諸々の事態が落ち着きを取り戻し、俺はララを探しに外へ出ようとした。すると、チャットさんが、何かを手にして近づいてきた。
「太郎、これを持って行きな! きっと役に立つと思うよ」
「この箱はなんです?」
「いいからいいから。早くララを探してあげな。あの子、きっと待ってるよ!」
そう言うと、必殺のチャットウインクがさく裂した。その笑顔に背中を押され、俺は謎の箱を持って屋敷の外へと飛び出した。
広大な庭を走り回りながら、俺は何度もララの名前を呼んだ。
「ララー! おーい、ララー!」
しかし、返事はない。庭を一周し終えた頃には、さすがに疲れも出て、俺はその場にしゃがみ込んだ。
「ふぅ……。ララのやつ、一体どこに行ったんだ、全く——」
そう独り言ちた時、ふと、脇に抱えていた箱の存在を思い出す。チャットさんが「役に立つ」って言ってたっけな。よし、開けてみるか。
箱の蓋を開けた瞬間、ふわりと甘い香りが広がった。
それは、団子を作っていた時、ララが「いろんな味を作ってみたい」と言っていたのを受けて、チャットさんが試作していたお菓子——チョコレートの匂いだった。
「うわぁ~、めちゃくちゃいい匂い……」
チョコレートの匂いを嗅いだだけで、心がとろけそうになる。
これを食べたら、もっと幸せな気分になれるんだろうなぁ。そう思った、まさにその時だった——
(ドダダダダダダダッ‼)
突如、地響きのような音が聞こえてくる。
「な、なんだ⁉ まさか、魔物⁉ か、金光を……って、部屋に置いて来ちゃってるし……やばっ」
なんて一瞬焦ったのだが、ここはテソーロの街の中だ。魔物が現れるはずがない。敷地の広さが、それを忘れさせていた。
じゃあ、あの音の正体は——
「って、あれは……ララか⁉」
視界の先、こちらに向かって一直線に駆けてくる小さな影が見えた。それは、途轍もない速さでこちらに駆け寄ってきていた。
「おいおいおい、止まれんのか、その速さで⁉ あっ、ああああ~!」
もはや避ける時間もなかった俺は、その場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
砂煙が収まり、恐る恐る顔を上げると、ララの姿は……ない。だが、何かがおかしい。
「……あれ? あっ! チョコレートが、ない?」
視線の先で、生け垣がガサゴソと不自然に揺れている。
そーっと近づいてみると、小さなお尻がぴょこりと飛び出していた。
本人は上手く隠れていると思っているのだろうが……その光景に思わず笑みがこぼれる。
「(ふふっ、全く……)おい、ララ! 大人しく出てくるんだ」
俺の声に反応し、生け垣がガサッと揺れる。そして、観念したように、ララが顔を覗かせた。
「ご、ごめんなさい……です」
弱々しく謝るララの頭を撫でながら、俺も静かに言った。
「こっちこそ、ごめん。ララのこと、ちょっと放っておいちゃったな。悪かったよ」
うつむいていた顔をお互いに上げた瞬間——俺は息を飲んだ。
「……うわぁっ! ななな、なんだよ、その顔は⁉」
「へ? なんのことです?」
「そこの噴水で顔を見てみなって! すごいことになってるから……」
「大将~。レディに向かって、顔がすごいことになってる……なんて言っちゃうとか……やっぱ礼儀がなってないですね~」
なんだ、その言い方はっ! やはり今すぐにでもレイラ塾にブチ込んでやるべきかぁ⁉
そんな悪感情を抱きつつも、俺はララの背を押して噴水の前まで連れて行った。
「分かったから、押さないで下さいです~。見ればいいんでしょ、見れば……って、うぎゃー‼」
水面に映る自らの顔を見て、ララは発狂した。
彼女の口の周りには、何やらドス黒い物がびっしりと付着していたのだ。
ララは、必死でそれを取り去ろうと、口の周りを手で拭った。
「ななな、なんですかコレ~……って、あぁなんだ、チョコじゃん! 顔中に付いちゃってましたです~、てへへ」
あ、ララの、てへへも可愛いなぁ……ってデレてる場合じゃねーよ!
「そんなになるまで必死に食べてたのかよ……。まったく、どこの誰が礼儀を語ってたんだか」
「ごめんなさいです……」
「まあいいさ。とにかく、無事に見つけられてよかった。チャットさんがチョコを持ってけって言った意味が分かったよ。さすがチャットさんだね、あはは」
「甘い匂いに釣られて、つい出てきちゃいましたです……えへへ」
二人で顔を見合わせ、思わず笑った。
ララの顔を噴水の水で綺麗に洗ってから、俺はちょっとだけ真面目な話を切り出した。
「なぁ、ララ」
「なんです? 大将」
「学校とか……行ってみたいって思わない?」
「学校……ですか。ララは今まで一度も学校には行ったことがないです。だから……行きたいかどうかも、よくわからないです。大将は、行ったことあるですか?」
「うん。俺の故郷はすごい田舎でさ。ちゃんとした学校じゃなかったけど、大きなお寺の住職さんに、文字の読み書きとか、算数とかを教えてもらったよ」
「オテラ? ジューソク……? なんだかよく分からないですね」
「そ、そうだよね(こっちの世界向けの語彙力がないもんで——すみません)」
「そこでの時間は……楽しかったですか?」
「楽しかったよ。うちの近くには、同年代の子どもがいなかったけど、そこへ行けば友達がたくさんいてさ。一緒に遊んで、勉強して——たまに叱られたりもしたっけかな」
懐かしい記憶を話しながら、俺は思った。ララにも、そんな時間を過ごしてほしい、と。
「ララさえ良ければ、学校に通って——」
「い……です」
ララが俯きながら、小声で何かを言った。聞き取れなかったので、聞き返した。
「え? なんだって?」
「いかない……です」
「どうして?」
「ララは……ずっと大将といるです! 大将のおそばにずっといたいですっ‼」
ララは真っ赤な顔で、声を張り上げた。その姿があまりに必死で、俺は返す言葉を失った。
気持ちはありがたいが、ララのためにどうするのが最善なのだろうか……。まだ自分だってガキンチョである。その答えを導けるわけもなかった。
「だから……ララを見捨てないで下さいっ! パパとママの時みたいに……うっ、うぇーん‼」
突然、ララが泣き出した。忘れかけていた記憶が、ふと蘇ったのかもしれない。
泣き声を聞きつけたのか、ギルドから戻ってきていたガストンさんが駆けつける。
「どうしたんだ、ララちゃん⁉ まさか桃くんが何かしたのか⁉」
「いやいやいや、違いますって」
「じゃあ、なんで泣いてるんだ⁉」
「た、大将が……ララを見捨てるって……」
「見捨てる——だと……⁉」
ガストンさんが、めちゃくちゃ睨んできた。俺は慌てて否定する。
「言ってないってば! ララも、変な誤解を招く言い方しないでくれよ~!」
俺は事情を説明した。話を聞いたガストンさんは、ゆっくりとララに向き直る。
「なるほど、そういうことか……。ララちゃん、ご両親のこと……覚えてるかい?」
「小さいときにいなくなったから、あまり覚えてないです」
「そっか。……ご両親のこと、恨んでるか?」
ガストンさんにそう言われ、ララは目を閉じたまま、しばらく黙り込んでしまった——