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第7話 「私、この仕事が好きなんです」




眠い目を無理矢理開けるといつもまだ暗闇の中なのに、今日は顔に当たる朝日の眩しさで目が覚めた。窓の外からは、かすかに小鳥のさえずりが聞こえる。


(……よく寝たな……今何時……)


 冬の朝は日の昇りが遅く、暗くて寒い中無理矢理身体を起こさねばならないから、この時期は毎朝なかなか辛いものがある。けれど今日はよく寝たせいか身体も軽くて――


 そこまで思ってガバリと身体を起こした。


 確か昨日はヴァルと一緒に村まで熱冷ましをもらいに行ったのではなかったか。ロイの熱が、下がらなくては命の危険がある差し迫った状況のはずだった。背中に冷たい汗が流れて、恐る恐る自分の格好を見る。ちゃんと寝間着になっていて、もし昨日の出来事が夢でなかったら自分は次の日の日が高い時間まで寝ていたことになる。アイリスは転げ落ちるように寝台から降りてユーリとロイの部屋に走った。


「ロイ……!!」


 ガチャリと扉を開けた先にいたのは、寝台に体を起こしてお粥を食べているロイだった。


「姉ちゃん」


 おはよう、と返事が返ってきて力が抜ける。その場にへたり込みたかったが、なんとか気持ちを落ち着け足に力を入れてロイの傍まで行き、寝台横に置いてあった丸椅子に腰掛ける。


「あなた、もう熱は大丈夫なの?」


 心配そうにロイの額に手を当てる。額はほのかに暖かく、まだ完全な解熱には至らなかったが大分下がった様だ。


「うん。お医者さんが村についた足でそのまま朝イチで診に来てくれて、お薬もくれたからそれ飲んで寝たら下がるだろうって」

「そっか……よかった……」


 ご飯も食べられて血色の良くなったロイの顔にホッとする。

 ロイはお粥の器を膝に置くとはにかみながら「姉ちゃん」とアイリスを見上げた。


「熱冷ましの薬草、雪の森の中を探してくれたんでしょう? ヴァルに聞いた。手、真っ赤にして必死に探してくれたって」


 有り難う、と笑ったロイの顔を見て、アイリスもやっと口元が綻んだ。


「……いいのよ、お礼なんて。家族だもの、当たり前でしょ」


 そう言ってロイの頭を撫でたが、ロイは首を横に振る。


「でも、ヴァルが姉ちゃんにちゃんとお礼を言えって。姉ちゃんの一生懸命がなかったらオレは今生きてないんだよって」


 アイリスは目を瞬いた。コンコン、とドアが鳴る。


「ロイ、お粥食べられたかい?」

「あ! ヴァル!」


 食べられたよ! と元気にロイが答えて、それは良かったと笑って視線がピタリとアイリスと重なる。


「あ……」

「おはよう、アイリス」


 よく眠れたみたいだね? と言われてアイリスは急になんだか恥ずかしくなった。


「ご、ごめんなさい」

「なんで謝ってるのさ。よく眠れたなら良かったよ。アイリスの代わりにちゃんと働かなきゃって思ったけれど、全然俺じゃ役に立たなくて。出来ることと言えば食事の運搬係くらいさ」


 そう言って肩を竦めるので思わず笑ってしまう。ヴァルはアイリスの傍まで来ると屈んでアイリスの手を取った。


「手……大丈夫? あかぎれになったら大変だ」


 昨日、軟膏は塗ったんだけれど、とアイリスの手を擦ったり裏返したりして観察するヴァルに一気にアイリスの頬が熱を持つ。


「だ、だいじょうぶです!! あかぎれなんて、いつものことだから……!!」


 そもそも寒いこの場所で、洗濯や炊事をしょっちゅうしているのだ。同年代の女の子よりもアイリスの手はとても綺麗とは言えない。

 そんな手をヴァルの苦労の知らなさそうな長くて綺麗な、でも骨ばっていて男の人と解る指がアイリスの手を丁寧になぞってく。アイリスの心臓は爆発しそうだった。

 ヴァルの触れた手を彼の手から抜き、握りしめて視線を自分の手に落とす。そこでハッと自分が未だ寝間着なことに気がついた。


「き、着替えてきます!!」


 とてもヴァルの顔は直視できず、バタバタと部屋を出ていく。残されたロイとヴァルはポカンとアイリスの背中を見送った。


「……姉ちゃん、オレより真っ赤だったね」


 姉ちゃんも熱? というロイに「えぇ!?」と驚いたヴァルがアイリスを部屋まで追いかけて叱られるのは、この30秒後――






 ロイの熱は昼過ぎにはすっかり平熱に戻った。


 アイリスの母には「今日はお仕事はしなくてもいいわよ」と言われたが、何もしなくていい、と言われるとどうにも落ち着かなくて母が洗った洗濯物を干しにいった。

 宿の裏には洗濯物を干すことの出来る広めの部屋がある。雪の深いクリュスランツェの地では冬季は外に洗濯物を干すと凍ってしまうため、室内に広い洗濯場がある家が多い。暖炉の暖気を洗濯場にも回して洗濯物を乾かすのだ。


 何かをしていれば無心になれる。


 ロイが寝て汗をかいたシーツも広げて干す。大きなシーツは物干し用のワイヤーに引っ掛けるのも一苦労だ。アイリスはシーツを床に落とさないよう気をつけながらシーツをえいっとワイヤーに向けて広げようとしたが、大きな手がアイリスからひょいっとシーツを取り上げた。


「手伝うよ」


 ここに広げればいいの? と聞いてきたのは確認するまでもない、ヴァルだ。

 ヴァルはアイリスが広げるのに苦労するシーツを難なく広げ、ワイヤーにかけてくれた。「ありがとうございます」とお礼を言ってしわを伸ばす。他の洗濯物を干すのも手伝うと言ったヴァルに、アイリスはいいですと断ったけれど、「二人でやった方が早いよ」と微笑まれて再び「有難うございます」と返すしかなかった。それでも、ヴァルの干した洗濯物は曲がっていたりシワが残っていたりして、干し方を伝授するのにやはり時間がかかってしまったが。


 全部干し終わって、部屋の隅にある椅子に並んで座って一息つく。


「……結局アイリスの手を煩わせちゃったな」


 ごめんね、手伝おうと思ったのに。と謝るヴァルに、アイリスは首を振った。


「誰でも初めてやることは上手く出来ないものです。皆こうやって教えてもらいながら一つひとつ出来るようになるんですから、ダメなことなんて一つもないですよ」


 手伝ってくれて有難うございます。と言うアイリスにヴァルは肘を自分の膝についてアイリスの顔を覗き込んだ。


「アイリスって本当にしっかりしてるよね。ここに来てから俺は驚かされてばっかりだ。本当に尊敬するよ」


 そう、心底感心して言うものだから、アイリスは逆にビックリしてしまった。


「こんなの、普通ですよ。ウチは弟達と年が離れているし、私に出来ることといったら弟達の面倒を見ることと家事の手伝いくらいでしょう? 私、宿のお仕事は嫌いじゃないから子どもの頃より母の力になれることが嬉しいんです。小さい頃は、少しでも手助けしたくても上手く出来なくてもどかしかったから」


 笑っていうアイリスにヴァルは先ほどと同じ体勢のまま尋ねる。


「……嫌になったりはしないの? 冬は水も冷たいし、絶対に大変だよね? 今はお客さんも少ないけれど、雪が溶けて宿泊客が増えたら食事の準備や洗濯ももっと大変だろう?」


 そう言ってアイリスの少し赤くなった手をまたさすって、アイリスはドキリとした。


「もちろん……大変な時も、ありますけど……。でも、お客さんが『有難う』って言ってくれたり、『また来たよ』って以前泊まって下さった方がまた来てくれると嬉しいんです」


 雪花亭は国の入口にあるから、国の内外から人が来る。

 自分の知らない土地の話を聞けるのも楽しいし、宿に来るお客さんに家族のように『おかえりなさい』と『いってらっしゃい』が言えるのが嬉しいのだ。


「私、お客さんがまた帰ってきてくれる家みたいな場所になれるこの仕事が好きなんです」


 ヴァルは眩しそうにアイリスを見た。


「……アイリスは、凄いね。その年で、もう自分が何をしたいかを見つけているんだ。……俺とは大違いだ」


 その声色に少し自嘲が混ざってた気がして、アイリスは素直にヴァルに尋ねた。


「ヴァルさんは……なにかやりたいことはないんですか?」


 アイリスの問に、ヴァルは少し困った顔をした。



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