「……はぁ。もうミーアさんの説教は懲り懲りだ……」
ようやく終わった。
気づけばギルド内はすっかり静まり返り、先ほどまでいた冒険者たちは誰一人として残っていなかった。
宵闇に包まれたゼラストラのギルドホール。
明かりだけが虚しく灯り、窓の外では月が静かに浮かんでいる。
「……ったく、どこまで説教続くんだよ」
肩を回しつつ、ギルドの扉をくぐる。
そのまま、いつもの宿天使の羽亭へ向かうべく、夜の街を歩き出した。
今日一日で、さすがに体は重い。
普段なら寝静まっている時間帯だが、今日のゼラストラの街は、幽鬼騒ぎのせいかまだ騒がしかった。
昼間なら賑やかな露店が並ぶ通り。そこに、浮いたように人の輪ができていた。
その中心で、ローブ姿の男が街灯に照らされながら、神懸かりのように演説を続けている。
「――皆さん、救われたいのであれば、聖なる迷宮へ還るのです!
……ああ、また出たな。宗教か。
疲れた頭でも理解できる。
こうやって世の中がざわつき始めると、どこからともなくこういう奴らが湧いてくる。
聖なる迷宮? 笑わせんな。
あんなの、ただの地獄の門だ。
俺は実際に
地面は呻き、風は逆流し、魔物の気配だけが蠢いていた。
あの宗教家が迷宮の中を見たことがあるとは到底思えねぇ。
本物を知らない連中ほど、無責任に救いを語りたがる。
そして、そういう奴ほど人を巻き込む。
(まぁ、勝手に騙されて野垂れ死ぬ分には……知ったこっちゃねぇ)
俺は興味を切り捨てて、そのまま素通りした。
――――
「おやおや、お兄さん、遅い帰りだねぇ。今日はずいぶん働いたんじゃない?」
天使の羽亭の灯りの下で、いつものあの子――ソルフィーがにこやかに立っていた。
相変わらず夜遅くまで受付に立っている彼女に、俺は自然と笑みを返す。
「お前の方こそ、こんな時間まで大変だな」
「ううん。お兄さんほどじゃないよ。ご飯は食べるかい?」
「いや、今日は疲れたから大丈夫だ。」
「私が愛を込めて作った夕飯を食べられないというのかい?まさか、私がほしいの?」
「しょうもないこと言ってるな、後十年経ってから出直すだな」
そんな軽口を交わしつつ、俺は宿の階段を登り、扉を開け、部屋へと足を踏み入れた。
ドサッ。
ベッドに飛び込んだ瞬間、布団の柔らかさに意識が沈みそうになる。
けれど――眠る前に、今日一日を振り返ろうと思う。
リシェルとの邂逅。
幽鬼の討伐。
どれもが、どこか不自然で、どこか異様だった。
特に――幽鬼。
強くはなかった。
俺とカインが本気を出すまでもなく、正直、対応は容易だった。むしろ他の冒険者でも魔法さえ使えたら十分対応できただろう。
C級の雑魚が束になったところで、聖属性と魔法火力があれば充分だった。
でも、俺の中でずっと引っかかってる何かがある。
何だ……?
あいつら、確かに脆かった。けど、あれがただの自然発生なら、数が異常すぎる。纏っていた魔力も意図して流し込んだ腐った魔力の残滓だったような……
それに、大きな何かを見落としている気がする。
(――わかんねぇ。情報が足りなさすぎる)
ギルド長の言葉が脳裏をよぎる。
――『この幽鬼騒ぎで、何か気づいたことはない?』
あれはただの問いじゃない。
ギルド長は、俺の中に芽生えてる違和感を見抜いていた。
もしかして、あの人はもっと深くを知っている……?
「……今度、聞いてみるか」
まだ寝付けない目をゆっくりと閉じながら、そんなことを思った。
情報を集めるなら、まずはギルド長からだ。
あの意味深な目。
そして、言いかけた何か。
俺の中の嫌な予感が日に日に増していく。
けれど、その答えに辿り着くのは、まだ先の話だ。
「……明日も、めんどくさそうだな」
そんなぼやきを最後に、俺は静かに意識を手放した。
――――
朝の冷たい空気を切り裂くように歩きながら、俺はギルドの扉を押し開けた。
中では、すでに仕事モードのミーアさんがカウンターに立っている。
「おはようございます。ギルド長、いますか?」
「おはようございます。ギルド長は、何日かゼラストラを離れるそうです。急な用事ができたとか」
「……マジか。聞きたいことあったんだけどだな」
まぁ、仕方ない。ギルド長という地位についているんだ仕事が色々あって忙しいのだろう。帰ってきた時に聞くとしよう。
「で、何か依頼ありますか? できればA級昇格に繋がるようなやつだとありがたいです」
俺の目的は強くなることだけど、冒険者としてSS級まで登りたいと思っている。その一歩としてまずはA級に上がる必要がある。
「ふふ、ラグナさんにピッタリの依頼がありますよ」
ミーアさんが一枚の依頼書を差し出してくる。
「黒狼の森の奥に正体不明の魔物が現れたらしく、逃げ出した暗黒狼の群れが森の外に溢れ出しています。 周辺を通る行商人が何人も襲われているんです」
暗黒狼が逃げ出すまでとは―――
「……で、その魔物は?」
「分かっていません。C級冒険者を何人も調査に送ったんですが……誰一人、戻ってきていません。他にも、黒狼の森に入った冒険者たちの消息が次々と途絶えていて……最悪、S級クラスの可能性もあると判断されています」
今の人員不足のゼラストラにとっては十分すぎる脅威だ。
「了解しました。引き受けましょう。」
「ありがとうございます。……ただし、討伐するなんて考えちゃダメですからね? 情報収集と被害抑制が優先です」
「もう怒られたくありませんからちゃんと守りますよ」
「それならいいです。……あ、それと勇者様なら、今日は行列の整理をやってますよ。」
「真面目だな、あのクソ――いや、勇者様は」
ピキッと走る視線に慌てて言葉を飲み込む。危ない、危ない。
ミーアさんにまた、説教されるところだった。
ゼラストラの門を出て、黒狼の森へと足を踏み入れる。
だが、入った瞬間に感じたのは、空気の異様な圧。
「……空気が重てぇな」
森の奥へ進むにつれ、獣の唸り声があちこちから響く。
けれどその声は、恐怖と混乱に満ちていた。
(……逃げてる?)
森の主であるはずの暗黒狼たちが、領域の外へと溢れ出しているのは、まさしく異常事態。それに、奥に行くにつれて暗黒狼の死骸が所々に転がっている。
焼かれた跡、抉られた骨、魔力による貫通痕、斬られた肉――
「魔法、棍棒、刃物……様々な攻撃手段があるみたいだ。ずいぶん派手に暴れてんな」
倒された魔物たちの死に様は、生半可な腕じゃ出せないものばかり。
こんなことができるのは、限られている。
──そんな時だった。
森の奥から、数人の冒険者がボロボロの姿で転がるように逃げてきた。
「助けてくれー!!化け物が、化け物が追ってくる」
その声と共に、異様な殺気が風を裂く。
ズガァァンッ!!!
炎の大斧が振り下ろされ、ひとりの冒険者が地ごと両断された。
「!?」
余波で吹き飛ばされた冒険者は立ち上がろうとしたが次の瞬間、水面のように滑らかな一太刀が首を飛ばす。
続いて雷光を纏った金棒が、残った冒険者をまとめて叩き潰す。
「……この魔力……まさか、お前ら……」
血飛沫の向こう側から現れたのは――見覚えのある顔ぶれだった。