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第62話 混沌なる狂宴 その15

 どれだけ歩いただろうか。  

 どれだけの夢を巡ったのだろうか。  


 僕は、気づけば数多の理想を見ていた。


 ――ある者は、使い切れぬほどの財宝に囲まれていた。  

 ずっと貧しくて、病気になっても治療を受けられず、誰にも頼れなかったという男。  

 その彼が、まるで神にでもなったように金貨の山で高笑いしていた。  

 その笑い声は、哀しみと憎しみのこもった、虚ろなものだった。


 ――またある者は、小さな女の子だった。  

 ずっと仲良しだったはずの子と、いつも比べられていた。  

 勉強も、見た目も、性格すらも。  

「○○ちゃんは出来るのに、あんたはどうして」  

 そんな言葉を聞き続けてきた少女が、夢の中では誰よりも可愛いと皆に褒められていた。  

 そして、何度も、何度も、その言葉を確かめるように――吐き出しそうになりながら、噛み締めていた。


 ――魔法都市の片隅で名もなく研究を続けていた男は、未知の魔法理論を解き明かし、満場の喝采とともに表彰台に立っていた。  

 まるで自分が英雄にでもなったような、眩しすぎる光景。

 その眩しさに目を痛めながら作り笑いを浮かべていた。


 ――誰にも相手にされなかった孤独な男は、軍を率い、群衆に名を叫ばれ、神格化されるほどの存在になっていた。  

 彼の顔には自信があった。  

 ……いや、それは自信じゃない。  

 あれは、絶望にすがる人間が作る、歪な仮面だった。


 誰もが、どこかで現実に挫けていた。  

 誰もが、現実から目を逸らしていた。  

 そして、誰もが――僕と同じように、傷ついていた。


(僕だけじゃなかったんだ……)


 その事実が、嬉しくもあり、胸を刺すような痛みでもあった。


「……この子で、最後かな」


 視線を落とす。


 そこには、一人の子どもがいた。  

 年の頃は十歳ほどだろうか。あまりに幼いその背中は、小さく震えていた。  

 丸まった体は、まるで外の世界から何もかもを遮るように閉じていて、その子が見ている夢の中身は想像することすら憚られた。


(まさか……こんな幼い子まで、あの箱に閉じ込められてたなんて)


 思わず、唇を噛む。


 これは敵の武装だ。  

 確かにそうだ。けれど、それを理解していても、僕の胸にこびりついた罪悪感は消えなかった。  

 その子は何も知らないまま、巻き込まれただけなのに――。


(でも……)


 今ここで、僕がこの場所で立ち止まったら、何の意味もない。  

 ここで逃げて、この子を夢から覚めさせないのは僕の自己満足でしかない。  

 この空間に閉じ込められた人々を救うと決めた。  

 誰かのためじゃなく、自分の贖罪のために。


(だから……僕が、助ける)


 決意とともに、そっと子どもの肩に触れた。


 ――視界が、再び暗転していく。


 今度はどんな夢を見るのか。  

 その夢がどれほど美しく、どれほど哀しいものなのか。  

 僕にはもう分かっている。  

 それでも、目を逸らさずに見届ける。  

 救い出すために。


 ……絶対に。



 ―――――




 ――おかしい。


 今までと“何か”が違う。  

 違和感が、全身を包み込むようにまとわりついてくる。


 目を開けた瞬間、僕は息を飲んだ。


 そこは、これまでのような煌びやかな理想の世界ではなかった。  

 一面、灰色に濁った石壁。冷え切った空気が肌を刺し、足元には薄汚れた藁が敷かれていた。  

 まるで感情を押し殺すような静寂と、鼻を突く血と錆の匂い。


(……ここは、牢屋?)


 思わずそう口にしようとする――けれど、


「……っ?」


 声が、出なかった。


 喉が張りついたように乾ききり、かすれすぎて言葉にならない。  

 焦りが心拍を加速させる中、耳に飛び込んできたのは、外から近づいてくる足音だった。


 ザッ……ザッ……ザッ……


 規則正しく、何かを踏みしめるような重い足音。  

 しばらくして、石牢の前に3人の人影が現れた。


 松明の灯りに照らされているというのに、その顔は一切見えない。  

 黒い布で目元まで覆われ、表情はまるで人間ではない“何か”のように無機質だった。


「――おい、165番。出ろ。実験の時間だ」


 その瞬間、全身の血が凍りついた。体がその言葉に反応して震えだす。


 165番――  

 そう呼ばれたとき、理解した。


 これは誰かの夢じゃない。  

 ここは誰かの記憶。  

 そして、僕は――その誰かの身体になっている。


(追体験……? これは……他の夢とはまるで違う)


 今まで見てきた夢は、どれも希望に満ちた幻想だった。  

 だけどこれは違う。  

 希望の欠片すらない、悪夢そのもの。  

 人間の尊厳が踏みにじられる、暗く冷たい場所。


(この子は……この空間で……こんな現実を……)


 小さく震える手。  

 力の入らない足。  

 それでもは、命令に逆らえず、おぼつかない足取りで立ち上がる。


 足首には重たい鎖。  

 歩くたびにギィ……ギィ……と音を立てるたび、自由が遠のいていくような感覚に陥る。


 視界の端には、隣の牢に横たわったまま動かない“誰か”がいた。  

 その体は細く、痩せ細り、まるで抜け殻のようだった。


(これは……ただの夢なんかじゃない。これは消えることがない魂にこべりついた心の傷だ)


 ここが、彼の願いの世界であるはずがない。  

 だとすれば、これは――


(シャルノバ……! ここにいる……!)


 直感がそう告げた。


 今までの理想とは一線を画す悪意の渦中。  

 この空間の主こそが、“本体”に最も近い存在――シャルノバ。


(だったら、僕が終わらせる。ここで、全部……!)


 聖剣・デュランダルを握る感覚は、まだない。  

 けれど、意識の奥底に光が宿っているのを感じている。


 いつでも、聖剣を呼べるように準備しながらは、されるがままで引っ張られていった。 


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