その頃、キッチンでは——
「ふぅ……ちょうど百個、完成だ!」
「ぐへぇ~大将~、疲れましたぁ~。お腹すいたです~」
「太郎、ララ、ご苦労様! ちょうどランチの時間だし、もう少しで準備も終わるから、休憩にしようか」
「わーい! おっ昼ごはーん♪」
団子を作る傍らで、チャットさんは昼食の準備もしてくれていた。
どうやら魚介を使った料理らしい。香ばしい磯の香りが、キッチンに漂っている。
「う~ん、いい感じ。今日のお昼は、僕の得意料理の一つ——パエーリャだよ」
平たい鍋に、黄色く色づいたお米が敷き詰められている。その上には、海老・イカ・カラス貝などが贅沢に並んでいる。
「パエーリャだ~! ララ、こんな豪華なの初めて食べるです!」
パエーリャ自体は、テソーロの伝統的な料理らしい。ただ、ここは海から少し離れているため、海鮮は高級品。屋台のパエーリャは野菜と燻製肉が少し入っている程度だという。
「美味しそうです……(じゅるり)」
ララの口元から、垂れてはいけない汁が漏れ出しているのに気づき、俺は団子の後片付けを急いで済ませ、パエーリャをいただくことにした。
「(こっちの世界にきて、初めての米だ……)いただきます! んんっ、うっま!」
「はひょー‼ むちゃくちゃおいひーれす——はっ⁉」
ララが口いっぱいにパエーリャを頬張ったその瞬間、動きがピタリと止まり、キョロキョロと周囲を見渡しはじめた。
ララのやつ、何やって——あぁ、そういうこと! レイラさんがいないか確認してるんだな。
「ララ、レイラさんなら、夜の懇親会の準備中だから、今は居ない——」
そう言いかけた矢先、廊下から金切り声が聞こえ始めた。
「ララ様! まーた、口に物を入れたままお話しになって! ほんの少し目を離すとこれですわ……。 もう少し淑女としても教育が必要みたいですわね。今日もこの後、お時間をいただくことにしましょうか」
「ぶぅ~、大将! これじゃ、せっかくのパエーリャが不味くなるです~」
「そのようなことをおっしゃったら、チャット様に失礼でございましょう!」
「え~ん。大将~、このオバちゃんをどうにかしてです~」
「オ……オバ……ちゃ——」
これはマズい! 絶対に言っちゃいけない言葉を口にしたぞ、そこのお嬢ちゃん‼
俺はララを抱え、逃げるように、部屋の外へと向かった。
「おい、ララ! おまっ、なんて口の聞き方をしてるんだよ⁉」
「大将もですかぁ~? ララには自由にお話しする権利もないんですか~⁉ もぅ……嫌です、こんなのっ!」
そう言い放つと、ララは屋敷の外へと飛び出していった。
「待ってくれ!」と手を伸ばすも、彼女には届かず、その背中を見送るしかなかった。
追いかけようとしたが、俊足スキル持ちのララに追いつけるわけもない。
その様子を見ていたレイラさんが、何事かと訊ねてくる。
「ララが、機嫌を損ねちゃって……。あの子、スラムでずっと一人で生きてきたみたいなんです。教育も受けてこなかったようで、大人に指図されるのに慣れてないんだと思います」
「そうだったのですね……。事情も知らずに、講釈を垂れてしまっていたかもしれません。申し訳ございません」
慇懃に謝罪するレイラさんに、俺は慌てて頭を上げるよう促す。
「だ、大丈夫ですよ、レイラさん! そんな謝ることじゃないです。俺こそ、ちゃんと説明もしないでお任せしちゃって。ごめんなさい」
そのとき、チャットさんが心配そうに声をかけてきた。
「どうしたんだい、二人とも? ……あれ? ララは?」
事情を説明すると、チャットさんは少し考え込んでから、真剣な表情で言った。
「自由に生きることは悪くない。でも、これからのことを考えると、ララにはもっと多くの学びが必要だと思う」
その言葉に、俺は心の中でうなずいた。ララは素直で、優しい子だ。ただ、少し幼すぎる。それが彼女の魅力でもあり、危なっかしさでもある。
俺はあの子のために、何をしてやれるだろうかと、漠然と考えたことはあった。
これまでは、自分のことで手一杯だったこともあり、その回答を後回しにしていた。少し言い訳がましく聞こえるかもしれないが、実際それが本音だ。
正しいのかどうかは、正直分からないけど、こうすべきなのではないか、という道筋が一つ見えてきた気がした。そこでレイラさんに尋ねた。
「あの……テソーロに、学校ってありますか?」
「もちろんございますよ。ララ様をお通わせにならせたいと?」
「できれば……はい」
「そうですねぇ……。学校へ通わせるのには、親、若しくは二十歳以上の後見人を立てる必要がございます」
……俺はまだ、その年齢に達していない。俯いた俺に、チャットさんが優しく顎を持ち上げる。
「顔を上げな、太郎。君とララのためなら、僕が後見人になってあげるよ!」
(ぽわわわ~ん)
(いやぁぁぁ~ん、プシュー‼)
……俺の感情音に混ざって、何か妙な音が聞こえてきた気がする。
ふと横を見ると、レイラさんが鼻から血を吹き出しながら、ゆっくりと後ろに倒れていくではないか!
「うわっ! 大丈夫ですか、レイラさん⁉」
「あ……あなたたち……そういう、イケナイお関係で、いらして⁉」
よく分からないことをブツブツと言ったあと、レイラさんは意識を失った。
「とにかく床に寝かせよう! あぁ、血が止まらないぞ‼ 救護係を呼んでくるから、太郎はここでレイラさんを看ててくれ!」
「わ、わかりました!」
チャットさんは、急いでどこかへと駆けて行った。
足音が遠くなる中、レイラさんがうっすらと意識を取り戻し、また何かを呟き始めた。
「チャット様って……お優しいのですわよね……。あの甘いマスクで……太郎様をおかしく……ハァッ(ブッシャー‼)」
「わっ、また鼻血⁉ と、とにかく安静にしてくださいってば!」
「うふっ……ウフフフ……あぁ……眼福でしたわ——(ガクッ)」
「レ、レイラさーん‼」
完全に意識を失ったレイラさんだったが、何故かとても満ち足りた表情を浮かべていた。
その後すぐ、チャットさんが救護の人を連れてきてくれた。診断結果は、単なる貧血とのこと。命に別状はなく、俺は心底ホッとした。
そういや、意識が朦朧とする中でレイラさんが呟いていた、『甘いまんじゅうで、俺がお菓子食う……』とか言ってたのって、どういう意味だったんだろう……? いや、考えるのはやめておこう。