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第33話

 ルオンたちがオーリスに着くと、すでにセイザたちが到着していた。馬車から飛び出したルオンが、セイザたちに向かって走っていく。セイザとタクマ、バイナに順番に抱きしめられて、ルオンは久しぶりに心の底からほっとしたため息を漏らした。セイザたちが遠征に出てから会えていなかったことに加え、ここに来る道中、なぜか不安というか恐怖のようなものが湧き上がって、どうしても落ち着くことができなかったのである。バイナに出会ったときは、近づけば近づくほど落ち着いたのに、今回はその逆だったのだ。

「来る前に熱を出したそうだが、もう大丈夫なのか?」

 セイザに問われて、ルオンはニコリと笑ってうなずく。それから乗ってきた馬車を指した。

「たしかに馬車のが身体は楽だな」

 タクマがうなずく。そうこうしているうちにミハイルも馬車から降りてきて、セイザたちに対面する。軽いあいさつが済むとミハイルは言った。

「状況を教えてくれ」


 セイザたちがオーリスに着いたのは昨日の夕方だったらしい。訴えにあった通り、村の北の山は黒いモヤに包まれていた。

「あれは瘴気だもんで、村の人が近づかんかったのは正しい判断だったわ」

 魔法でも、ある程度の瘴気ならば対応可能だが、あの規模と濃さではどうにもならなかったとバイナは言った。

「黒い獣が出るのは夜です。村の人はそれが魔物を引き連れていると申しておりましたが……」

 そう述べたタクマがチラリとセイザを見る。うなずいたセイザがその後を引き継いだ。

「どちらかというと、魔物から逃げているような印象だった」

 セイザたちはすでに、昨夜のうちに黒い獣と対峙はしていた。しかしそれは、彼らが迎え撃とうとしても、セイザたちには全く構わなかったという。黒い獣は、剣を向けるセイザとタクマのそばを、ただ走り抜けて行ったのだ。結局彼らができたのは、それを追いかけていた魔物を数体、倒すだけだった。

「実際に黒い獣自体が村人を襲ったという話はないらしい。せいぜい、出会い頭にぶつかって転んだとかその程度だ。村の被害は全て、獣を追いかける群れからはぐれた魔物によるものだな」

 セイザがそう言ってミハイルに経緯を報告していたときだ、ふっと冷たい風が吹いてきた。夕刻が近づいているのだろう。

「大丈夫か? 冷えたりしてないか?」

 タクマがルオンの体温を確認するようにルオンの指に触れた。ルオンはニコリと笑って自分の胸もとを二回叩く。けれどもタクマはルオンを後ろから抱き込むようにして、己のマントでルオンの身体を包んだ。タクマがついでのようにルオンの頰をくすぐるものだから、ルオンがニコニコと笑いながらきゅっと首をすくめる。


 そのときだ。風に乗って、獣の吠えるような声が彼らの耳に届いた。

「おおぉぉん」

 それは狼の遠吠えに少し似ていた。

 ミハイルがセイザに向かってたずねる。

「これは、黒い獣とやらの声か?」

 うなずくセイザ。また声がする。

「……」

 ルオンがはっと顔をあげた。

「大丈夫だ、夜にならないと獣は出ないらしい」

 タクマがなだめるように言ったが、ルオンは首を傾けながら周囲の様子を探っている。そうして何度か獣の声を聞いたときだ、ルオンが人差し指で己の口元を指した。

「うん、そうだな。獣の声だ」

 セイザがうなずき、ルオンの頭をなでる。しかしルオンはフルフルと首を振り、再び己の口元を指す。

「村人が何か話してるのか?」

 セイザがたずねたが、ルオンは首を振った。その後ルオンはしばらく考え込む様子を見せたが、やがてタクマのマントの中に隠れてしまった。

「分かってやれなくて、すまん……」

 タクマが謝ると、タクマのマントがもぞもぞと動く。どうやらルオンが首を振ったようだった。


 どちらにしろ夜にならなければ獣は現れない。ミハイルは村長に会いに行くと言って彼らの元を離れ、セイザたちは夜に向けての準備に取り掛かった。村の片隅を借りて小さな野営地を用意する。その間も、また獣の声が風に乗って届く。

「……」

 ルオンはセイザたちの邪魔にならない場所にちょこんと座り、どこか落ち着かない様子で周囲の音に耳をかたむけていた。

 セイザ達と暮らしはじめてから二年。自分の気持ちや訴えを誰にも気に留めてもらえない日々は終わった。ソフィアが教えてくれた仕草によって、伝えたいことが伝わる喜びも知った。けれども最近は、この少ない仕草だけでは伝えきれないものが増えたようにも思う。セイザたちに何度も聞き返させてしまうのも申し訳ないし、こんなに恵まれた環境にあるのに、もっとちゃんと伝えたいと思ってしまう自分もイヤだった。

 そうはいっても、今ルオンが直面しているものは、セイザたちにも伝えておいたほうがいいだろう。今ならば、ミハイルもいない。

「……」

 ルオンは、ちょうど通りがかったセイザに向かって手を伸ばす。

「うん、どうした?」

「……」

 ルオンはふたたび己の口元を指さした。ルオンが何かを伝えたがっているのが分かったのだろう、タクマとバイナもなんとなくルオンの周りに集まってくる。

「声、言う、おしゃべり、言葉……」

 バイナが、ルオンの仕草が指すものを順番に並べていく。すると最後の「言葉」でルオンがコクコクとうなずいた。

「言葉?」

 タクマの確認にルオンが首をたてに振る。再び聞こえる獣の声。それに合わせるようにしてルオンが自分の口元を指す。

「……獣の声ではなく、何かの言葉に聞こえるのか?」

 セイザの言葉に、ルオンの顔がぱっと明るくなった。何度も繰り返しうなずくルオン。タクマがたずねる。

「何て言ってるか分かるか?」

「……」

 ルオンは少し考えてから右手を握り、左手でそれを後ろから押した。

「お手伝いかい?」

 バイナの言葉にルオンはふるふると首を振る。

「……」

 ルオンは同じ仕草を繰り返し、今度はその後に胸の前で手を組んで祈るような仕草を付け加えた。

「手伝ってください?」

 タクマが言うと、ルオンはちょっと首を傾げる。だいぶ近いらしい。しばらく考えたセイザがルオンに聞いた。

「……あの声が、助けを求めているのか?」

 勢いよくうなずくルオン。セイザたちは少しの間、互いに顔を見合わせた。

「まあルオンちゃんにしか感じれんものがあっても、不思議ではないもんで……」

 祝福として内なる光が見えるだけでなく、ルオンが常人よりもやや鋭い感覚を持っていることには、彼らはすでに気がついている。とはいえルオンが伝えたことは、漠然としていて、具体性に欠ける。

「何か他にも言ってるか?」

 タクマがたずねたが、ルオンは首を振るだけだった。


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