ルナと天照ニニギが向かった先は、教会の一角にある談話室だった。
ステンドグラスの優しい光を受ける静かな空間には、木製のテーブルと椅子が置かれている。
外の喧騒が嘘のように、ここだけは落ち着いた空気が漂っていた。
「ルナさん、二人きりで話したいから、配信を切ってもらってもいい?」
ニニギがやや低めの声で囁くように言う。
コメント欄は「えっ、二人きり!?」と大騒ぎになり、興味津々で画面を見つめているが、ルナは真剣な面持ちで頷いた。
「わかりましたにゃ……みんな、ちょっと配信を切るですにゃ。後でまた会いましょうにゃ!」
ドキドキするコメ欄が「くそー!」「気になる!」と騒ぐ中、ルナは配信をオフにする。
同接数の表示がスッと消えた瞬間、ルナの身体が美咲の姿へと変化していく。
「……あっ、私、中の人に戻りましたね……」
一方、ニニギもほのかな光に包まれながら、金髪猫耳の姿を解いていく。
立ち現れたのは、30代中盤ほどの落ち着いた雰囲気をまとった女性。シックな装いに身を包み、しなやかな体躯と優雅な佇まいが際立っている。
「わざわざ配信を切ってもらってごめんなさい。これが“私”なの。」
淡い笑みを浮かべながら、彼女は美咲に向き直る。
「どう、イメージと違ったかしら?」
「え……あ、いえ……! イメージと違うとか、そういうんじゃなくて、すごく……素敵です!」
興奮を隠せないままの美咲は、声を震わせながらも正直な感想を伝える。
かつて崇めていた“ネコノミコト”の中の人が目の前にいるという現実に、胸が高鳴って止まらない。
「ありがとう。あなたが憧れてくれているネコノミコト……いえ、天照ニニギ。実際にはこんなアラサーお姉さんだけど、がっかりしなかった?」
冗談めかした問いかけに、美咲は勢いよく首を振る。
「全然がっかりなんて! 溢れる包容力……まさにネコノミコト……ニニギさんそのものって感じです!」
美咲の瞳は輝き、頬がうっすらと紅潮している。
ニニギはその様子に微笑みを返し、椅子を勧めた。
「美咲さん、あなたは何のために戦っているのか聞いてもいい?
この異世界で、いろんなVTuberが危険な目に遭っているけれど、あなたは積極的にモンスターと戦ってきたでしょう?」
「私、ですか……? うーん、配信を見てくれるみなさんに喜んでもらいたくて。
少しでも、楽しいって思ってもらいたいんです。そうやって応援してもらえるのが嬉しいし、それが力になるから……」
美咲は照れながらも、胸の内を素直に語る。
ニニギは静かに頷き、そのままソファに腰を下ろした。
「そう……。でも、私は現実世界に戻らなくてはいけないのよ。」
「戻る……?」
「ええ。私には、息子がいるの。まだ小さい子だから、こんなところで長居はできない。
だからこそ今は、この異世界で苦しんでいるVTuberをできるだけ保護しておきたいと思っているわ。」
美咲は一瞬息を飲む。
まさか“ネコノミコト”の中の人が母親だったとは思いもしなかった。
それでも、なんとなく腑に落ちるものを感じる。
あの包容力や優しい眼差しは、母性から来るものだったのかもしれない——。
「息子さん……いるんですね。そ、そっか。どんな子なんですか?」
美咲が戸惑いながら尋ねると、ニニギは穏やかな微笑を湛えたまま、「可愛い子よ」とだけ答えた。
「私がいないと、きっと寂しい思いをしているはず。
だから私は、できるだけ早く、あの子のもとに帰らなきゃいけないの。」
まるで身の上話のように呟くニニギを前に、美咲は“ネコノミコト”という偉大なVTuberの新たな一面を見た気がした。
そして同時に、彼女の“帰る場所”があるのだと知り、胸に温かな想いがこみ上げる。
(私、何も考えてなかったけど、戻りたい人もいるんだよね……)