「彼はどちらのご子息なのですか?」
大神官にたずねられ、セイザとタクマはまた顔を見合わせた。
「実は……私たちも知らないんだ」
驚く大神官にセイザはかいつまんで事情を説明する。
少年は人買いに買われ、酷い目にあっていたこと。逃げ出してきた少年と偶然出会ったこと。少年は目が見えず、話すこともできないこと。そのため、身元の特定はできていないこと。
一通り話を聞くと、大神官はうなずいた。
「なるほど……」
セイザは続ける。
「私たちがこの子をここに連れてきたのは、この子をどうするか、相談するつもりだったからなんだ」
孤児院に行くにしろ、どこかに養子に出すにしろ、一度は神殿に話を通しておいたほうがいい。それに神殿に相談すれば、もしかしたら、自分たちの手元に少年を残しておく方法が見つかるかもしれないという思いも実はあった。
大神官が言う。
「確かにそういう境遇でしたら、こちらの孤児院などで預かるのが一般的でしょう。しかし先ほども申し上げたとおり、この子は、お二人と共にあるべき子です」
セイザはその言葉をとてもうれしいと思った。少年を手放さない口実になる。しかし、やはり少年を手元に置く不安もある
「だが私たちは戦いに出ることも多い。そんな場所にこの子を連れて行くのは……」
大神官にもセイザの心配が分かったのだろう。大神官もまたしばらく悩むような表情を見せた。少しの間をあけて大神官が言う。
「もう一人、お仲間がいらっしゃれば……」
セイザやタクマが勇者と判明したころから、大神官は彼らの仲間はもう一人いるはずだと言い続けていた。探すようにいわれていたが、手がかりもなく、進展がなかったのである。
ため息をつき、ソファの背もたれに寄りかかりながらタクマが言った。
「しばらくの間、仲間探しに力を入れてみるか……」
だがもうひとつ重要な問題がある。セイザはゆるく首を振った。
「その件は、もう少し後でゆっくり考えよう。先にやるべきことがある」
セイザはタクマの膝の上の少年の頭をなで、その顔を覗き込んだ。気配で見つめられているのが分かったのだろう。少年がセイザの方に顔を向ける。
「実は私たちも、この子のことを手放し難く感じていたんだ。できれば、私たちの手元で育てたいと……そんな話をタクマともしていた」
その言葉に、少年がおどろいたように目を見開いた。少年の気持ちが、どうか自分たちと同じであってほしいと願いながら、セイザは言葉を続ける。
「だが、一番重要なのは、君の気持ちだ」
セイザは一度ソファから立ち上がり、少年の前に膝をついた。タクマが眉を寄せる。
「今それをこの子に聞くのは難しいだろう」
タクマは言ったがセイザは首を振った。
「いや、だめだ。このまま流れでこの子を手元に置くのは公平ではない。私たちと来る意味をきちんと知って、彼自身が自分で選ぶ必要がある」
キッパリとしたセイザの言葉にタクマが複雑そうな顔をする。その意味を知りつつも、セイザは少年に向かって言った。
「私たちは、この国ではいわゆる勇者とよばれている存在だ。……戦いに出ることも多いし、おそらく今後、さらに大きな戦いに行くことにもなるだろう。私たちと共に来れば、君は恐ろしい思いや悲しい思いをしてしまうかもしれない。何よりも私たちは、君を導き、育てるためにはあまりにも未熟すぎる」
この先は言いたくない。だが言わなければいけない。セイザはゴクリとつばを飲み込み、続ける。
「君は、孤児院や、どこかに養子に行ったりして静かに暮らすこともできる。もし君が落ち着いて暮らしたいというなら、私たちは全力で、優しくて責任感がある、いい養子先を探すと約束する。孤児院でも養子先でも、会いに行くことも約束する」
言えば言うほど、セイザの中にはやはり少年はどこかに養子に出すべきではないかという気持ちがふくらんだ。祝福とかそういう使命も忘れて、優しい養父母の元で穏やかに暮らしたほうが幸せにきまっている。
それなのに、少年といっしょにいたいという気持ちを抑えることができない。何も言わず、何も教えず、少年をこのまま手元に置いてしまえれば、どんなに楽だろうか。
それでもセイザは聞いた。
「君はどうしたい? 静かに暮らすか、私たちと一緒に来るか……」
少年の手が持ち上がり、セイザの方に伸ばされる。セイザがその手を取ると、少年はまるではじめて出会ったときのように、セイザの手をぎゅっとつかんだ。反対の手は、タクマの服をしっかりと握っている。
多分、そうなるだろうとは思っていた。それでもセイザは少年に聞いた。
「……私たちと来るか?」
少年が何度もうなずいた。
その先は、少し込み入った話になった。大人の話し合いになるし、退屈するだろうからと、セイザとタクマは少年を神官に預けて、どこかで遊ばせようとした。しかし少年は首を振り、二人から離れようとしなかった。
仕方がないので、セイザたちはそのまま話をはじめた。話が長引いても、少年は退屈した様子を見せたり、騒ぎ出したりすることはなく、タクマの膝の上でじっとしていた。どうやら大人たちの話に耳を傾けているらしい。
それでも少しすると、タクマはずっと強ばっていた少年の身体が、少しだけゆるんできたのを感じた。そこでもう一度クッキーを渡してやると、少年は今度はそれを受け取った。しかし口にはせず、とまどうように大神官のほうをうかがう。
少年の意識が自分のほうに向いているのに気づいたのだろう。大神官はほほ笑みながら言った。
「どうぞ、おあがりください」
しかし少年はまだそれを口には運ばず、今度はタクマのほうをうかがった。タクマはため息をついてクッキーを持った少年の手を取る。
「食べないなら、俺が食べちまうぞー」
そうしてタクマは、クッキーを持った少年の手を自分の口に近づけた。少年が一瞬あわてたような顔をし、それからほんの少し考えるような顔をする。そして少年は、クッキーをぐいっとタクマの方に差し出した。まるで「食べていい」と言わんばかりの仕草。
タクマはさすがにあせった。こうすると意地になって食べる子どもも多いから、そうしてみたのだが、少年はどうやら違ったらしい。だがすぐに別の方法を思いつき、タクマは少年の手にあるクッキーを口に入れた。
「ん……うまい」
そうしてタクマは、テーブルに手を伸ばしクッキーをもう一つ手に取る。
「ほら、あーん」
タクマがクッキーで、少年の薄い唇をちょんちょんとつつくと、少年は素直に口を開けた。その口の中にクッキーを放り込む。
「食べさせ合いっこだな」
もぐもぐと口を動かした少年が、見えない目をきらきらと輝かせた。きっとクッキーが口に合ったのだろう。タクマが少年の頭をなでると、少年はようやく少し安心したように息をついた。