「調査部ダンジョン探査課への異動願?」
リーゼロッテ君が渡してきた珍しい書類。書類としてあることは知っていたが実物を見たのは初めてだ。
ギルドにおいての人事は各部の部長が会議で決定し、融通し合うのが通例だ。
「アメリアは身体能力も高いので塔探査でもよくやれるでしょう」
リーゼロッテ君の声色は冷静であったが、表情はそうではない。
心配と不安と疑問をこねくり回して出来た形容し難い表情を浮かべている。
「志望理由は空欄、か」
書類を指で弾く。受付嬢の所属は総務部営業事務課になるため営業事務課長ユッター・アルホフと総務部長アレクシス・フィンの署名がある。受け入れ先のダンジョン探査課課長を兼任している調査部長ボニファティウス・ユンガーのサインもある。
組織の統制から考えればこれを拒否するのは総務部長及び調査部長が適切ではない運営を行っているというメッセージを出すことと同義となる。ため息とともにサインを入れ、決裁箱に放り込む
次の書類がサーブされる。ダンジョン探査課から変動調査に関する報告書。ペラペラとめくって確認しながらも、先程の異動願が頭から離れない。
「花形だぞ」
「私もそう言ったのですが……その……先日のドロテーさんと支部長のやり取りを見て、決心したそうです」
「は?」
報告書からリーゼロッテ君に視線を移す。
「もっと支部長の近くで仕事をしたい。直接報告の可能性のある塔探査ならもっと近くで仕事ができる、と」
「それで志望理由空欄、か。面接での聞き取りもあっただろうに、よくもまあ……」
「あの子は優秀ですから」
「そう、か」
報告書に目を戻す。いつもの書類仕事をこなしていた、つもりだった。
三日後、塔の大変動が発生した。
あのとき、冷静になっておくべきだった。
直前に衝撃を受ける情報を差し込まれたため、報告書の内容がきちんと頭に入っていかなかった。
ダンジョンへの入場制限は総務部探査課長の権限で行えるが、ダンジョンの閉鎖は支部長権限で行う必要がある。
報告書にはかすかな違和感が報告されていた。
一冊目。壁に薄いヒビが入り、かけらが落ちている。
これは小規模変動で起きる事例である。
二冊目。低階層にやや強い個体が発生する。
これも小規模変動で起きる事例。
三冊目。低階層でのドロップ品が若干良くなる。
これも、だ。
だがその三種が同時に発生しているのならば、かなりな異変であると考えなければならない。
本来ならば上がってきた調査票をボニファティウス・ユンガーがまとめ直すのだが、調査部は多忙を極めている。人員が不足しすぎていて、伽藍堂の主の情報ですら掴みきれなかったのだ。
そのためボニファティウス・ユンガーは上がってきた調査票それぞれに確認のサインをし、それぞれに表紙を付けて調査報告として出してきた。
注意力散漫な私が分冊となった三つの事象をまとめられなかったのが問題なのだ。
この失態については私にも問題がある。人手不足を理由にボニファティウスに課長を兼任させていたからだ。だが今は責任について議論して確定するような時間はない。
大変動の報告を受け、対策本部を設置する。
早急に行う必要があるのは現時点での塔内部へ探索中の冒険者のリスト及びダンジョン探査課の職員のリスト作成、調査部と保安部を総動員し救助隊を編成すること。救助隊には有志の参加も認めるが、冒険者たちはおそらく手を出さない。
何故ならば大変動は内部構造が大きく変わり、危険度が測定できないからだ。
冒険者は命を賭金にしたギャンブルだ。その選択は非難できない。
危険度が確定していないエリアを探索する以上、救援は手探りで探査を兼ねジリジリと進めるしかない。
保安部と探査課の職員を緊急招集し、救援隊を組織しつつリストを作っていく。
リストは対策本部の壁に貼り出された。
探査中の冒険者は七十六パーティ三百九十一名。探査課の職員が十二名。
「ケヴィン殿のパーティも探査中か」
冒険者リストにはエルヴィンの名前もあったのでおそらくはダンジョン内で再教育をしていたのだろう。
探査課の職員にはアメリア君の名前もあった。今日から探査課の教育のためにダンジョンへ入ったとのことだ。
「ふむ……ボニファティウス部長とギルベルト部長、これから三人でダンジョン変動対策本部を回す。十三時間対応したら二十三時間休息。生存限界の倍、百四十四時間を最大とする。いいね?」
保安部長ギルベルト・ケストナーと調査部長ボニファティウス・ユンガーは私の言葉に頷く。
「シフトの切り替えは十二時を基準としよう。前後三十分ずつを引き継ぎ時間とする。最初の数時間はおそらく情報が大量に流れ込んでくる。その半端時間は私が対応する。次の時間はボニファティウス部長、君が担当を。ギルベルト部長はその次だ。いいね?」
二人が同意したのを確認し、自宅へ戻した。
現在時刻は午前九時。交代まで三時間。
ダンジョンは生き物だ。常に変異を起こす。通常は小さなレイアウト変更程度だ。フロアが少し広くなった。あるいは狭くなった。階段が生えた。消えた。その程度だ。
このヴァードにあるダンジョンは『塔』と呼ばれているが、入り口は地面に開いた小さな下り階段だ。その後、層の移動は全部上り階段。ただしヴァードにはダンジョンの塔はない。別空間につながっているというのが錬金術師たちの見解だ。
そのため変異を起こし、稀に大規模変動を起こして災害化する。
フロアがまるごと移動し、ダンジョン内生態系に大打撃を与える。低層に本来存在しない凶悪なモンスターがフロアごと転移してきてしまうのだ。
ダンジョンコアに近い階層ほどモンスターは凶悪化する。これはすでにいるモンスターでも発生する。そして一度発生したモンスターは弱体化しないため大規模変動後はダンジョンのレベルが全階層で急上昇する。
これが中に残された人間の生存を難しくする。
イライラしながらも集められた情報を整理していく。
「第一層にオークキングを確認! おそらく第二十二層が出現したものと考えられます!」
ダンジョン探査課のエースからの絶望的な報告が上がってきた。第二十二層はAランクソロ、もしくはBランクパーティが適正階層とされており、今のヴァードにはAランクおよびBランクのパーティはいない。全員、塔に出払っている。
彼らもともに転移してきてくれればよかったのだが、二十二層をアタック中ではなかったようだ。
二時間後、さらに絶望する事態となる。
「第二層、オーガロード確認! 三十二層が転移しています。またAランクパーティ黄金の翼のメンバーの遺体を確認。おそらく全滅です」
探査課エースからの報告が上がってきた。最悪だ。上から降りてきて、旧三十二層のモンスターに食われたのだろう。
「探査課へ無理をするなと伝えておけ」
「ですが!」
調査部の部員が声を荒らげて反抗する。
「上層から下層に移動してきた場合、コアから受ける魔素が減る。いずれ体を維持できずに消えるはずだ。君たちがいくらエースとはいえ、Aランクパーティすら全滅させるモンスターと渡り合えるとは考えていない」
「私達がやらなければ誰がやるというのです」
「君たち優秀な課員をいたずらに消耗する気はない。我々はギルドを維持し、冒険者たちの、ひいてはヴァードの秩序を守る義務がある」
「そん……な……」
「調査部は保安部と協力し、一層の清掃と二層階段付近の防衛を。階段付近まで自力で逃げてきた冒険者たちの保護を頼む」
ブリッジを右手で押さえ、それだけ告げた。
第一層の掃討が完了したとの報告が上がったのは引き継ぎが終わった直後のことだった。
その報告をボニファティウス部長と共有し、対策本部を出る。封鎖した上に第一層がクリーンになった以上、これから先は生存者の報告しか上がってこないだろう。
「支部長」
執務室においていた荷物をまとめてギルドを出ようとしたところでリーゼロッテ君に呼びかけられた。
「なんだね?」
「ここでは……申し訳ありませんが執務室でお願いします」
無言で廊下を歩く。執務室に戻り、鞄を机に放り投げた。
「で、内密の話なんだな?」
「はい」
しばらく私を見つめているリーゼロッテ君。彼女が切り出すまで辛抱強く待つことにする。
「その……アメリアを助けてもらえませんか?」
「危険だということがわかっていても、かね」
「できるなら! 私が! でも! 私には……その力がないのです」
リーゼロッテ君はそう言うと顔を伏せ両手で覆った。嗚咽が漏れる。
「アメリアは……当初秘書課に来る予定で私が教育していました。ボニファティウス部長の秘書のサシャさんが結婚退職の予定だったからです」
サシャ・シュライバーか……シュライバー商会の長女で、政略結婚の予定だった。相手のユルゲン・デュンヴァルトは男爵家の次男、家を継ぐことはなくなったのでシュライバー商会に養子として入るはずだったが、出奔。
「ああ、そのあたりの話は知っている。そうか、アメリア君は君が教育したのか」
そういえば三年ほど前、リーゼロッテ君が少女を連れ回していたのを思い出した。あれがアメリア君だった、と。
落ち着きのない子ではあったが、優秀な秘書になり得るだろうという片鱗は見せていた。多忙であったがために深入りはしていなかったが、そうか。
大きくため息をつく。
「入り口は封鎖されている。手伝え。一層の掃討は終わっているから階段までな」
自宅に戻り、革製で黒染めのロングジャケットとパンツ、ロングブーツ。左手には発動具付きグラブ、右は普通のグラブ、ミスリルカタナを吊り下げる。ジャケットの裏には薄くミスリルが張ってあり、〈
「支部長……真っ黒ですね」
入口で待っていたリーゼロッテ君が感想を漏らす。
「そうだな。
仮面を着ける。
「これからはハワードだ。様もなしでな」
「え、声が……」
「そういう道具だ」
それだけ告げると塔へ向かった。
「お疲れ様です」
リーゼロッテ君がダンジョン入り口に立つ保安部員に声をかける。
「リーゼロッテさん⁉ どうされたんですか?」
「支部長からの差し入れを持ってきました。強壮剤です」
道行く途中で打ち合わせたとおりにリーゼロッテ君が話を進める。私は鞄から緑色に薄く輝く薬の入った瓶を取り出し、保安部員に渡す。
「中にも届けますので入ってもよろしいですか?」
「階段までなら安全は確保しています。小物が出るかもしれませんが……」
懐からCランクの冒険者タグを取り出し、渡す。
「ハワード・カーター。確認しました。リーゼロッテさんはヴァード支部のアイドルなんでね、よろしく頼むよ、ハワード」
保安部員に頷き、中に入る。
「なんだあ、あれ?」
「すみません。彼はひどい火傷を負っていて、声もうまく出せないのです」
後ろでリーゼロッテ君が保安部員に謝罪している声が聞こえた。