ゼラストラの街にたどり着いた頃には、もう夕日が街並みに長い影を落としていた。
一歩足を踏み入れると、旅の疲れと共に、どこか安堵の空気が胸を満たす。
「お、坊主。今日は帰りが遅いな」
門番のおっちゃんに軽く手を振り、冒険者証を見せて通過。
こういう時、身分証明ってやつがありがたみを持つ。
街の中心、いつもの冒険者ギルドに足を運ぶと、夜のにぎわいがすでに始まっていた。
ギルド内は、酒を片手に語らう冒険者たちで溢れ、ミーアの受付には相変わらずの長蛇の列が出来ている。
列に並びつつ、俺は隣にいる少女――リシェルに声をかける。
「そういえば、名前はリシェルで合ってたな? ところでさ、お前……一体何者なんだ?」
目の前で魔物を文字通り消し飛ばした彼女に、俺は単純な好奇心というより、純粋な疑問をぶつけた。
だが、彼女は肩をすくめ、ふわりとした微笑みを浮かべながら答えた。
「私? 私は……あなたと同じ、冒険者だよ」
――冒険者?
それだけじゃ説明がつかない。カインが見たという、周囲を巻き込まず一瞬で魔物を殲滅する力。
それが、ただの冒険者で説明がつくはずがない。
「冒険者って……ランク、いくつなんだ?」
彼女が本当に冒険者なら、ギルドから与えられているはずだ。冒険者証と、そこに刻まれたランク。
そのランクが、強さの一つの指標になる。
「ああ……もしかして、前にもらったカードに書いてあった文字のこと?」
リシェルはポーチをまさぐりながら、のんびりとした口調でそう答えた。
「ちょっと待っててね。確かここに――」
その瞬間だった。
「ど、ど、どうしてここに……貴方様が……」
受付の奥から、普段はどんな相手にも動じないことで有名なミーアの声が震えた。
彼女の目は、リシェルの顔をとらえている。
ギルド内のざわめきが一瞬で静まり返る。
「……夢幻ノ深淵である貴方がなぜゼラストラに……?」
ミーアさんが思わず口からこぼしてしまった彼女についている二つ名が、空気を張り詰めさせた。
“夢幻ノ深淵”──
彼女がゆっくりと取り出した冒険者証には、見間違うことなくこう刻まれていた。
冒険者で知らぬ者はいない伝説級の存在。
【SSランク】
冒険者の最高峰。
存在しないのではないかとまで囁かれていたその称号が、今、目の前の少女の名と共にあった。
「え、SSランク……?」
―――――
「ラグナさん、私ははっきりと言ったはずですよね?
ギルドの応接室で、怒りに燃えるミーアの声が部屋中に響き渡った。
「ま、まぁまぁ……僕は無事でしたし……」
と、場をなだめようとするカイン。だが。
「勇者様は黙っていてください」
ビシッと一言。
「は、はい……」
チッ……マジで使えねぇクソガキだ。
「……聞いてますか? 貴方のことを言っているんですよ、ラグナさん」
「い、いや、その……はい、すみません……」
完全に何も言い返せない。というか、言い返せない空気を纏っている。それがミーアという女だ。
他の奴なら屁理屈の一つでもこねられるが、なぜか彼女には誰も逆らえない。
「まぁ、今回は無事だったから良かったものの……とにかく、買取は完了しています。報酬は後で取りに来てください」
「りょーかいです」
その時、ギルドの奥の部屋から、いつもののんびりとした笑い声が聞こえた。
「おぉ、おぉ。こりゃまた盛大に怒られてるねぇ」
ギルド長の登場。リシェルの案内を終えて戻ってきたらしい。
「ギルド長、ラグナさんにもっと言ってやってくださいよ。毎回なんですよ、毎回!」
「ふむ……まぁ、ラグナは何を言っても聞かないからな。見守るしかないね、うん」
ハハハ……ばれてらぁ
ラグナは肩をすくめて笑うが、その目はどこかしたたかだ。
――あんな美味しい狩場、見逃すわけがない。怒られるくらい、むしろご褒美みたいなもんだ。
「それより……リシェル様は、しばらくゼラストラに滞在されるそうだ」
その言葉に、ミーアさんの空気が一変した。
「……な、なんですって」
《夢幻ノ深淵》──SS級冒険者。
たった一人で国家すら滅ぼせる、異次元の存在。
そんな存在がゼラストラに“滞在”する。それは、まるで竜が人里で昼寝するようなものだ。
SS級というのは、制御不能な力を持つ存在を、特別待遇で管理するために設けられた称号。
この世界に五人しかいないくて互いに牽制しあうことで、世界がバランスを保っていると言われている。
もし誰か一人が牙を剥けば、他のSS級が討伐に動く──
それが、この世界の決まり事だ。
そしてリシェルの持つ二つ名は《夢幻ノ深淵》。
空間魔法の使い手で、その能力の詳細は未だに未知数。
一説では、彼女が本気を出せば、国ひとつを地図から消せるとも言われている。
「それで……その化け物のような存在が、うちのギルドに……?」
クソガキが、ぽつりと呟く。
「SS冒険者の考えることは分からないよ、それを考えるということはなぜ天災が起きるのかと考えるのと同じことだからね」
──"天災"
人が抗えない理不尽の象徴。
洪水や地震、疫病みたいなもののことを人は天災と呼ぶ。
それと同列に語られるのがSS級冒険者…《夢幻ノ深淵》の名を持つリシェルのようだ。
「彼女、何か探してたみたいだよ」
リシェルを見送ったギルド長が呟くように言った。
「見ておきたい人がいるんだとか。……もう目的は果たしたのか、それともこれからか……」
探してる……?
そんな存在がこの都市に?
それが誰かは分からない。けど、胸の奥に渦巻いてた不安が急に形を成し始めた気がした。
……まるで、何かがじわりと這い寄ってきているような。
「ったく、嫌な空気だな……」
ゼラストラで何が起きようとしてる?
そう感じた瞬間だった。
──ギィィィンッ!!
ギルドの重い扉が、誰かに叩きつけられるように開いた。
一気に広がる外の風と、飛び込んできた冒険者の荒い息。
「た、大変ですッ!! ギルド長!! 街に──幽鬼が出ましたッ!!」