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第21話

 自室で寝ていたセイザは、慌ただしい足音と声に目を覚ました。

「ルオン様! お待ちください!」

 その声は、パルウム宮の警備を任せていた護衛騎士、ヘンリーのものだった。セイザは寝台から飛び起き、剣をひっつかんで部屋の外に出る。

「そちらは危険です」

 階下から聞こえる声。階段を駆け下りていくと、ルオンが今まさに外に飛び出そうとしており、それをヘンリーが抱きかかえて引き止めたところだった。ルオンがヘンリーの腕から抜け出そうともがく。

「何事だ?」

「ルオン様が急にお部屋を飛び出されまして……」

 とまどったように答えるヘンリー。そうこうしているうちに、タクマも階段を駆け下りてきた。セイザはルオンの身体をヘンリーから引き取る。

「ルオン、どうした?」

 声をかけると、ようやくルオンが動きを止めた。ぼんやりとした顔で何度かまばたきをすると、まるで今目を覚ましたかのように目をこする。

「ルオン? 何があったんだ?」

 セイザがあらためて声をかけると、ルオンはびっくりしたように背中を跳ねさせた。それから、セイザに抱かれていることを確かめるようにセイザの身体に触れ、首をかしげる。

「寝ている部屋から飛び出したらしいぞ? 覚えているか?」

 タクマが横から問うと、ルオンはふるふると首を振った。

「怖い夢でも見たのか?」

 セイザが聞くと、ルオンは少し考えるように首をかしげてから、また首を振る。

「……どうなさいましたか?」

 次に階段を降りてきたのは、ソフィアだった。寝間着にショールを羽織っただけのソフィアは、セイザに抱かれたルオンの姿を見てびっくりする。

「まあ、ルオン様! どうされたのです?」

「寝ぼけて部屋を飛び出したらしい」

 セイザがそう言うと、ソフィアは「まあまあ、それは……」と言いながらショールを外し、それをルオンの肩にかぶせた。

「ソフィア、それでは貴女が……」

 セイザはあわてる。しかしソフィアは何でもないことのように微笑んだ。

「気にしてくださるなら、ルオン様を早くお部屋にお連れしてくださいませ。セイザ坊ちゃま」

 ふつう貴婦人は、夫や使用人以外に寝間着姿を見せることはない。ましてや家族ではない男性や立場が上の者にそれを見せるなど、あり得ないことだ。だからこそソフィアもとっさにショールを引っかけて部屋から出てきたのだろう。それなのにソフィアは、ルオンが冷えないようにと、迷うことなく自分のショールをルオンに与えてしまった。こういう女性だから、ミハイルは彼女をルオンの世話役にしたのだろう。

 坊ちゃま呼ばわりに苦笑いしながら、セイザはルオンを抱えたまま階段を上っていった。 

 部屋に戻したルオンはソフィアに任せ、セイザはヘンリーを振り返った。

「助かった。ありがとう」

 ヘンリーは胸に手を当て、頭を下げる。

「務めを果たしたまでです」

 ヘンリーが言うには、夜の見回りをしていたら、ルオンが急に部屋から飛び出し、階段を駆け下りていったのだという。ルオンもだいぶパルウム宮に慣れてきて、最近ではソフィアに手を引かれなくても自分で色々なところに行けるようになっていた。とはいえ、夜中に部屋から出る、しかも外に向かって駆け出すというのは、はじめてのことだった。

「たまに寝ぼけて動き回る子ってのも、いるにはいるが……」

 孤児院時代にそんな子どもを見たことがあるのだろう。タクマが言うが、その顔はスッキリしなかった。


「……様、ルオン様!」

 呼びかけられてルオンは、はっとした。

 翌日の夕刻のことである。かつてはサロンだった部屋でルオンが遊んでいると、仕事から戻ってきたタクマが顔を出した。

「ただいま」

 ぱっと顔を上げたルオンが立ち上がり、タクマのほうに走っていく。

「すごいな、ちゃんと俺の場所がわかるのか」

 ルオンを抱き上げるタクマ。タクマは片腕でルオンを抱いたまま自分の懐を探ると、木彫りの馬を取り出して、それをルオンに渡した。ルオンの両手にちょうど持てるくらいの馬。

「何だかわかるか?」

 タクマに言われて、ルオンはその形を確かめる。

「それは馬だ。馬は前にも乗っただろう? 馬の形を木で彫ったものなんだ。騎士仲間にそういうのを趣味で作るヤツがいてな。頼んで作ってもらったんだ」

 本物にそっくりな耳や足の形、流れるたてがみ、りりしい筋肉。素人の作品とは思えないほどリアルな木彫りである。ルオンは興味津々でそれを触っていたが、不意にその顔から表情がなくなった。具合が悪そうなわけではない。だが、心ここにあらずといった様子で動きを止めて、ぼんやりとしている。

「ルオン様、ルオン様!」

「おい、ルオン。どうした?」

 ソフィアとタクマが呼びかけると、ルオンは、はっとして木彫りの馬を抱え直した。

「お疲れになりましたか?」

 ソフィアが聞くが、ルオンは首を振る。実は今日は、そんなことがすでに何回かあったのだ。


 夜にソフィアとタクマから報告を受けたセイザは眉を寄せた。両親の死を伝えたことで不安にさせてしまったのだろうか。悩んでみたが、ルオンにそれをたしかめる方法はない。

 夜にはルオンの部屋のドアの前に護衛をつけ、昼間はソフィアが見守る。そんな風にして過ごしていた数日後。大神官がセイザたちを呼び出した。

「西の街、アルボルに光が見えます。三人でそちらをお訪ねください」

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