ゼラストラから南西に馬車で五時間。
けど、そんな危険地帯にわざわざ向かう物好きな御者がいるとも思えないし、そもそも馬車なんかにのんびり揺られてる暇もない。
どうするか考えながら街を歩いていると、後ろからバタバタと暴れる気配。俺に引っ張られているクソガキが、しつこく文句を垂れていた。
「行けません! ミーアさんも『あそこには近づくな』って言ってたじゃないですか!」
うるさいな。
「いいか、クソガキ。お前には才能がない。だから、普通のことをしてたら強くなれねぇんだよ。危険は覚悟の上だろ?」
「けど……」
「──ああ、うるせぇ! 俺の言うことは全部聞くって言ったよな?」
「……わ、わかりました……」
ようやく観念したか。さっきから周りの視線が刺さりまくってたんだよな。まあ、街中で子供が子供を引きずって歩いてりゃ、そりゃあ目立つわな。
ふと、路地の方に目を向けると、そこに妙な行列ができていた。その先では、道化の衣装を着た男が何かしている。
「おい、クソガキ。あれは何だ?」
「あれって、あの路地のですか?」
「ああ、そうだ」
「あれは……相談屋です」
「相談屋?」
「はい。大遠征の後、街に来た道化の男が開いてる屋台で、何でも相談に乗ってくれるそうです。しかも、相談をした人は願いが叶うって噂が──」
「──願いが叶う、ねぇ」
怪しさ全開じゃねぇか。よく行くもんだ。
まあ、俺には関係ないが。
そうこうしているうちに、街の門にたどり着く。
樹海の渓谷までは、ここから南西へ進む必要がある。
「で、どうやって行くんですか? 馬車が乗せてくれるとは思いませんけど……」
「ああ、だから──走ることにした」
「走るんですか!?」
クソガキが驚いているが、当然だろ。馬車なんか待ってられねぇ。
俺は静かに息を整えると、魔力を体内に巡らせる。
『炎雷支配 炎魔法──炎鎧』
瞬間、全身を覆うように紅蓮の魔力が灯る。
筋肉が熱を帯び、神経が研ぎ澄まされ、身体が軽くなる。
「す、すごい……これだけの魔法をこんな短時間で発動できるなんて……!」
驚くクソガキを無視して、俺は続ける。
「で、お前はどうする? 俺のスピードについてこられんのか?」
「無理です。僕はそんな魔法、使えませんし……」
「……しゃあねえ、背負ってってやるよ。舌を噛んでも知らねぇぞ」
そう言って、クソガキの体を軽く担ぐと──
「う、うわっ──ちょ、まっ、えぇぇぇぇぇぇ!?」
そのまま、一気に加速する!
風を切り、視界が流れ、地面が飛び去る。
街の喧騒が一瞬で遠ざかり、ただひたすらに南西へと駆ける。
──
―――――
──二時間後。
樹海の渓谷の入り口と思われる場所に、俺たちは立っていた。
森の奥からは、まるで脈打つような魔力の高鳴りが響いてくる。
悍ましいほどの魔の気配。
けれど、それが妙に心地よく感じるのは、俺が魔物だからなのかもしれない。
「やっぱり……危なくないですか?」
後ろでクソガキがゴチャゴチャとうるさい。
「お前、勇者なんだろ? こんなことでビビってどうする?」
「……そうですね。僕は勇者だ。だから、強くならなければ……」
チョロいな。
適当に焚きつけて、クソガキを引き連れながら森の奥へと足を踏み入れる。
それにしても、おかしい。
この渓谷には魔物が溢れていると聞いていたが──妙に静かすぎる。
周囲には確かに濃厚な魔力が満ちているのに、魔物の気配がほとんどない。
不意打ちを警戒しながら慎重に進んでいくと、
突如、視界が開けた。
目の前に広がるのは、断崖絶壁。
そして、その遥か下には──
「……はは、なんだこりゃ」
視界を埋め尽くすほどの魔物、魔物、魔物。
地面なんて見えやしない。
蠢く群れが、互いに喰らい合い、血を撒き散らしながら終わらぬ戦いを繰り広げている。
まさに蠱毒の巣窟だ。
ここが渓谷の入り口だからか、魔物のランクはE級からC級といったところか。
とはいえ、この数だ。A級冒険者だろうと無事で済むとは思えない。
「これは……本当に死にます。引きましょう」
クソガキが青ざめた顔で言う。
が、そんなの知ったこっちゃねぇ。
「……そうだな。じゃあ──」
そう言いかけると、クソガキの顔が安堵に緩んだ。
が。
「──一度死んでこい」
次の瞬間。
俺の足が振り抜かれた。
「え……?」
クソガキは何が起こったのか理解する間もなく、弾かれたように崖下へと転がり落ちていく。
「う、うわああああああああああああ!!??」
絶叫が谷間に響く。
俺はその様子を見下ろしながら、肩をすくめた。
「俺はもう少し奥で修行する。生きてたら、帰りに拾ってやるよ」
そう言い残し、俺は一人、樹海の渓谷の奥へと歩を進めた。
──本当の地獄は、まだこの先だ。
クソガキを蹴り落としてから、俺はさらに奥へと足を進めた。
歩を進めるたび、森の空気は重く、濃く、禍々しく変化していく。
魔力の濃度が増し、底から響くような咆哮がこだまする。
──魔物のランクも、確実に上がってきている。
谷底を覗き込むと、下に蠢いているのは先ほどよりも格段に強そうな連中だ。
鋭い牙を持つ魔狼、体躯の大きなオーガ、複数の触腕を持つ異形の影。
「……B級ってとこか」
まあ、ちょうどいい。
俺は息を整え、目を閉じる。
そして、魔力を巡らせる。
『炎雷支配 炎魔法──炎鎧』
紅蓮の焔が体を包み込む。
『炎雷支配 雷魔法──紫電ノ見切り』
紫電が脳内を駆け巡り、思考が研ぎ澄まされる。
全身が熱を帯び、神経が鋭敏になり、視界が鮮明に広がる。
心臓の鼓動が徐々に高鳴り、全身が戦闘態勢に入る。
──準備は万端。
俺は、崖際で静かに息を吐いた。
「……ここにするか」
そう呟くと、地面を力強く蹴りつける。
ドンッ──!
爆発的な推進力とともに、俺の体は一気に宙へと舞い上がる。
疾風のように空を裂き、雷のように加速する。
一直線に、魔物の渦巻く戦場へと──
墜ちた。