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第7話

 その日の午後には、タクマが外出していって少年が着られる子供服を買ってきた。上等な服ではないが、肌触りがよくシンプルなデザインで、脱ぎ着がしやすいものだ。長そでと長ズボンで腕や足のあざも隠れ、細さもごまかせる。着替えさせてみると、少年は見違えるように可愛らしくなった。

「あと……子どもなら、こういうのも必要だろう」

 タクマが少年の手に箱を持たせる。少年が両手で抱えられるくらいの大きさの箱。

「開けてみろ」

 プレゼントではあるが、開けやすいように、リボンなどはかけられていない。セイザが手助けしようとするとタクマがそれを制した。

 二人が見守る前で、少年は箱の表面を何度か撫で、フタの継ぎ目を見つける。そうしてそこからゆっくりとフタを引き開けた。少年は箱の中に手を入れ、手探りで、まずはぬいぐるみを取り出す。

「……」

 少年は両手でもふもふとぬいるぐみをさわり、その形をたしかめた。だが、それが何であるかは、なかなか分からないらしい。タクマが言う。

「それはぬいぐるみだ。くま……といっても、本物のくまとはだいぶ形が違うが、子どもの定番のおもちゃだな」

 そうしてタクマは少年の片手を取り、ぬいぐるみの身体に順番に触れていった。

「ここが顔、それからこれが耳。手と……足だ。さみしいときに抱いたり、いっしょに何かしたりするといい」

 少年の顔がほころんだ。ぬいぐるみを抱きしめ、頬をすり寄せる。

「気に入ったか?」

 タクマがたずねると、少年はいきおいよくうなずいた。

「もうひとつあるぞ。触ってみろ」

 少年が次に箱から取り出したのは、毬だった。しかもただの毬ではない。中に鈴が入っている。手で表面に触れて形を確かめ、振って音を聞く少年。そうするうちに、少年の手から毬が滑り落ちてしまった。床に落ちた毬が、コロコロと転がっていく。

 セイザはとっさにそれを拾ってやろうとした。しかしタクマがまたセイザを視線で制した。

 少年が、耳で音を追いかけるように首をかしげる。

「……」

 そうして少年は、手を伸ばした。毬に向かって、迷うことなく。

 少年の手が毬をつかみ、その顔に笑みが広がる。

「お、自分で見つけられたな。すごいじゃないか」

 タクマに褒められ、少年は頬を赤らめた。

 それからタクマは少年とセイザを遊びに誘った。三人で少し離れて床に座り、相手に向かって毬を転がし合うのである。すると少年は、おどろくほど正確に毬の位置を把握し、自分に向かって転がってくる毬を上手にキャッチした。タクマがフェイントをかければ、少年は驚いたように目を見開き、笑みを浮かべる。

 それは彼らがはじめて目にする、少年の年相応の姿だった。



 ぬいぐるみ、鞠。知ってはいたけれど、手にしたことはないものだった。まだ目が見えたころ、兄や他の子どもが持っているのを、見たことはある。だが彼が触れようとすれば怒られたし、目が見えなくなった後も、当然ながらそんなものを与えられることはなかった。魂の記憶とて、衣食住には苦労しなかったものの、子どもらしい振る舞いは全て禁止され、遊びはもちろん、おもちゃなど触れることも許されなかった。

 だから、ぬいぐるみを抱きしめるのも、毬で遊ぶのも、はじめてだった。

 それは本当に本当に幸福な時間だった。

 ほんの一時のことだと分かっていても、大切な思い出にしたいと思った。



「君はすごいな……」

 夜。寝入った少年の頭を撫でながらセイザが言う。

「うん?」

 セイザの反対側から少年をながめていたタクマが顔を上げた。

「自分でできそうなことは、やらせようとするところとか、おもちゃや服の選び方とか」

 タイなどの飾りがなく、脱ぎ着がしやすい服。中に鈴が入っていて、目が見えなくても場所がわかる毬。食事も、風呂も、タクマは少年が自分でできるように準備をしてやり、あとは自分でやらせるようにしていた。ついつい手を出そうとしたセイザがタクマに止められたのも、一度や二度ではない。

「ああ……」

 セイザに言われてタクマはうなずく。

「神殿付きの養老院で、目が見えなくなった老人をたまに見てたからな」

 その答えに、セイザはため息をついた。

「孤児院はやはりこの子には厳しいと思うか?」

 タクマが肩をすくめる。

「何度も言わせるな。……孤児院は決して悪い場所じゃない。実際に俺は、あそこで育って、それなりに幸せだった」

 タクマは孤児だった。早くに母を病気で亡くし、兵士だった父親も事故で死んでしまった。それで神殿の孤児院に預けられ、そこで育った。だから孤児院が悪い場所ではないことはよく知っている。少なくとも、これまでのように殴られることもないし、子どもらしい暮らしはできるようになるだろう。

 だが、中にいたからこそ分かる。この少年のような子は、どうしたって他の子どもの意地悪の標的になりやすい。逃げることや戦うことはもちろん、訴えることさえもできなければ、大人に守ってもらうのも難しい。神殿の孤児院はきちんと管理され、子ども同士のもめ事にも大人が介入して解決してはくれる。それでも何かと苦労することになるだろう。

「俺がちゃんと言って、小まめに様子を見に行ってやれば、いくらか気にはかけてもらえるとは思うが……」 

「……やはり養子のがいいか……」

 そうしてセイザは少年の髪をなでる。

 タクマが与えたぬいぐるみを大切そうに抱えたまま眠る少年。

「……おかしなことを言ってもいいか?」

「うん?」

 セイザが言うと、タクマが首をかしげた。

「実は私は、この子を手放したくないと思っている」

 ため息のような声をもらすタクマ。

「もっとおかしなことを言ってもいいか?」

「うん?」

 セイザが首をかしげると、タクマは言った。

「俺もそう思っている」

 二人は顔を見合わせて、少しだけ笑った。

 だが現実は、彼らはいわゆる勇者とよばれる存在だ。騎士として王宮で働いてはいるものの、魔物の討伐に出たり、遠征に出ていることも少なくない。子どもを連れて行くには危険な場面が多すぎるし、子どもを抱えて暮らすのに適した暮らしをしていない。

 自分たちが首都まで連れていくことで、結論を先延ばしにはしたが、その先をどうしたらいいのか正直、分からないままだった。


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