眼前に迫るのは、重たく、暴力的な一閃だった。
――来る!
反射的に地を蹴る。転がるように身を翻し、死の刃を寸前で躱す。
けれど、逃げた先にもまた――鉄塊めいた大斧が振りかぶられていた。
「っぐ……!」
咄嗟に姿勢を捻り、身体を押し潰すような衝撃を辛うじてかわす。
だが、それだけで済むわけがない。
魔力を使い切った今の俺には、身体強化すら満足に行えない。
足は重く、筋肉はきしみ、心臓は今にも破裂しそうだ。頭の奥で警告音が鳴り響く――限界だと。
それでも、這いつくばり、足を動かし、刀を振るう。
振り下ろされる斧の一撃を、渾身の力で刀身に滑らせ受け止める。
金属が軋む、火花が散る。
だが、刀を止めたその瞬間――俺の動きも止まった。
囲まれていた。
周囲を取り囲む、十を超える偽クロウたち。
一斉に、大斧を振りかぶる。逃げ場などどこにもない。
マズい……! 完全に詰んだ――!
その瞬間だった。
胸元の
次の瞬間、濁流のような魔力が、怒涛の勢いで身体中に流れ込んだ。
「なっ――!?」
思考が追いつくよりも早く、体が動いていた。
魂に刻み込まれた、無数の戦いで身体に染みついた魔法を、無意識のうちに起動する。
『炎雷支配 炎魔法――炎鎧 雷魔法――刹那ノ見切り』
魔力が、爆発する。
全身が焼けるような熱と、走る雷光に包まれる。
そして、振り下ろされる死の大斧より一瞬早く、俺は包囲をぶち破った。
飛ぶ。跳ねる。抜ける。
空気を裂き、偽クロウたちの隙間を縫い、距離を取った。
はぁ、はぁ、と荒い息を吐きながら、俺は自分の体に起きた変化を理解しようとする。
「……何が、起きたんだ?」
確かに感じる。
けれど、俺は誰一人、倒してなどいない。
偽クロウも、贋零屍人も、どんだけ倒してもすぐに復活することは分かっている。
――じゃあ、なぜ、魔力を吸収できた?
分からない。
けれど今は、疑問を抱く暇すら惜しい。
何より、溢れ出す魔力が、それを証明している。
なら――感謝しろ。ただ、今を活かせ。
『――加重奏・二重奏』
さらなる強化。
『――加重奏・三重奏』
さらに高みへ。
『――加重奏・四重奏』
肉体が悲鳴を上げる。骨が軋み、血管が弾けそうだ。それでも止めない。
使っても、使っても、減らない。
「っはは……ッ、いい、いいぞ……!」
高揚する。
全身を満たす魔力の奔流が、心を焼き尽くすほどに熱い。
思い出すのは――あの時。
クロウ・ヴァンガードとの、死闘。
限界を超えてなお、力を振るい続けた、あの瞬間。
俺は、まだ、戦える。
『――加重奏・九重奏』
瞬間、世界が、歪んだ。
全身を纏う魔力の密度が臨界を超え、周囲の空間が歪み、震え始める。
肌に纏う炎は、もはや鎧などではない。
俺という存在そのものが、燃え、雷鳴を纏っていた。
世界が止まって見える。
すべての動きが遅い。
偽クロウの振るう斧の軌道も、虚栄ノ大鏡からあふれる影も、すべてが手に取るようにわかる。
これが、"加重奏"の極限。
これが、"俺"だ。
『――炎雷支配・
『――炎雷融合・雷焔双煌』
技名とともに、全身から二色の煌めきが放たれる。
紅蓮と蒼雷。
交わり、重なり、圧倒的な破壊の奔流が、空間を、世界を、震わせた。
「……蠢く蛆虫どもの駆除といくか」
高揚感に身を任せたまま、体に魔力を循環させる。
そして次の瞬間―――
俺の右足が、地を叩き割った。
轟音とともに、大地が陥没する。
踏み込み、その勢いのまま、真正面にいた偽クロウへ拳を叩き込む。
ガガガガァン――!
偽クロウの巨体が、衝撃に耐えきれず、空中で爆散した。
破裂するように砕け散った肉片が、血の霧も残さず消える。
止まらない。
即座に回し蹴りを叩き込み、隣にいた別の偽クロウの首をへし折る。
振り向きざま、拳を叩きつけ、腹を抉る。
呼吸をするように、斧を振りかざす偽クロウたちを片っ端から薙ぎ払う。
「やっぱり……数が多すぎるな」
はぁ、と息を吐く。
手応えは確かにある。だが、終わりは見えない。
どれだけ叩き潰しても、虚栄ノ大鏡からは次から次へと、偽クロウが溢れ続けている。
群れをなす悪夢。終わりなき死の行進。
まるで、絶望が、際限なく流れ出しているかのようだった。
「――なら、やることは一つだ」
戦場を一瞥し、口元に笑みを浮かべる。
「大群には、範囲魔法と決まってる……!」
左手を掲げ、
空を覆っていた
『
天を仰ぐ。
いつの間にか、ゼラストラ上空から龍の大群は消えていた。
その空に、紅の星々が輝く。
無数の万装珠玉が分裂し、龍の顎のような鋭い形へと変貌する。
空全体が、まるで死を告げる牙のように、ぎらぎらと輝いていた。
そして、命令する。
「堕ちろ」
低く、だが確実に、世界に刻み込むように。
次の瞬間。
ゼラストラの空が――落ちた。
無数の龍牙が、重力に引かれ、終端速度に一瞬で達する。
さらに、俺の魔力が炎魔法の加速を掛けた。
重力の鎖すら振り切り、紅蓮の彗星となった
「本日のゼラストラ地方のお天気は……龍の大群、時々、星が降るでしょうでしょう?」
ひとり、皮肉めいた笑みを浮かべ、冗談めかして呟く。
――そして。
着弾
世界が、爆ぜた。
大気を焦がす轟音が響き渡る。
紅蓮の龍牙が地を引き裂き、偽クロウたちを群れごと、鏡ごと、すべてを――破壊した。
ゼラストラ中心部は跡形もなく抉れ、直径数百メートルに及ぶ大穴が穿たれる。
俺はその中心に、立っていた。
「……やれやれ、少しやりすぎたか」
自嘲じみた笑みを浮かべながら、俺は再び、刀を手にする。
戦いは、まだ終わっていない。
シャルノバを殺すまでこの戦いは終わらないのだから。