その日の午後には、タクマが外出していって少年が着られる子供服を買ってきた。上等な服ではないが、肌触りがよくシンプルなデザインで、脱ぎ着がしやすいものだ。長そでと長ズボンで腕や足のあざも隠れ、細さもごまかせる。着替えさせてみると、少年は見違えるように可愛らしくなった。
「あと……子どもなら、こういうのも必要だろう」
タクマが少年の手に箱を持たせる。少年が両手で抱えられるくらいの大きさの箱。
「開けてみろ」
プレゼントではあるが、開けやすいように、リボンなどはかけられていない。セイザが手助けしようとするとタクマがそれを制した。
二人が見守る前で、少年は箱の表面を何度か撫で、フタの継ぎ目を見つける。そうしてそこからゆっくりとフタを引き開けた。少年は箱の中に手を入れ、手探りで、まずはぬいぐるみを取り出す。
「……」
少年は両手でもふもふとぬいるぐみをさわり、その形をたしかめた。だが、それが何であるかは、なかなか分からないらしい。タクマが言う。
「それはぬいぐるみだ。くま……といっても、本物のくまとはだいぶ形が違うが、子どもの定番のおもちゃだな」
そうしてタクマは少年の片手を取り、ぬいぐるみの身体に順番に触れていった。
「ここが顔、それからこれが耳。手と……足だ。さみしいときに抱いたり、いっしょに何かしたりするといい」
少年の顔がほころんだ。ぬいぐるみを抱きしめ、頬をすり寄せる。
「気に入ったか?」
タクマがたずねると、少年はいきおいよくうなずいた。
「もうひとつあるぞ。触ってみろ」
少年が次に箱から取り出したのは、毬だった。しかもただの毬ではない。中に鈴が入っている。手で表面に触れて形を確かめ、振って音を聞く少年。そうするうちに、少年の手から毬が滑り落ちてしまった。床に落ちた毬が、コロコロと転がっていく。
セイザはとっさにそれを拾ってやろうとした。しかしタクマがまたセイザを視線で制した。
少年が、耳で音を追いかけるように首をかしげる。
「……」
そうして少年は、手を伸ばした。毬に向かって、迷うことなく。
少年の手が毬をつかみ、その顔に笑みが広がる。
「お、自分で見つけられたな。すごいじゃないか」
タクマに褒められ、少年は頬を赤らめた。
それからタクマは少年とセイザを遊びに誘った。三人で少し離れて床に座り、相手に向かって毬を転がし合うのである。すると少年は、おどろくほど正確に毬の位置を把握し、自分に向かって転がってくる毬を上手にキャッチした。タクマがフェイントをかければ、少年は驚いたように目を見開き、笑みを浮かべる。
それは彼らがはじめて目にする、少年の年相応の姿だった。
ぬいぐるみ、鞠。知ってはいたけれど、手にしたことはないものだった。まだ目が見えたころ、兄や他の子どもが持っているのを、見たことはある。だが彼が触れようとすれば怒られたし、目が見えなくなった後も、当然ながらそんなものを与えられることはなかった。魂の記憶とて、衣食住には苦労しなかったものの、子どもらしい振る舞いは全て禁止され、遊びはもちろん、おもちゃなど触れることも許されなかった。
だから、ぬいぐるみを抱きしめるのも、毬で遊ぶのも、はじめてだった。
それは本当に本当に幸福な時間だった。
ほんの一時のことだと分かっていても、大切な思い出にしたいと思った。
「君はすごいな……」
夜。寝入った少年の頭を撫でながらセイザが言う。
「うん?」
セイザの反対側から少年をながめていたタクマが顔を上げた。
「自分でできそうなことは、やらせようとするところとか、おもちゃや服の選び方とか」
タイなどの飾りがなく、脱ぎ着がしやすい服。中に鈴が入っていて、目が見えなくても場所がわかる毬。食事も、風呂も、タクマは少年が自分でできるように準備をしてやり、あとは自分でやらせるようにしていた。ついつい手を出そうとしたセイザがタクマに止められたのも、一度や二度ではない。
「ああ……」
セイザに言われてタクマはうなずく。
「神殿付きの養老院で、目が見えなくなった老人をたまに見てたからな」
その答えに、セイザはため息をついた。
「孤児院はやはりこの子には厳しいと思うか?」
タクマが肩をすくめる。
「何度も言わせるな。……孤児院は決して悪い場所じゃない。実際に俺は、あそこで育って、それなりに幸せだった」
タクマは孤児だった。早くに母を病気で亡くし、兵士だった父親も事故で死んでしまった。それで神殿の孤児院に預けられ、そこで育った。だから孤児院が悪い場所ではないことはよく知っている。少なくとも、これまでのように殴られることもないし、子どもらしい暮らしはできるようになるだろう。
だが、中にいたからこそ分かる。この少年のような子は、どうしたって他の子どもの意地悪の標的になりやすい。逃げることや戦うことはもちろん、訴えることさえもできなければ、大人に守ってもらうのも難しい。神殿の孤児院はきちんと管理され、子ども同士のもめ事にも大人が介入して解決してはくれる。それでも何かと苦労することになるだろう。
「俺がちゃんと言って、小まめに様子を見に行ってやれば、いくらか気にはかけてもらえるとは思うが……」
「……やはり養子のがいいか……」
そうしてセイザは少年の髪をなでる。
タクマが与えたぬいぐるみを大切そうに抱えたまま眠る少年。
「……おかしなことを言ってもいいか?」
「うん?」
セイザが言うと、タクマが首をかしげた。
「実は私は、この子を手放したくないと思っている」
ため息のような声をもらすタクマ。
「もっとおかしなことを言ってもいいか?」
「うん?」
セイザが首をかしげると、タクマは言った。
「俺もそう思っている」
二人は顔を見合わせて、少しだけ笑った。
だが現実は、彼らはいわゆる勇者とよばれる存在だ。騎士として王宮で働いてはいるものの、魔物の討伐に出たり、遠征に出ていることも少なくない。子どもを連れて行くには危険な場面が多すぎるし、子どもを抱えて暮らすのに適した暮らしをしていない。
自分たちが首都まで連れていくことで、結論を先延ばしにはしたが、その先をどうしたらいいのか正直、分からないままだった。