洞窟を後にしようとしたそのとき——
出口とは別の方向から、微かな空気の流れを感じた。
辺りを見回してみたが、それらしい隙間や裂け目は見つからない。
おそらく、ジャバリノックスの暴走で岩壁に亀裂が走ったのだろう。もしまた落盤なんてことになれば、再び全滅しかねない……そんなことになったら目も当てられないので、早々に洞窟から脱出することにした。
集落へ向かう帰路で、ある異変を感じた。魔物はおろか、野生動物の気配すら一向に感じないのだ。
その理由について、ヴェルディがぽつりと口にする。
「その……でっかい石から、なんか嫌な感じがするな。獣なら近寄りたくなくなるぜ」
確かに、魔含を運ぶ俺たちの周りには、自然と距離をとる者が多かった。ティガもそのひとりだ。
「その魔含、近づくと皮膚がピリピリするっす。たぶん、あれ……獣避けの効果があるんじゃないっすかね」
魔含の性質なのか、瘴気の名残なのかはわからない。だが、使い方によっては役立ちそうだ……とはいえ、今のところ妙案は浮かばなかった。
夕暮れ時、無事に集落へ到着した。
「あーっ、大将! おかえりなさいですーっ!」
ララが爆速で駆けてきて、飛びつくように抱きついてくる。
「ララ、ただい……ぐふぁッ!」
正面からの激しい衝撃に、肺が一個破裂したのではと感じた。
「心配したですよ! お怪我はないですか?」
「い……今、怪我した——かも」
「え? だいじょぶですか?」
「う、うん。問題……ないよ。んんっ。改めて、ただいま戻りました!」
俺の報告に、集落中から拍手と歓声が巻き起こった。
「おかえりなさいませ、皆さま。お食事のご用意ができています。広場にお集まりください」
アテナたちは、俺たちが無事に帰ってくると信じて、食事の準備をしてくれていたようだ。
「アテナ様の手料理が食べられるなんて……感激です! 私はなんて幸せ者なのでしょうか……」
エスピアが感涙しながら呟く。冗談かと思ったら、マジ泣きしていた。
「こ、これも、エスピアさんたちのおかげですよ! あれだけの戦いの中、誰も怪我なくここへ帰ってこれたんです。ご褒美ってやつですね!」
「桃太郎君……君のリーダーとしての働き、感服致しました。君の的確な指示があってこその勝利です。ありがとうございました」
「い、いやぁ~、俺なんか全然です。こちらこそ、ありがとうございました」
そんなやりとりの中、ララが俺の袖をちょんちょんと引っ張る。
「ねぇ大将。今日のご飯はララとアテナお姉ちゃんが頑張って作ったんだよ! 早く食べましょう!」
「うん、ありがと。じゃあ、お言葉に甘えようかな」
広場の中央には、大きな鍋と鳥や猪の丸焼きが並び、食欲をそそる香りが立ちのぼっていた。
「大将! このスープ、ララとアテナお姉ちゃんが作ったんですよ! コネコのスープです、ぜひ食べてください!」
そう言う彼女のお腹にふと目をやると、おやおやお嬢さん、赤子でも身ごもったのですか? と言いたくなるほどパンパンに膨らんでいた。……どんだけ味見したんだ!
コネコのスープか。前も食べたけど、正直味が薄すぎて、あんまり好みじゃない……。
でも、ラ今回はララが頑張って作ってくれたものだ……しっかり味わいながら頂こう!
「じゃあ、いただきます——んんっ⁉ う、うまいっ‼」
俺の反応を見て、アビフが嘲笑う。
「ほっほ、コネコのスープが美味いとは……。お主は本当に嘘が下手じゃのぉ。賢い大人になるには、もっと上手く嘘をつけるようにならんとのぉ」
「で、ですよねぇ。でも、俺は嘘はやっぱり得意にはなれなさそうです」
「わっはっは! まぁ、そんな君の方が、わしは好きじゃがな! どれどれ、わしもスープをいただこうかのぉ……んんっ⁉ な、なんじゃこりゃ……」
「どうしましたか、お父様?」
「……美味い。なぜじゃ、コネコのスープが……美味いぞ……!」
「ララとアテナお姉ちゃんの愛情たっぷりスープですから、当然です!」
そう言って、ララは胸を目いっぱい張った。胸より、お腹の方が張ってるけどな。
「ララちゃんが、チャットさんにレシピを教わって、調味料も分けてもらってたんです。料理って難しいけど、すごく楽しいですね!」
スープはもちろん、丸焼きたちも、大好評を博し、あっという間に平らげられた。
みなの顔には、一様に笑顔が溢れていた。
食後には、料理スキルを持つコボルトのレミーとリクサブローが作ってくれたという団子まで用意されていた。
「うん! めっちゃ美味しいね。これ、街でも売れるんじゃないか?」
俺の言葉に、アテナがほほ笑みつつも、少し困ったような顔をする。
「そうなれば嬉しいのですが……」
「何か問題でも?」
「はい、これです」
アテナは自分の腕の毛を数本抜いて見せた。
「あ~、そっか。食べ物に毛が入ったら……商品にならなくなっちゃうもんな」
「毛並みの手入れはしているつもりなのですが……限界があります」
「そういえば、コボルトってあまり湯あみしないんですよね?」
「はい、水場まで行って水浴びするくらいで、毎日は……」
なるほど。それが原因か。でも、だったら——
「ちょっとツテがあるので、相談してみます。もしかしたら、それで解決できるかも!」
「本当ですか⁉ 私たちが人族の街で商いをするなんて……今まで想像もしませんでした。桃太郎さん、あなたのおかげです。本当に、心から感謝します」
「俺も、みんなに出会えて本当に良かったと思ってます。これからもっと良い未来を、一緒に作っていきましょう!」
団子も、あっという間に腹の中へと吸い込まれていった。
食後も冒険者たちとコボルト族たちは、あちこちで談笑を続けている。
笑顔の絶えない光景を見渡しながら、俺は改めて思った。
本当に、無事に戻ってこられて良かった——と。
人との交流によって、コボルト族の生活はどんどん豊かになるだろう。
これから、もっとたくさんの笑顔が生まれていく日々が続くことを願いながら、俺は一足先に宿舎へと戻ることにした。