を爪で軽くかき切り、滲んだ血を冒険者証の上に垂らした。
すると──
バチッと微かな音とともに、冒険者証が淡い光を放つ。
浮かび上がったのは──
『B級冒険者
ラグナ・オラトリア 』
「……おぉ。」
「よし、これで正式に登録完了だ。おめでとう、ラグナくん。今日から君は正式な冒険者だ。」
シルヴァリエンは満足げに頷きながら、俺に冒険者証を手渡す。
「冒険者の合言葉は"民のために"。君が多くの民を救い、活躍することを祈っているよ。」
──民のために、か。
俺の信念は"自分のために"だ。
それを曲げるつもりはない。
だが、手が届く範囲で助けられる人を助けるのは……悪くないかもしれない。
冒険者として生きるなら、それもまた"自分の選択"の一つだろう。
「分かりました。今日からよろしくお願いします。」
「うんうん、素直でいい子だ。」
──ん?
シルヴァリエンの目がキラリと光った気がした。
「そんな君に、ひとつお願いがあるんだけどね。」
「……お願い、ですか?」
一気に嫌な予感が湧き上がる。
「そう、お願いと言っても正式なギルド依頼だよ。」
シルヴァリエンは頬杖をつきながら、ふわりと微笑んだ。
その表情はどこか楽しげで……企んでいるように見えた。
「君、確か"A級冒険者"になりたかったよね?」
「あ……はい。それが目標ですが。」
「それじゃあ、これは大きな実績になる。なんてたって"勇者の師"という肩書きが手に入るんだから。」
「──は?」
俺の脳が、一瞬、思考停止する。
「だから、君にお願いしたいんだ。この街にいる勇者、カイン・アスベルトの師になってあげてほしいんだよ。」
「勇者の……師?」
何言ってんだ、このギルド長。
さっき冒険者になったばかりの俺が、いきなり勇者の師匠になる?
いやいや、意味がわからない。順番を間違えてないか?
「えぇ、そうだよ。」
俺の混乱を楽しむように、シルヴァリエンはニコリと微笑んだ。
その飄々とした態度の裏に、"狡猾な意図"が隠れていることは明らかだった。
「だ、大体、俺なんかが勇者の師なんて無理ですよ! 他に適任者がいるでしょう!?」
「うーん、確かにそうだね。でも、今のところカインくんには適切な師がいないんだ。」
「いないって……勇者を育てるのって王国の使命じゃないんですか?」
「うん、もちろん王国も色々手を尽くしてるよ?けれど、勇者とは強力な切り札だ。どこか一つの陣営が肩入れしてしまうと 派閥争い繋がってしまう。だから、ギルドが頼まれたんだよ。それに、彼自身にも問題があるんだ。」
シルヴァリエンは軽く肩をすくめた。
「カインくんは才能はあるけど、"勇者"という重圧に押し潰されかけてるんだよ。」
「……重圧?」
「そう。彼は勇者という肩書きのせいで、他の誰よりも強くならなきゃいけないと必死になってる。でも、勇者だからといって必ずしも最強になれるわけじゃない。そういう現実を受け入れられず、どこかで挫折する可能性があるんだ。」
「それで、俺が師匠?」
「うん。"君"なら、カインくんに必要なことを教えられると思う。」
シルヴァリエンの瞳が鋭くなる。
「だって、君──"敗北を知っている"だろ?」
その言葉に、俺の心臓が跳ねた。
──敗北を、知っている。
俺は、前世ではただの"弱者"だった。
何もできず、這いつくばり、殴られ、奪われ続けた"無力"な存在だった。
でも、だからこそ俺は強くなることを求め続けた。
あのダンジョンで、クロウ・ヴァンガードと命を削る死闘を繰り広げ、
最強の老戦士に打ち勝った──それこそが今の俺だ。
「カインくんは勇者だからね。」
シルヴァリエンは続ける。
「皆が彼を特別な存在として扱い、最強であることを求める。でも、それは呪いでもあるんだ。最強であるべき存在が敗北を許されると思う?」
──否。
勇者は勝たなければならない。
負けることなど許されない。
それが、周りの精神的柱となるのだから。
「でもね、ラグナくん。」
シルヴァリエンは微笑む。
「君は知っている。"敗北"を。"無力"を。そして──"這い上がる方法"を。」
俺は、ギルド長の言葉を黙って聞きながら、心の奥に湧き上がる感情に気づいた。
これは、単なる依頼じゃない。
これは──俺自身の過去との対峙でもある。
「……考えさせてもらっていいですか?」
「もちろん。ただ、なるべく早めに返事をくれると助かるよ。」
「……分かりました。」
シルヴァリエンは満足そうに頷いた。
「じゃあ、今日はもう遅いし、宿を取るといいよ。"例の件"の答えはまた明日聞かせてくれ。」
俺は深く息を吐きながら、ギルド長室を後にした。
──"勇者の師"、か。