どれだけ歩いただろうか。
どれだけの夢を巡ったのだろうか。
僕は、気づけば数多の理想を見ていた。
――ある者は、使い切れぬほどの財宝に囲まれていた。
ずっと貧しくて、病気になっても治療を受けられず、誰にも頼れなかったという男。
その彼が、まるで神にでもなったように金貨の山で高笑いしていた。
その笑い声は、哀しみと憎しみのこもった、虚ろなものだった。
――またある者は、小さな女の子だった。
ずっと仲良しだったはずの子と、いつも比べられていた。
勉強も、見た目も、性格すらも。
「○○ちゃんは出来るのに、あんたはどうして」
そんな言葉を聞き続けてきた少女が、夢の中では誰よりも可愛いと皆に褒められていた。
そして、何度も、何度も、その言葉を確かめるように――吐き出しそうになりながら、噛み締めていた。
――魔法都市の片隅で名もなく研究を続けていた男は、未知の魔法理論を解き明かし、満場の喝采とともに表彰台に立っていた。
まるで自分が英雄にでもなったような、眩しすぎる光景。
その眩しさに目を痛めながら作り笑いを浮かべていた。
――誰にも相手にされなかった孤独な男は、軍を率い、群衆に名を叫ばれ、神格化されるほどの存在になっていた。
彼の顔には自信があった。
……いや、それは自信じゃない。
あれは、絶望にすがる人間が作る、歪な仮面だった。
誰もが、どこかで現実に挫けていた。
誰もが、現実から目を逸らしていた。
そして、誰もが――僕と同じように、傷ついていた。
(僕だけじゃなかったんだ……)
その事実が、嬉しくもあり、胸を刺すような痛みでもあった。
「……この子で、最後かな」
視線を落とす。
そこには、一人の子どもがいた。
年の頃は十歳ほどだろうか。あまりに幼いその背中は、小さく震えていた。
丸まった体は、まるで外の世界から何もかもを遮るように閉じていて、その子が見ている夢の中身は想像することすら憚られた。
(まさか……こんな幼い子まで、あの箱に閉じ込められてたなんて)
思わず、唇を噛む。
これは敵の武装だ。
確かにそうだ。けれど、それを理解していても、僕の胸にこびりついた罪悪感は消えなかった。
その子は何も知らないまま、巻き込まれただけなのに――。
(でも……)
今ここで、僕がこの場所で立ち止まったら、何の意味もない。
ここで逃げて、この子を夢から覚めさせないのは僕の自己満足でしかない。
この空間に閉じ込められた人々を救うと決めた。
誰かのためじゃなく、自分の贖罪のために。
(だから……僕が、助ける)
決意とともに、そっと子どもの肩に触れた。
――視界が、再び暗転していく。
今度はどんな夢を見るのか。
その夢がどれほど美しく、どれほど哀しいものなのか。
僕にはもう分かっている。
それでも、目を逸らさずに見届ける。
救い出すために。
……絶対に。
―――――
――おかしい。
今までと“何か”が違う。
違和感が、全身を包み込むようにまとわりついてくる。
目を開けた瞬間、僕は息を飲んだ。
そこは、これまでのような煌びやかな理想の世界ではなかった。
一面、灰色に濁った石壁。冷え切った空気が肌を刺し、足元には薄汚れた藁が敷かれていた。
まるで感情を押し殺すような静寂と、鼻を突く血と錆の匂い。
(……ここは、牢屋?)
思わずそう口にしようとする――けれど、
「……っ?」
声が、出なかった。
喉が張りついたように乾ききり、かすれすぎて言葉にならない。
焦りが心拍を加速させる中、耳に飛び込んできたのは、外から近づいてくる足音だった。
ザッ……ザッ……ザッ……
規則正しく、何かを踏みしめるような重い足音。
しばらくして、石牢の前に3人の人影が現れた。
松明の灯りに照らされているというのに、その顔は一切見えない。
黒い布で目元まで覆われ、表情はまるで人間ではない“何か”のように無機質だった。
「――おい、165番。出ろ。実験の時間だ」
その瞬間、全身の血が凍りついた。体がその言葉に反応して震えだす。
165番――
そう呼ばれたとき、理解した。
これは誰かの夢じゃない。
ここは誰かの記憶。
そして、僕は――その誰かの身体になっている。
(追体験……? これは……他の夢とはまるで違う)
今まで見てきた夢は、どれも希望に満ちた幻想だった。
だけどこれは違う。
希望の欠片すらない、悪夢そのもの。
人間の尊厳が踏みにじられる、暗く冷たい場所。
(この子は……この空間で……こんな現実を……)
小さく震える手。
力の入らない足。
それでも
足首には重たい鎖。
歩くたびにギィ……ギィ……と音を立てるたび、自由が遠のいていくような感覚に陥る。
視界の端には、隣の牢に横たわったまま動かない“誰か”がいた。
その体は細く、痩せ細り、まるで抜け殻のようだった。
(これは……ただの夢なんかじゃない。これは消えることがない魂にこべりついた心の傷だ)
ここが、彼の願いの世界であるはずがない。
だとすれば、これは――
(シャルノバ……! ここにいる……!)
直感がそう告げた。
今までの理想とは一線を画す悪意の渦中。
この空間の主こそが、“本体”に最も近い存在――シャルノバ。
(だったら、僕が終わらせる。ここで、全部……!)
聖剣・デュランダルを握る感覚は、まだない。
けれど、意識の奥底に光が宿っているのを感じている。
いつでも、聖剣を呼べるように準備しながら