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第41話 クソガキ育成日記「九死に一生」

「……これは、ないだろ……」


 カイン・アスベルトは空中を落下しながら、心の底からそう思った。


 全身を冷たい風が切り裂き、目の前に迫る地面が“死”の確実さを告げてくる。  

 走馬灯のように蘇る、今朝の出来事――


 ──ミーアさんに正式な弟子入りを頼み、  

 ──嫌そうにため息を吐きながらも、ラグナがそれを了承して、  

 ──その十数分後に、自分は崖から突き落とされた。


(いやいや……もうちょっとこう……段階的に……!)


 あの人は師匠失格だと思う。それどころか人としてもどうかしている。鬼か何かじゃないかと思う。

 そんな愚痴すら、激突の衝撃とともに吹き飛んだ。


「ぐっ……!」


 咄嗟に受け身を取ったものの、全身に広がる鈍い痛み。  

 呼吸が浅くなる。肺が押し潰されたような感覚――だが、それすら一瞬で吹き飛ぶ。


 ――殺気。


 まるで濁流のように、足元から襲いかかってくる悪意の奔流。  

 見回すと、そこは獣と魔物の巣窟。目に映るのは、赤く光る無数の瞳。


「……ウソだろ……?」


 思考するより早く、体が剣を構えていた。  

 黒狼が一体、獰猛な唸りをあげて飛びかかってくる。  

 本能だけで反応し、斬り裂く――その直後、背後から来たゴブリンの首も、反射的に跳ね飛ばした。


「な、にこれ……! こんな数……!」


 足を止めれば、囲まれて終わり。  

 剣を止めれば、死ぬ。  

 呼吸するたびに、地獄の熱気が肺を焦がすように入り込んでくる。


 一匹一匹は、確かに弱い。E級だ。  

 けれど、数が違う。量が、常識を遥かに超えている。


「ラグナさん……おかしいでしょ、これ……!」


 泣き言すら、剣戟の音に掻き消される。  

 次々に飛びかかってくる魔物たちを、必死に斬り、避け、押し返す。


 何度転び、何度斬られ、何度呻いたか。  

 だが、それでも、止まることだけはしなかった。


(……これが……地獄の修行……!)


 止まれば死ぬという命を犯すような緊張感で手を動かし続ける。

 それでも、疲労が少しずつ体を蝕む。終わりが見えない絶望感に思考が鈍くなる。



 泣き言をこぼしそうになる心に鞭を打ち続け動き続けた。


 数十分後、魔物の群れが少しずつ少なくなってきた。

「これで終わりか?!」

 そう思った次の瞬間――


 突如、周囲の魔物たちが動きを止めた。  

 緊張が張り詰めた空気の中、彼らが一斉に“奥”を向く。


「……え?」


 その先から、信じられない光景が現れた。


 巨大な牙を持つオークジェネラルが、他の魔物を喰いちぎりながら現れる。  

 影の中からにじみ出るように、暗黒狼がこちらを見据え、唸る。  

 その後ろには、オーガ、バーサルボア、影魔、そして名も知らぬ異形の影――  

 どれもC級、単独で討伐任務が組まれるクラスの化け物たち。


(……冗談、だろ?)


 ゾッとするほどの格の違い。  

 戦場が、一瞬で死の試練へと変貌した。


「これ、マジで死ぬって……!」


 足がすくむ。心が凍る。



 ――――




 オークジェネラルの棍棒が大地を砕く。  

 土砂が舞い、耳をつんざく衝撃音が響く。


「くっ……!」


 カインは紙一重でその一撃を避け、転がるように地を這った。  

 剣を支えに無理やり体を起こすが、膝は震え、呼吸は荒れ、視界が霞んでいる。


 体力は、もう限界だった。


 ──それでも死んでいない理由は、たった一つ。


 魔物たちが、互いに殺し合っているからだ。


「……ハァ、ハァ……俺なんて……本当にただのネズミじゃないか……」


 周囲は戦場ではなく、もはや魔獣の闘技場。  

 オークジェネラルが暗黒狼を叩き潰したと思ったら、影から出てきた他の暗黒狼に首を食いちぎられる。そしてその暗黒狼の背を影魔が影の刃で貫く。


 C級の魔物たちが、獣性のままに殺し合いを繰り広げるその足元――  

 カインは、血まみれになりながらも必死に逃げ回っていた。


(見逃されてる……そう思うしかない……)


 無力感に苛まれながらも、生への執着だけが足を動かす。


「ぐっ……!」


 影魔の刃が腕をかすめ、鮮血が宙に舞った。  

 痛みを振り切り、他の魔物の死角へと身を滑らせる。


(止まるな……止まったら、終わる……!)


 その時だった。


 地響きとともに、轟音が訓練場全体を揺るがす。


「……え?」


 爆発音。耳が一瞬、何も聞こえなくなった。  

 砂塵が辺りを覆い、爆心地を飲み込んでゆく。


(まさか……ラグナさん……?)


 一瞬、希望の火が胸にともる。  

 だが――その想像は、打ち砕かれた。


 そこに立っていたのは、少女だった。


 爆心地の中心で、顔を伏せ、ひとり棒立ちになっている。  

 服は灰に染まり、長い髪が無風の中で揺れていた。


「な、に……?」


 思考が追いつかない。  

 だが魔物たちは、彼女を“危険”と判断したようだった。


 一斉に、殺意が少女へと向けられる。


「──危ない!!」


 考えるより先に、体が動いていた。


 オークジェネラルの頭上へ、聖属性を帯びた剣を投擲。  

 瞬間、魔力を全開放し、剣へと一気に飛び乗る。


「ッ──せいやああああああッ!!」


 聖なる光が尾を引き、閃光の軌跡が夜のような戦場に一筋の希望を描く。


 投げつけた剣を魔力で蹴り飛ばすと、それはまるで流星のように加速し、  

 オークジェネラルの眉間を穿ち、頭蓋を貫通して爆ぜる。


 ──魔物、絶命。


 死体が崩れる前に地を蹴って跳躍し、剣を引き抜きながら着地。


 少女の前に、背を向けて立つ。


(ああ、バカだ……自分でもわかってる……)


 恐怖に震えながらも、カインは剣を握る手を強く握り締めた。


「……下がってろ。ここから先は、僕の戦場だ」



(立て。カイン・アスベルト……!)


(お前は、勇者だろ……!?)


 仲間を守れなかった。  

 尊敬する師匠すら、守れなかった。  

 だから、ここで逃げたら、何もかもが終わる。


「来いよ……!全部、斬ってやる!!」


 叫びは、恐怖を上書きする覚悟の印。  

 C級魔物の波が、彼の命を刈り取るように襲いかかる――












『空間魔法―――虚空』


 目を閉じて開くそんな、そんな本当に刹那で目の前の魔物が全て消え去っていた。



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