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第二章

第31話

 ルオンがセイザたちの元に来てから二年が経ち、ルオンは九歳になった。首都への影響は少なかったが、地方では魔物の出現が明らかに増えた。以前は穏やかだった地域に急に強い魔物が出現したり、魔物が群れをなして村を襲うなどの事件が起きたりもした。予言されている魔王の出現が近づいている影響ではないかと、国内にじんわりと不安が広がりつつある日々。

 パルウム宮の中では穏やかな日々が続いていたが、ルオンも外の空気の変化を感じざるを得なかった。セイザやタクマ、バイナたちも、騎士団に同行して魔物の討伐に出て、パルウム宮にいないことが増えた。ルオンは魔物の討伐には連れて行ってもらえない。ルオンが一緒に行けるのは、偵察など少人数の遠征だけだった。とはいえルオンにも、自分が戦力どころか足手まといにしかならないことはよく分かっている。

「みなさまがいらっしゃらないと、静かですね。ルオン様はお寂しくないですか?」

 ソフィアに聞かれ、ルオンは自分の胸を指先でトントンと二回叩いた。それからソフィアを指さしてニコリと笑う。

「あら、私がいるから大丈夫だとおっしゃるんですか?」

 うなずくルオン。

「ルオン様は本当にいい子ですね……」

 ソフィアの声が少し残念そうだったのには気づいたが、ルオンはわざと何も気づいていないフリで笑みを浮かべた。

 本音を言えば寂しい。光を持つ者と祝福という関係のためか、セイザたちと離れるのは、いつもソフィアたちと離れるよりもずっと本能的な寂しさをもたらした。だがセイザたちが戦いに出ているということは、国内のどこかで魔物による被害が出ているという意味でもある。危険な中で戦っているセイザたちや、被害にあった人のことを考えれば、ルオンとしては、パルウム宮でぬくぬくと暮らしている自分が「寂しい」などとわがままを言えるはずもないと分かっていた。


「……」

 寂しかった。そして暇だった。暇だというのは、ぜいたくなものだと分かっていたが、それでも少しつまらなかった。ルオンは、遊び用の部屋に敷かれた厚手のラグの上にくまのぬいぐるみを抱えて寝転がり、目に見えぬものに向かってぼんやりと意識を集中させた。これは、魂の記憶で神殿にいた頃には毎日行っていた修練のひとつで、いわゆる瞑想ともよばれるものである。目には見えぬ力の流れを感じ、己の中にある力の流れと同化させたり、流れの向きを変えてみたりするのだ。これを繰り返すことで、使える力の量が増えたり、力の使い方が上手になったりする。

 祝福として生きることを決めて以来、ルオンはときおりこうして瞑想を行うようにしていた。魂の記憶を取り戻したときに、己の中に力があるのは気づいたが、同時にそれを上手く外に出せないことにも気づいていた。手足をほんの少し遠くに伸ばすような、身近で小さな範囲ならば使えるが、それ以上はまるで何かに閉じ込められているかのように、力が上手く流れていかないのである。以前のような力を取り戻すことに恐怖はあったが、祝福として生きるならば、できないよりはできたほうがいい。そう思って瞑想をはじめたのだ。

 昔の神殿では、瞑想は常に姿勢を正し、厳粛な雰囲気の中で行うものであったが、バイナによれば、姿勢はあまり関係ないらしい。魔法使いの基本の修練にも瞑想があるらしくバイナもよく瞑想をしている。しかしバイナは森の中で寝転がったり、お気に入りの茶の匂いをかぎながら瞑想にふけることも多かった。そんなわけでルオンは、今のように寝っ転がったり楽な姿勢で瞑想するようになっていた。


「……」

 己の中にある力は決して弱くはないが、相変わらず出口がない。それを確認してから、ルオンは周囲の力の流れに意識を集中させる。バイナがくれた護石の力、この宮殿を作るときに施されたらしい、建物そのものを守る力。外を流れていく風の力、育つ緑や小鳥の力。身近なところから、感じる範囲を少しずつ広げてみたり、気になったものをより細かく感じてみたり。

 と、そのときだ。不意にルオンの感覚が何かを捉えた。それはたとえるならば風に漂って流れてきた蜘蛛の糸のようなもの。細く繊細で、けれども触れた何かを捕まえようとしているような。それでいて、実際に蜘蛛の糸や巣に触れてしまったときのような不快感はない。

「?」

 ふしぎに思い、意識を向けるルオン。


―みつけた―


 その瞬間、何かがパシンとつながる感覚があった。かぎ縄が上手く対象物に引っかかるときのような、少し離れたところにあった磁石同士がパチリとくっつくときのような。ルオンの見えない目に、何かの光景が流れこんでくる。感覚が、五感がそちらに引っ張られる。


 はじめに見えたのは黒いモヤだった。それが自分を絡め取ろうと手足に巻き付いてくる。モヤが身体に触れると、焼け付くような痛みが走った。本能的な恐怖がわきあがる。これに捕らわれてしまったら、もう戻れなくなってしまう。モヤを振り払い、必死に逃げようとするがモヤがどんどん濃くなる。身体中が痛み、モヤに締め付けられて息ができなくなる。

 助けて!

 ルオンは喘いだ。遠くでソフィアの悲鳴が聞こえる。バタバタと足音がして、誰かが自分の身体を抱える。ヘンリーだろうか。見せられている光景は現実ではないと分かっていたが、流れ込んでくる感覚はあまりにもリアルだった。感覚を現実のほうに集中させたくても、まるでそれがしがみついてくるようで、上手く行かない。

 どうにもならない苦しさの中で、セイザたちに助けを求めなければと、それだけははっきりと分かった。



 気がついたとき、ルオンはどこかに寝かされていた。身体になじんだ毛布や枕の感触、微かに聞こえてくる空気の流れなどの音から、自分の部屋の自分のベッドの上なのだと分かる。ちょっとだけ頭を動かすと、よく知る感触が頰に触れた。いつものくまのぬいぐるみ。手を動かして、それを腕に抱える。

「ルオン様? 気がつかれましたか? ご気分はいかがですか?」

 すぐ横からソフィアの声がした。頭をなでてくれる、温かい手。

「……」

 ルオンはゆっくりと身体を起こした。あのときの痛みは、やはり現実ではなかったようで、もうどこも痛くはない。それでも、感じた恐怖はあまりにも強く、今もあのモヤが追いかけてきているような気がした。まるで熱いものに触れたあとに、皮膚がいつまでもヒリヒリと痛むときのようだ。

「今、お医者様を呼んでおりますからね。来てくださったら、すぐに診ていただきましょう」

 ソフィアはそう言ったが、ルオンには医師に診せてどうにかなる話でないことは、わかっていた。

「何かほしいものはございますか?」

 ソフィアがたずねる。優しくて安心する声。だからそれは、ほとんど無意識だったのだ。ルオンは、立てた左右の人差し指を胸の前で合わせ、それから胸の前で両手をぎゅっと握る。ソフィアが息を飲む気配がした。

「……そうですね、みなさまに会いたいですね」

 ソフィアの腕が伸びてきて、ルオンの身体を抱きしめる。あの瞬間、セイザたちに助けを求めなければならないと感じはしたけれど、実際、何に対してどうやって助けを求めたらいいのかもわからない。それでも彼らに会いたくて、そばにいてほしくて、どうしようもなくて、ルオンはソフィアの腕の中でただ震えながら涙を流した。


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