そう言い残して職員が去り、エリザヴェータはぽつんと取り残された。
かといって彼女は特に思うこともないといった様子で、周囲を見回すわけでもなく去っていった職員の背中に視線を送り続けている。
「よう姉ちゃん。ちょっと聞こえちまったんだが、長命種か何かかい?」
そう声をかけてきたのは普人族──いわゆるホモ・サピエンス的な種族──の若い男性だった。
彼の周囲には男女数人がおり、皆一様に興味の光を瞳に宿していた。
「…………まあ、そのようなものです」
オートマタは嘘をつける。
単にプロトコルに則って適当に応えるハルシネーションではなく、文脈に沿って余計な波風を立てないように主体的に虚偽の返答する、人工知能も驚きの知能を持っているのだ。
まあその知能も今や残念ポンコツオートマタに成り下がっているわけではあるが。
「うっ……そうかい。それなら経験豊富なんだろう、良ければウチのクランで活動しないか?」
「なるほど。つまりは勧誘ですね」
「ま、そうだな。長命種が表に出てくるってことは何かしら目的があるんだろう? ウチは手広くやってるからさ、何かしら支援ができることもあるだろう。お互いにとって悪い話しじゃあないと思うぜ?」
「わたくしは海に向かっています」
「海? どこの海だ?」
「さて、名前まではわかりかねますが。とにかく広い海です」
「内海じゃないってことかい。するってーとテル=エメシュの方か? それならウチのクランの母体がそっちにある。あんたがそこに向かうのを助ける代わりに、その時々で依頼を請ける、なんてのはどうだい?」
彼の言うテル=エメシュはこのノストルム大陸の
そこに到達するまでもいくつかの海は存在しているが、いずれも地中海でありエリザヴェータの言う『とにかく広い海』には合致しないと考えた彼は悪くない。
「なるほど。利害は一致していますね」
「だろう? ……おっと、職員が戻ってきたぜ」
彼が視線を向けた先には、先ほどの職員とある程度の地位にあることが察せられる男性がいた。
男性がエリザヴェータと対面する形で座り、彼の後ろに最初に担当した職員が立っている。
「うっ……お待たせしました。……あなたたちは?」
「ヴェインサーブルです。ちょっとした勧誘をね」
「ああ、ヴェインサーブルの方ですか。いつもお世話になっております」
「こちらこそ。さあ、こっちは構わないんで、このお嬢さんとお話を続けてください」
「わかりました」
まずエリザヴェータの美貌に怯み、周囲にたむろする冒険者たち──ヴェインサーブルの面々に誰何し、その正体を知ると企業人として挨拶をする。
この冒険者ギルド支部にとって、彼らヴェインサーブルは優秀な下請け企業に他ならない。
下にも置かないというほどではないにせよ、雑な対応をすることはなかった。
「まずはこちらの旧冒険者証はお返しいたします。発行時の規約に基づきまして、それはあなたに所有権がございます。そして、こちらが新しい冒険者証となります」
そういって彼が差し出したのは、銀色に輝くカード型の身分証である。
「まじか! Aかよ!?」
「部外者はお静かに願います。エリザヴェータ・ヴォルコフ様、あなた様の旧来のランクはEXランク、あるいは当時でいうところの騎士級であったことと存じます。しかし現在では当時と情勢が異なり、当時ヴォルコフ様のEXランクを認定した国家がすべて存続しているわけではございません。そのためEXランク認定条件である複数国家からの承認を現状では満たしていると言い難く、また長期間に渡る依頼遂行実績の途絶もあるため、Aランクとして再発行させていただきました。ここまで何かご質問等はございますでしょうか」
「いいえ」
「では、Aランクへの実質的降格についてもご了承いただけますでしょうか」
「ええ。問題ありません」
「ありがとうございます。では続きまして、当時エリザヴェータ様がご活動されていた頃との差異を中心に、いくつか注意事項の説明に入らせていただきます……」
そうして彼はその言葉どおり、現代の冒険者としての注意事項について説明していくのだが、これは割愛する。
要するに、法律やマナーを守って行動しましょうというだけの話である。
「……以上になります。ここまでで何かご質問等ございますでしょうか」
「いいえ」
「ではこれで……」
「あ、悪いんですけど、ついでにクラン加入手続きもしてくれないですか?」
「わかりました。続いての手続きはこちらの職員に引き継ぎますのでご了承ください」
「ああ、問題ないです。……ってわけでよろしく頼む」
「はい。承りました」
老齢の男性はエリザヴェータへの対応を終えると、再び奥へと戻っていった。
「ところで、先ほどの方は?」
「ああ、あれはここのギルド長だよ」
「なるほど。最近はゴリラでなくともギルド長になれるのですね」
「ゴリラ……? ギルド長は本部から派遣されるエリートだから、まあお役人みたいなもんだな」
(未だに冒険者にはゴリラという比喩は通用しないのですね)
そんなやり取りをしつつ、手続きを進め、すべてが終わった頃には日が暮れていたため、本日はクランが所有しているクランハウスに宿泊することにしてギルドを辞したエリザヴェータであった。