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第2話 「食器なんて初めて洗ったもんだから」




「なあなあ、ヴァルって川に財布落としたってホント?」

「うん、本当だよ」

「カバンごと落としたの? 大人なのに?」

「うーん、それを言われると……面目ない」




 アイリスの目の前では、8歳になるアイリスの双子の弟のユーリとロイが昨日の朝家の前で行倒れていた青年……ヴァルを質問攻めにしながら朝食をとっている。

 昨日は双子達は学校があり、突然現れた青年が気になっていたものの全然喋れないまま一日が終わった為、今朝はヴァルが食堂に降りてきた途端に二人に捕まって質問攻めにあっていた。

 「何処から来たの?」「アルカーナの方からだよ」「他にも色々行ったことあるの?」「まだそんなには行けてないかな」等と、ヴァルもいちいち律儀に答えるものだから三人のお皿の食べ物はさっきから一向に減っていない。


「もう! 二人ともいい加減にして! ヴァルさんが御飯食べられないでしょ! おしゃべりは御飯のあと!」


 ピシャリとアイリスに窘められて、ユーリとロイはうへっと首をすくめた。 

 ご飯を食べたらまずは学校の宿題だからね! 私達は仕事があるんだから! とテキパキと弟達に指示を出し、「わかってるよぉ……」と文句を言うユーリと「はぁい」と返事をするロイに食事を摂らせていく。

 双子は朝食を終えると口々に「宿題が終わったら遊ぼうね!」と念押しして自分たちの部屋に戻っていった。残されたアイリスはお茶をヴァルに淹れ、食堂続きの厨房に食器を洗いに行く。



「俺も手伝うよ」


 これを洗えばいいの? とヴァルはアイリスの隣に立って皿を洗い出した。


「……アイリスってしっかりしてるね。16歳だろ? 俺より4つも下だとは思えないな」


 ヴァルはのんびりとした口調でアイリスを称賛する。

 朝起きてから今まで、食事を出して弟達を叱り飛ばしてる姿しか見せていないアイリスは急に恥ずかしくなってそっぽを向いた。


「うちは半年近く父が家からいなくなりますから。母は宿の経営で忙しいですし、弟の世話は基本私なんです」


 自分のやれることしかやってないので大した事ないです。と恥ずかしさを誤魔化して、ヴァルの洗った食器を拭こうと手に取った。


「――って、ちょっとちょっと!?」


 アイリスは慌ててヴァルの手を止めた。


「な、なんですか、これ!?」


 ヴァルはきょとんとアイリスを見る。ちょっと小首を傾げた顔は、明るいところで改めてみると大変整っていて、こんな国の端っこの片田舎ではなかなかお目にかかれない美男子である。

 普段のアイリスならこのレベルの男性はちょっと気後れするところだ。だがしかし、今は彼の容姿など気にしている場合ではなかった。


「泡! 食器に泡ついたままです! ……っていうかこれ汚れも落ちてないじゃないですか!!」


 ヴァルの洗った食器……もとい、泡のついた食器はすすがれることなく食器かごに入れられている。なんなら食器には泡を付けただけで汚れは特に落ちていない。


「何やってるんですか! 泡を付けたら水で流すのは当たり前でしょう!?」


 もう! カゴが汚れたじゃないですか! と憤るアイリスにヴァルガ申し訳無さそうに眉を下げる。


「ご、ごめん。食器なんて初めて洗ったもんだから」

「初めて洗ったんですか!?」


 二十年も生きてきて食器も洗ったことがないなんて、今までどんな生活を?


「……ヴァルさんって……もしかして実はめちゃくちゃお金持ちだったりします?」


 唖然として口を開けたアイリスにヴァルはかぶりをふった。


「お金持ちってわけじゃないけど。……なんて言うかうちはちょっと特殊でさ。まあ、食器は洗ってくれる人がいたからやったことはなかったよね」


 口を開けたままのアイリスの顔を見て苦笑いする。


「あの、その、えーと……。うん、ちゃんとこれから覚えるから! 昨日も君のお母さんにはお願いしたんだけれど……流石に文無しでこの雪の中放り出されると困るから……しっかり働くので路銀が貯まるまでここに置かせて欲しい」


 母も了承済みで、頼むよ。と眉を下げて言われてしまってはアイリスもそれ以上なんとも言えない。


「……んもう。ビシバシいきますからね?」

「お手柔らかに頼むよ」


 そう言って笑う顔はもうのほほんとしていたから、やっぱりよくわからない人だ。


 アイリスはため息を付いてヴァルに皿拭きの方を頼み、目の前の食器を洗い直しながら彼に尋ねた。


「じゃあヴァルさんはなんなら出来るんですか?」


 ヴァルは皿を落とさないように真剣に拭きながら「そうだなぁ……」と考える。


「料理……は無理だし、裁縫もやったことないな。うーん……男だからね、力仕事なら……あ、薪割りなら出来るよ」


 アイリスは思わずヴァルの方を見た。夜の雪山を歩き回ってしまう世間知らずの彼は多分アイリスが思っているよりいいところの坊っちゃんなのだろう。彼が身につけていたものの中には護身用の短剣はあったものの、長剣を帯刀しているわけではなかったし剣士というわけではなさそうだ。アイリスは宿に泊まりに来た旅の剣士なんかも見たことがあるが、どう考えてもヴァルは剣士のような屈強さはない。

 料理をしたこともなければ食器も洗ったことがない。そんな彼が力仕事である薪割りなど出来るのか。

 アイリスの言いたいことは目線だけでヴァルには伝わったようで、彼は自分の胸をドンと叩いた。


「大丈夫。俺、意外とこう見えて力はあるんだ! 俺の家もね、ここほどじゃないけど寒いところにあるから薪割りは必須だったから。だから薪割りは得意だよ」


 男手の少ないアイリスの宿では火にくべる薪の運搬も薪割りも一苦労だ。それをやってくれるのなら確かに助かる。

 ニコニコと得意げに仕事を請け負うヴァルに、アイリスは半信半疑ながらも「それじゃぁこれが終わったらお願いします」と言った。


 ヴァルは「任せておいて!」と勢いよく返事をしたが、その反動で手から皿が滑り、ガシャンと音を立てて床に落ちたのだった。


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