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第22話

 アルボルの街は国境にも近い、交易の要だ。首都からはだいぶ離れている。今の状態のルオンを連れていくことに不安はあったが、大神官はルオンもいっしょに行けと言う。仕方がないので、セイザとタクマはルオンと護衛騎士のヘンリーも連れて、アルボルの街を訪れた。

 セイザはヘンリーに言う。

「もしも戦闘になった場合には、ルオンのことは君に任せる。速やかに安全な場所に移動して、ルオンを守れ」

 街を離れた道中では魔物が出る場合もある。セイザもタクマも腕の立つ騎士だが、ルオンを抱えたまま戦うのは難しい。そのためルオンをヘンリーに任せることにしたのだ。


 しかしヘンリーは今、なかなかの危機に陥っていた。いわゆるピンチというやつである。

「ルオン様、しっかりつかまっていてください」

 ルオンを左腕に抱きかかえ、ヘンリーは森の中を走っていた。木々の枝が、風にゆれるのとは違ったリズムで、ガサリガサリと鳴る。もしもルオンの目が見えたなら、その目には木から木へと飛び移る、青色の猿のような魔物が見えたはずだ。マイムーとよばれる魔物。身体の大きさはルオンの半分くらい、一匹一匹はそれほど強くはないが、素早い上に群れで行動するため、やや厄介な魔物である。ヘンリーはその群れから逃げているのだった。

 アルボルの街に近い森。アルボルに到着したセイザたちは、散策や偵察も兼ねてその森を訪れていた。パルウム宮では、ルオンを自由に外に出してやることができない。だから、ここでは自由に外を歩かせたり、外の色々なものを教えておくつもりだったのである。しかしそこで、運悪く黒狼の群れに出会ってしまった。ただの旅人には脅威になる黒狼だが、優秀な騎士であるセイザとタクマにとっては、恐れる相手ではない。二人はすぐに剣を抜き、戦いはじめた。そこでヘンリーはルオンを抱えて少し離れたところで待機していたのだが、そこにマイムーの群れが襲いかかってきたのである。

 もちろんヘンリーも腕の立つ騎士である。もしもヘンリーが一人だったなら、彼は迷わずマイムーの群れに立ち向かい、それほど苦労せずに勝利しただろう。しかし今はルオンを抱いている。ルオンを抱いていたとしても、勝てない相手ではない。けれどもルオンの安全を考えるならば、戦うよりは逃げ切りたいというのがヘンリーの考えだった。

 ヘンリーは走りながらルオンを腕の中のルオンを見下ろす。敵の姿は見えずとも、マイムーの声や枝を揺らす音は聞こえているのだろう。ルオンは怯えたような顔で、ヘンリーにギュッとしがみついていた。ヘンリーは腕の中のルオンを抱え直し、顔を上げる。もう少し耐えて逃げていれば、黒狼を倒し終えたセイザやタクマが来てくれるはずだ。

「ご辛抱ください」

 ルオンが小さくうなずいた。が、その直後、ヘンリーはあわててルオンの身体を抱え直した。ルオンが急に顔を上げて、片手を離したからである。

「ル、オン様!」

 ヘンリーの腕の中でルオンが片手を上げた。白く細い指先が、真っすぐに一方向を示している。

「……どうされたのですか?」

「……」

 思わず聞いてしまったが、当たり前だがルオンは答えない。だがルオンは、まるでうったえるように、ヘンリーの右斜め前を指さした。

 パルウム宮の警護という名目で、ルオンの護衛を任命されてから約一ヶ月。ヘンリーは、最初は怯えてまるで人形のように大人しかったルオンが、少しずつ自分の意志を示すようになったのを見守ってきた。ルオンがどこかを指さすのは、そちらに行きたいという意思表示だ。

「……」

 ヘンリーはしばし考える。ルオンはタクマの親戚なのだと伝えられてはいる。だがこれだけ近くで過ごしていれば、ただの親戚ではないのは、すぐに分かった。パルウム宮は、ルオンが過ごしやすくなるように準備されていた。タクマはいくら勇者の仲間でセイザの副官といえど、その親戚のために、乳母や護衛、宮殿が用意されるはずがない。それらのことから、ヘンリーはルオンが何らかのワケありの、それもおそらく勇者の存在に関わる存在であることを察してはいた。そのルオンが、この危機的状況の中で「あちらに行きたい」とうったえているのである。そちらはセイザやタクマがいる方向ではないが、ルオンが望むならば、何かある可能性もあるとヘンリーは思った。

 どちらにしろセイザたちが駆けつけてきてくれるまでは、逃げ続けるつもりなのだ。ならば多少方向が変わったところで、大きな影響はない。そう判断し、ヘンリーはルオンが指し示す方向に向かって走り出した。


 ルオンが示す方に向かって走り出し、少ししたときだ。不意に人の声がした。

「伏せろ!」

 ヘンリーはルオンの頭を抱え、その場にかがみ込む。声に反応したというよりも、声の主の動きに反応したのだ。

「助太刀するわ」

 ヘンリーとマイムーの間に降り立った人影。耳の下で切りそろえられた濃紺の直毛と、褐色の肌。スラリとした体つきの人物が双剣を構えている。飛びかかってくるマイムーの群れを身軽にかわしながら、その人物は一匹ずつ的確にマイムーを仕留めていく。ヘンリーでさえも、思わず見とれる剣さばき。マイムーが全滅するまで、それほど長い時間はかからなかった。

「ケガはしとらんか?」

 剣を納め、振り返るその人。ヘンリーはルオンを抱えたまま深々と頭を下げる。

「お助けいただき、感謝いたします」

 と、そのときだ。ルオンがヘンリーの腕の中からスルリと抜け出した。まるで目が見えているかのように真っすぐにその人へと駆け寄り、その服をつかむ。

「ルオン様!」

 さすがにヘンリーはあわてた。助けてはもらったが、相手が安全な人物とは限らない。服をつかまれた人物が、深緑の瞳でルオンを見下ろす。

「……」

 しばしの沈黙。ヘンリーがルオンを引き寄せる暇もなくその人物が手を伸ばし、ルオンの身体を抱き上げる。

「なにアンタ。でらかわいいな!!」

 そうしてその人は、ルオンの髪の毛をクシャクシャとなで回した。

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