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第69話 アクイーリス

 ガストン邸の大広間も十分に広いと感じていたが、領主邸の大広間は、その比ではなかった。

 見渡す限りの空間。天井は高く、装飾も豪華で、優に千人は収容できそうな広さだった。


 やがて壇上に立ったマートンが、ゆっくりと口を開いた。

「冒険者の諸君、そしてコボルト族の皆々方——。このたびの緊急クエストを見事完遂してくれたこと、心より感謝する」


 広間のあちこちから、自然と拍手が起こる。

「各地で報告されていた魔物の掃討が完了したことで、滞っていた物流や経済活動もようやく再開できる見通しが立った。民の安全も確保され、我々にとっても望外の成果だ。本当にありがとう」


 そう言って、マートンは深々と頭を下げた。

 地位の高い者が頭を下げるその姿に、俺は素直に感心した。威厳と誠実さを併せ持つ人だ。


「ギルドからの報酬とは別に、私個人からも謝礼を贈りたいと思っている」

 その一言に、冒険者たちは凄まじいほどの歓声を上げ始めた。ジャバリノックスに勝利した時の勝どきよりも大きかったと感じたのは、気のせいだろうか……。


「特に、リーダーを務めてくれた桃太郎くんには、特別報酬を授けよう」

「はえっ⁉」

 突然名前を呼ばれ、俺は思わず声が上ずってしまった。


「君の望むものを用意しよう。金でも物でも……何でも言ってくれ」

 あまりに予想外の提案に、頭が真っ白になる。

「突然すぎて戸惑っているかもしれんな。ならば……そうだ、爵名を与えるというのはどうだ?」


「爵名……ですか?」

「うむ。新たな爵名を与え、君を貴族として迎え入れよう」

「うーん……。それは大丈夫です」


「なぜだ? 貴族になれるャンスなど、滅多にないことだぞ?」

 俺は一度深く息を吸って、ゆっくりと答えた。

「俺の名前は、吉備野きびの桃太郎。これは父と母からもらった、大切な名前です。俺はこの名に誇りを持っています。それ以外の名前は、必要ありません」


 静まり返った広間に、俺の言葉だけが響いた。

「……ふむ。無駄な提案だったか。すまぬな」

「いえ。生意気なことを言ってしまい、申し訳ございません」


「いや、気にするな。己の信念を持っていることは、立派なことだ」

 俺は、正直褒美などいらなかった。リーダーとして貢献できたことも殆どない。俺はみんなに助けられただけだ……。


 だから、みんながもっと幸せになってくれたら、それが一番嬉しい。

 俺は改めて、思いを口にする。

「あの……、一ついいですか?」


「ああ、何なりと」

「コボルト族の皆さんが、テソーロで共に暮らしていけるよう、お力添えをいただけませんか?」


 俺一人で訴えるよりも、領主の言葉で動く方が、きっと物事は早く進む。そう思っての申し出だった。

「そうだな……。私も、なんとかその方向に持って行けないかと考えていたところだ。こうして、言葉も通じ合える機会を得たのだからな」


「本当ですか! ありがとうござ——」

「ただし!」

 俺の感謝の言葉を遮り、マートンは強い口調で言う。


「今すぐにとはいかぬ。わかるだろう? 先ほどの民の反応が全てだ。ゆっくり時間をかけて、お互いの理解を深め合う必要がある」

「おっしゃる通りです……」


「互いの距離を縮める手段があれば良いのだがな……」

「それなんですけど、実は——ひとつ提案があります」

 俺はこっそり用意していた物を差し出した。


「これは?」

「俺とコボルトの料理人で作った、特製の飲み物です」

「飲んでみても?」


「もちろんです!」

 元気よく言ったものの、またしても試作品だったことを忘れていた。さっきから領主様に試作品ばかり食べさせちゃってるけど……あとで他の偉い人とかに怒られないかな⁉


 そんな俺の心配をよそに、マートンは試作品一号をゴクリと豪快に飲み干した。

「(ゴク、ゴク、ゴクッ……)ぷはぁーっ‼ なんだこれは⁉ とんでもなく美味いじゃないか!」

「名付けて『アクイーリス』です!」


 水を意味する言葉と、イーリス様の名を文字って名付けられたその液体は、その名の通り、清らかで優しい味わいの飲み物に仕上がっていた。

「これを、街で売るつもりか?」


「はい。コボルト族しか作れない、特別な食品や飲み物を、いくつか販売していく計画です。食を通じて、人とコボルトが触れ合える機会を増やせたら、と……」

「なるほど、食から人々の懐に入っていくとは……よく考えついたな」


 俺が考えついたというのは、少し違っている。これを思いついたのは、もちろんエリクサーの味が美味しかったこともあるが、それ以上にチャットさんの影響が大きかった。


 冒険者たちの胃袋を虜にしていたピッツァ・チャット。懇親会の時に、久々に口にしたその味に、涙を浮かべる者がいた。料理には、感動を与え、心を動かす力がある……あの時、俺はそれを知った。


 言葉が通じなくても——心を込めた一皿は、言葉以上の架け橋になる。そう信じている。

「もちろん、衛生管理などの条件はあるが、それを守れるなら種族は関係ない。ぜひ進めてみてくれ!」


「あ——ありがとうございます!」

 広間に、大きな拍手が巻き起こる。今までで一番、力強く、温かい拍手だった。

「ただし、すぐに街の中に住むのはやはり難しい。まずは……西門の外にある平原に、移住してもらうのはどうだろうか?」


 その提案に、アビフが一歩前に出て応える。

「わしらに異論はない。ただ……ほんとうによいのか?」


「逆に、街の外に追いやるようで申し訳ない。将来的には街で暮らせるよう整備も進めると約束しよう。ちょうどスラム地区の再開発も検討していてな、皆の力を貸してくれるとありがたい」


「我らの中には、建築に長けた者も多い。ただ、知識が不足している。人族の知恵を学べるのなら、願ったりじゃ」


「うむ。ウィンウィンだな! スラムには、まだ小さな子どもも多い。あの子たちに、もっと良い未来を見せてやることが、今を生きる我々の使命だと考えている。そのためにも、新しい学校を作ることも視野に入れている。どうだろうか、そこでコボルトの皆さんも共に学んでいただく……というのは?」


 その言葉に、俺は思わずララの方へ目をやった——えっ、寝てる⁉

 大人の話に飽きたのだろう、彼女は立ったまま、器用に舟を漕いでいた。

「ララ、起きろ! 君にも関係のある話をしているところだぞ!」


「はぇ……? もうお昼ご飯の時間ですか?」

「違うわ!」

 俺たちのやり取りに、マートンが声を上げて笑い出した。


「なっはっはー! そうか、もうそんな時間か。よし、硬い話はこの辺にして、昼食にしよう!」

「やったーです! 大将、いっぱい食べましょうね!」


「ふふっ、そうだな」

 ガストンさんと領主様の笑い方が一緒だったことに気づき、なんだかんだ言っても、やっぱり親子なんだなと、思わず微笑んでしまった。


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