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第6話

 タクマによる爪の手入れが終わると、セイザは少年をソファに座らせた。少年の向かいに腰を下ろす。

「少し話をさせてくれるかな?」

 少年がうなずくのを確認してセイザは口を開いた。

「昨日、君を追いかけていたあの男だが……ついさっき、街の警備隊に逮捕された。つまり悪い人として、捕まえられたということだ。だからもう、あの男が君をどうにかすることはない」

 昨晩少年が寝入った後、セイザは街の警備隊の本部を訪れた。この街で人身売買が行われていることを伝えるためである。そして今朝早くから、警備隊と共にその組織の拠点に乗り込み、摘発してきたのだ。

「昨日、私があの男に払った金も取り戻してきたから、何も心配しなくていい」

 少し冗談めかせて言うと、少年はほんの少しだけ口の端を持ち上げた。笑ったというよりは、セイザがかもし出した雰囲気に合わせたという印象だった。その反応を少し寂しく思いつつ、セイザは続ける。

「あの男が売ろうとしていた他の子どもたちも、警備隊に保護された。親元に返せそう子は帰されるだろうし、行き先のない子は孤児院などに行くことになるだろう」

 少年は少しだけほっとした顔をした。今度は心からの表情だったようで、セイザもそれに安心する。だが話の本題はここからだ。

「君の今後についてなのだが。……まず、君には親御さんはいるのかな?」

「……」

 少年は答えない。つまり親はいるが、親元には戻りたくない、あるいは戻れないのだと、セイザは察した。親元に戻りたいならうなずくだろうし、親がいないなら否定すればいい。どちらもしないということは、親はいるが気軽に戻れる状態ではないということだ。

 それに少年の痩せ具合や、身体に残る傷跡、髪の毛の様子などを見れば、かなり長い間、ちゃんと世話をされていないのは明白だった。あの手の人買いが、少年のような子どもを長期間手元に置いておくはずがない。きっと親元にいた頃からあまりいい扱いはされていなかったのだろう。

 少年に気づかれぬよう、そっと息を吐いてセイザは続けた。

「……では、私たちと一緒に首都に行かないか? この街には孤児院はないが、首都まで行けば、神殿が管理する孤児院がある。君が望むなら、孤児院ではなく首都でどこかいい養子先を探してもいい」

「……」

 少年はじっとセイザの言葉を聞いている。

「私たちと来るのがイヤならば、保護された子たちといっしょに警備隊のところに行くのもいいだろう。そちらでも同じように、孤児院や養子縁組などの行先をさがしてもらえるはずだ」

 言いながらセイザは、なぜか身が引き裂かれるような寂しさを感じていた。そうして同時に、この少年を手放したくないと思っている自分に気づいた。

 少年とセイザたちをつなぐものは、何もない。たった一晩、少年を保護しただけの関係だ。憐れな境遇の子どもではあるが、ふつうに考えれば、そんなに入れ込むほどの相手でもない。それなのになぜか、一緒にいたい、この少年を幸せにしてやりたいと強く思ってしまっている。

 だが優先されるべきは、セイザの私情ではなく少年の意志だ。

「私たちと首都に来るか、それとも警備隊のところに行くか……君はどちらがいい?」

「……」

 少年はしばらく動かなかった。言葉を発さない少年には答えられない質問だったかとセイザが思い始めた頃、少年がおもむろに立ち上がった。そうしてセイザとタクマに歩み寄ると、恐る恐るといった様子で手を伸ばし、セイザの服をぎゅっと掴む。小刻みに震える小さな手。

「私たちと来たいのか?」

 セイザがたずねると、少年はこくんとうなずいた。

 知らず知らず詰めていた息をほっと吐き出し、セイザは少年を膝の上に抱き上げた。落ち着かせるように背中を撫でながら言う。

「では、いっしょに行こう。首都に行ってからのことは、また向こうについてからゆっくりと考えようか」

 そんなセイザの様子を、タクマが少し意外そうな顔で見ていた。


 両親はいるけれど、あの場所には帰りたくなかった。人買いの男のところも酷かったけれど、両親だって彼を酷く扱った。今さら戻ったところで、両親は彼を歓迎しないだろうし、また売られてしまうかもしれない。

 セイザは彼のそんな心境を察してくれたようで、両親のことはそれ以上聞いてこなかった。

 だがセイザは言った。

 孤児院か養子か。

 その言葉に、背中に冷たい水を浴びせられた気がした。

 手放してはいけないのだ。セイザとタクマを。

 でもそれは彼自身がなぜか勝手に思っていること。

 セイザとタクマには関係のないことだ。

 しかも孤児院は神殿が管理しているという。

 魂の記憶が、神殿という言葉に恐怖を覚えた。

 でもセイザは言った。

 自分を買った金もすでに取り返したと。

 つまり、自分と彼らをつなぐものは何もない。

 小間使いや奴隷としてでも、彼らのそばに置いておいてもらえるわけではないのだ。

 男に殴られていた自分に同情して、一晩保護してくれただけの関係。

 偶然出会った、ただの他人だ。

 そばにいさせてほしい。

 しかしこの身体では、それを言うこともできない

 とはいえ、仮に言えたところで迷惑にしかならないだろう。

 それでも手を伸ばしたら、抱き上げられてやさしく撫でられた。

 その温度に泣きたくなる。

 少年は思った。

 お願いです、そばにいさせてください。

 せめて首都まででもいいから……。


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