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第36話 クソガキ育成日記「修行場所は樹海の渓谷」

朝の光が窓から差し込み、部屋の空気をゆっくりと温めていく。  

 眩しさに目を細めながら、俺はゆっくりと上半身を起こした。  


「……朝か。」  


 昨夜は狩れるだけ魔物を狩った。  

 黒狼の群れを狩り、森の奥の魔物にも手を伸ばしてみたが、思ったよりも収穫は少なかった。  

 万装珠玉の魔力蓄積量も、それなりには増えたが……まだ足りない。 


 慎重に行動しなければならないのは分かっている。  

 この世界は、ゲームやラノベのように主人公補正があるわけじゃない。  

 死は現実で、失敗は即ち終わりだ。  


 だが――  


「よし、そうと決まったら、一番難しい場所に挑戦するか。」  


 ──おい、言ってることとやってることが違うって?  


 慎重に行くべきと言いつつ、最難関に挑もうとする矛盾。  

 だが、理由がある。  


 ……何か嫌な予感がする。  


 胸の奥に、どこか落ち着かない感覚がこびりついている。  

 まるで、嵐の前の静けさ。  

 何か大きな出来事が、このゼラストラで起こるような──そんな漠然とした不安感。  


 ……この感覚は、以前にもあった。  


 クロウ・ヴァンガードと戦ったあの時。  

 絶対に死ぬという確信にも似た直感が、全身を駆け巡った時と同じ感覚。  


 いや、それ以上に強烈な警鐘が鳴っている。  


「……なら、急ぐしかねぇな。」  


 俺はベッドから飛び起き、身支度を整えると宿の一階へ向かった。  




「おはよう、お兄さん!」  


 カウンターの向こうから、朗らかな声が飛んできた。  

 そこに立っていたのは、宿屋の少女だ。  


 茶色の髪をゆるく結び、大きな瞳を輝かせながらこちらを見ている。  

 いつものことながら、その笑顔にはどこか含みがある。  


「今日もカッコいいね!」  


「……お前な、朝からテンション高ぇな。」  


「それが私の魅力だからね♪」  


 まるで俺の行動を把握していたかのようなタイミングで話しかけてくる。  

 こいつ……やっぱり何か知っている気がする。  


 まぁ、それは後でじっくり考えるとして。  


「そういえば、名前を聞いてなかったな。」  


「うん? そうだったっけ?」  


「俺はラグナ・オラトリア。お前は?」  


「そうか、普通は自己紹介いるか……私はソルフィー、だよ。」  


 普通は自己紹介がいるか…ね。  

 ……やっぱり怪しい。  


「そうか、よろしくな。とりあえず、これ前金の銀貨20枚。」  


 俺は懐から銀貨を取り出し、カウンターに置いた。  


「おぉ~、しっかり稼いでるね!」  


「まぁな。追加で20日間頼む。」  


「任せて! それじゃあ、朝ごはん用意するね!」  


 ソルフィーはスキップするように厨房へと消えていく。  


 何か隠しているのは間違いない。  

 だが、それを詮索するのは後回しだ。  


 今は、強くなることが最優先。  




 朝食を軽く済ませ、俺はギルドへと向かう。  

 昨日と同じように、街の活気はまだ戻っていない。  


 大遠征の失敗により、多くの冒険者が死に、都市全体が喪失感に包まれている。  

 だが、それでもこの街の歯車は回り続ける。



「さて――今日も狩りに出るとするか。」  


 俺はギルドの扉を押し開けた。



 朝のギルドは閑散としていた。  

 酒場の奥から、まだ酔いの抜けきらない冒険者たちが唸る声が聞こえてくる。  

 だが、それ以外に目立った動きはない。  


 カウンターには、すでに"受付嬢"ミーア・カサンドラが座っていた。  

 書類を整理しながら、忙しなく仕事をこなしている。  


 俺はその前に立ち、手短に切り出した。  


「おはようございます。何か依頼ありますか?」  


「おはようございます、ラグナさん。昨日も夜遅くまで戦っていたのに、朝から立派ですね」  


 ミーアさんは微笑みながら、書類から顔を上げる。  


 ……が、その表情はすぐに呆れへと変わった。  


「でも、依頼の前に、一つ忘れていることはありませんか?」  


「……忘れていることですか?」  


 何か約束してたっけ?  


 首を傾げる俺に、ミーアさんはため息をついた。  


「もう、本当に忘れているんですか? あなたは今、大事な依頼の最中ですよ。」  


 そう言うと、受付の奥から見覚えのある銀髪が現れる。  


「……っあ。」  


 俺は思わず声を詰まらせた。  


「おはようございます、師匠。」  


 そう、クソガキこと勇者カイン・アスベルトが、神妙な顔つきで立っていた。  


「……あぁ、もちろん覚えてます。」  


 俺は表情を変えずに、ミーアさんの視線を交わしながら適当に誤魔化す。  


「本当に信用できないですねぇ。お願いしますよ? この子は国の未来なんですから。」  


 ミーアさんは呆れたように微笑みながら、俺の背中をポンと叩いた。  


 ……このクソガキ、ミーアさんに言いつけやがったな。  


 後で覚えてろよ。  




「そういえば、一つ聞きたいことがあるんですが。」  


 俺は話題を変えるように、ミーアさんに尋ねる。  


「何でしょう?」  


「このゼラストラ周辺で、絶対に近づいてはいけない危険な場所ってありますか?」  


「……何でそんなことを?」  


 ミーアの表情が一瞬強張る。  


 そりゃそうか。  

 普通の冒険者なら危険地帯には近寄らない。    


「いや、知らないうちに近寄ってしまったらマズイので、念のために聞いておこうかなと。」  


「……なるほど。それなら――」  


 ミーアさんは少し考えた後、慎重な口調で話し出す。  


「まず、この世界には九大迷宮インヘェリア・ダンジョンと呼ばれるダンジョンがあります。王国にあるその中の一つ、冥識の迷宮メメント・モリは絶対に近づいてはいけません。」  


九大迷宮インヘェリア・ダンジョン?」  


「えぇ。これは世界に古くから存在する、未だ攻略されたことのない9つの迷宮の総称です。どの迷宮も攻略レベルⅤ、つまり――人間が攻略するのは不可能とされている最恐の迷宮です。」  


 なるほど。  


 迷宮の主だった身からすると、そういう例外的なダンジョンがあるのは興味深い。  

 迷宮核が長い時間をかけて成長すれば、そういう存在になり得るのかもしれないな。  


「……で、その迷宮の周辺も危険ってことですか?」  


「そうです。樹海の渓谷ウッドキャニオンと呼ばれる場所です。」  


 ミーアの声が僅かに震える。  


「そこは、谷のような形状に広がる広大な森林で、その奥深くは冥識の迷宮メメント・モリへと繋がっています。迷宮の魔力に惹かれた魔物たちが集い、日々覇権をかけて争っている最悪の戦場です。」  


「ふむ……。」  


「特に、迷宮に近づけば近づくほど、魔物の危険度は跳ね上がると言われています。噂では超越級オーバーSの魔物すら存在する、と……。」  


 超越級オーバーS――つまり、人類にとって"災厄"とされる存在か。  


「場所はどこです?」  


「ゼラストラから南西に馬車で5時間ほど進んだところに、森の入り口があります。間違えて森に入ってしまっても、決して谷底には行かないでくださいね。」  


「了解。肝に銘じます。」  


 そういい、ギルドを出た。 


 ギルドを出た途端、カインが唐突に立ち止まった。  


「……昨日は、失礼なことを言ってしまい申し訳ありませんでした。」  


「は?」  


 振り返ると、クソガキは深々と頭を下げていた。  


「貴方の言う通り、僕には才能がないのかもしれません。けれど、それでも――僕は強くならなければならないんです。」  


 その瞳には、覚悟が宿っていた。  


「僕は、皆を守るために。勇者の使命を全うするために――そして、クロウ様に誇れるように。」 


 周りのためか…。  


 本当に俺とは真逆の存在だ。  

 だからこそ、俺はコイツが嫌いなのかもしれない。  


「分かった。鍛えてやる。」  


「本当ですか!?」  


「ただし、一つ約束しろ。」  


 俺はカインの額に指を突きつける。  


「俺の言うことは、絶対に聞け。」  


「……絶対に、ですか?」  


「あぁ。俺はお前の師匠だからな。」  


 俺の言葉に、カインはしばらく逡巡し――やがて力強く頷いた。  


「……分かりました。それで強くなれるなら。」  


「なら、決まりだ。」  


 俺は軽く肩をすくめると、ニヤリと笑った。  


「それじゃあ、行くぞ。」  


「え、どこに――」  


「死ぬほど鍛えるには、最適な場所があるだろうが。」  


 カインが息を呑む。  


「ま、まさか……!」  


「そのまさかだ、樹海の渓谷ウッドキャニオンへ行く。生き残れたら褒めてやるよ。」



 こうして、勇者育成の地獄が幕を開けた。

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