首都に戻ると、バイナもパルウム宮の一室で暮らしはじめた。ミハイルはバイナに騎士の地位を与えようとしたが、バイナはそれを辞退した。
「身分に縛られるのは性に合わんもんで、自由にやらせてくれ」
バイナはそう言ったが、実際にはカルブ地方の民が騎士として王に仕えることで、王に忠誠を誓うことや、勇者の仲間が全て王のものになることを避ける意味合いの方が強かった。ミハイルもそれに気づいたはずだが、特に何も言わなかった。
バイナはミハイルや国王には自身が女性であることは明かさなかったが、セイザの勧めもあり、ソフィアにだけは性別を明かした。洗濯のことや衣類のこと、女性ならではの問題などは、ソフィアが上手く処理をしてくれるようになった。
とはいえバイナも、ただの客分でいるつもりはない。魔法の研究と称して神殿や王宮の書物を調べたり、街に出て護石や魔法具を売りつつ情報収集をしたりするようになった。さらにバイナは、騎士としての仕事があるセイザやタクマに代わり、ときおりルオンを街に連れ出した。いっしょに買い物や食べ歩きをしたり、街の様子を教えたりもした。町外れの広場で、ルオンを他の子どもと遊ばせることもあった。バイナや他の大人が語る童話を他の子どもといっしょに聞いたり、虫や小動物に触れたり、誰かの歌に合わせて踊ってみたり。ルオンにとって他の子どもと遊ぶことは、他人に慣れ、怖がらなくなる練習にもなった。
バイナが合流したことによって、ルオンが子どもらしい笑顔を見せることが、さらに多くなった。
それからしばらくは、穏やかな日が続いた。そんなある日のこと。ルオンがパルウム宮の遊び部屋で過ごしていたときのことだ。ソフィアがルオンに言った。
「ルオン様。こちらを、さわってみませんか?」
「……」
うなずくルオン。ソフィアが床に座ったルオンの膝の上にそれを置く。手で触り、形を確かめていくルオン。その指が、ピンと張られた糸状のものに触れた。ぽーんと、ゆるやかな音が立つ。
「!!」
ルオンの目が大きく見開かれた。違う弦を弾けば違う音が出る。ルオンは面白そうに何度も音を鳴らした。
「これはギターという楽器です。私はできませんが、もしよかったら練習してみますか?」
ルオンがコクコクとうなずく。ちょうどそのときだ、遊び部屋にタクマが顔を出した。
「ギターの音がすると思って来てみたら……ルオンだったのか」
ルオンのとなりに座り込むタクマ。
「ちょっと貸してもらえるか?」
ギターを素直に差し出すルオン。タクマはそれを受け取ると「ちょっと小さめだな。子ども用か……」と言いながらギターを抱えた。そして、それなりに慣れた様子でフレットを押さえ、弦を鳴らす。流れ出したのは、子どももよく知る童謡だ。ソフィアやタクマがルオンに何度か歌って聞かせたこともある曲。ルオンの目がますます丸くなり、笑みが広がる。
少し引っかかりながらもタクマが一曲を弾き終えると、ルオンは興奮したようにパチパチと手を打ち鳴らした。
「練習すれば、こんな風に曲も弾けるようになるぞ。俺はあんまり上手くはねえが……」
「……」
ルオンが胸の前でぎゅっと両手を握る。
「そっか、やってみたいか」
タクマは笑って、ルオンの手にギターを戻した。ルオンの後ろからルオンの手を持ちギターを抱えさせる。
「こうやって持ってな……左手ここで、右手がここ。こうすると鳴らしやすいだろ?」
ルオンの指が弦に触れ、また音が鳴る。
「じゃあ最初はこの曲かな……」
タクマが教えたのは、左手でフレットを押さえなくても弾ける、かんたんな曲だった。音が出たこと、そしてまだきれいな音色ではなかったけれど、曲らしきものが奏でられたことに、ルオンの目が輝く。うれしそうなその様子に、ソフィアとタクマが顔を見合わせてほほ笑んだ。
最初はタクマをから、少し慣れてくると教師を呼んでもらい、ルオンはギターも学ぶようになった。
ルオンはパルウム宮でソフィアやタクマ、バイナと遊んだりしながら過ごした。ソフィアに本を読んでもらって、かんたんな勉強もはじめた。季節の変わり目などには、たまに体調を崩すこともあったが、それも子どもとしては別にめずらしいことではない。数日もすれば、すぐに元気になったし、最初はやせ細っていた身体も、いつの間にか子どもらしい丸みを取り戻した。さらに少しずつ他人にも怯えなくなり、パルウム宮の中の人とは楽しげに交流するようにもなった。ミハイルとも、怯えずに対面できるようになった。
パルウム宮の中でならば、もはや誰かの案内も必要ない。壁などを伝いながら自由に移動できるようになった。たまにうっかり扉にぶつかったり、段差につまづいたりもしたが、ソフィアが「そういった経験も大事です」と言い、まわりがあまり大騒ぎしないようにさせた。その効果もあり、ルオンはのびのびと歩きまわるようになった。セイザやタクマ、バイナの部屋に遊びに行ったり、厨房におやつをねだりに行ったりもするようになった。
外では少しずつ魔王の影響と思われる動きも出ていたが、少なくともパルウム宮の中はおだやかで、ルオンはスクスクと元気に育っていった。