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第34話

 夜が来た。セイザとタクマ、バイナは、もう一度黒い獣と対峙するため、村の入り口近くに待機していた。今夜はセイザもタクマも馬にまたがっている。今回は黒い獣ではなく、獣を追う魔物を全て倒してみるつもりだったからだ。ルオンが伝えたのが獣の声であるならば、とりあえずは獣を助ける形で動いてみようということになったのだ。それで、黒い獣が走る速さに合わせて移動しながら、魔物を倒していく作戦になった。

 ルオンが言っていたことはミハイルには伝えていない。だがセイザが上手い具合に理由をつけて、ミハイルにこの作戦を伝えた。ミハイルは「試してみる価値はあるな」と、それを認めた。

 バイナはミハイルが連れて来た護衛騎士の馬に乗せてもらうことになった。バイナも馬には乗れるが、剣と魔法を併用する戦い方は、ただ剣を振るうよりも集中力が要る。そこに馬の操作まで加わってしまうと、なかなか難しいと判断したためだ。

 ミハイル自身と、ミハイルの護衛騎士の一部は、万が一の事態に備え、村人の警護や避難誘導などに回れるように村の集会所に待機している。役割がないルオンは、ヘンリーと共に村の片隅の野営地にいる。

「……」

 準備を確かめていたセイザは、バイナが考え込むような表情をしているのに気づいた。

「バイナ、どうかしたか?」

「うん? ……ああ、うん。何でもないもんで、気にしんで」

 ヒラヒラと手を振るバイナ。だがその表情はあまり冴えない。セイザがもう一度問い正そうとしたときだ。バイナが短く声を上げた。


「来るで」


 ひやりとした風が吹いた。


 おおおぉぉおん!


 狼の遠吠えによく似た声が一際大きく響き、山の方から黒い影が飛び出してくる。真っ黒い煙をまとったような、狼にも見えるそれ。セイザたちが来るまでも、そして昨夜も、あれは村の周りを回るように走り回っていた。セイザとタクマが馬の腹に拍車を当てる。駆け出す馬。一拍遅れて、バイナを乗せた馬も動き出す。


 二年という歳月は、彼らに共闘する仲間としてのまとまりを与えた。ごく自然に右利きのセイザが獣の左側に、ふだんは双剣を扱っているため、左手でも剣を扱えるバイナが右側に展開し、三人の中では最も力があるタクマが殿を引き受ける。


「はぁっ……!」


 セイザが馬上から剣を振るい、獣を追う犬のような魔物の一体を切り捨てる。はっとセイザに注意を向ける魔物の群れ。その隙にバイナの剣が別の魔物を切り捨てる。魔物たちも、セイザたちが自分たちを狙っていることに気づいたのだろう。獣を追うべきか、セイザたちを襲うべきか、一瞬の迷いが生じる。そこに後ろからタクマが追い上げてくる。


 乱れる魔物たちの統率。

 一部が黒い獣を追い、他の一部がセイザたちに向かってくる。


 セイザたちは獣から引き離されぬよう、馬で併走しつつ、向かってくる魔物たちを次々と倒していった。

「っ……!」

 大きく飛び上がってきた、ウサギのような姿の魔物に、バイナの馬を駆っていた騎士がグッと手綱を引く。急に変わった馬の進路に、バイナは一瞬バランスを崩しかけたが、騎士の腰を強くつかみ、すんでのところで落馬をまぬかれた。

「……」

 さすがに少し痛かったのだろう、わずかに強ばる騎士の身体。

「スマン」

 魔物たちを倒す合間、バイナが謝ると騎士は短く言った。

「私のことは構わなくて結構です」

 バイナは以前、騎士のそういう堅苦しさは苦手だった。けれどもセイザたちと触れあううちに、そういった表面的な態度の裏には、それぞれの個性や人格があることを知った。

「んじゃ頼りにさしてもらうわ」

 騎士の腰にしっかりと右手を回し、バイナは左手の剣を構え直した。


 ほどなくして、残る魔物の数も数体になった。

「あと少しだ……」

 魔物と戦ううちに、獣との距離がほんの少し離れてしまった。馬に拍車を当て、距離を詰めながらセイザが言う。倒した魔物の死骸を馬で跳び越えながらタクマがうなずいた。バイナの剣がひらめき、また一体、魔物が倒れる。


「……!!」


 何かを感じたバイナが山のほうを勢いよく振り返った。同時に、冷たい風が彼らの元に吹き付ける。バイナが乗せてもらっている馬が、ヒヒンといなないて竿立ちになり、セイザとタクマの馬が急に足を止める。


「離れろ!」


 バイナが叫び、馬の腹に踵を当てた。あわてて馬を制御する騎士。セイザとタクマも馬を駆り、獣から距離を取る。


 ざああぁぁっと、暴風が木々を揺らすような音がした。山の方から吹いてきた冷風が、黒い霧を運んでくる。

「瘴気だ、触れんほうがいい」

 黒い霧が黒い獣を包むように取り囲む。

 その中でう゛う゛……と低く唸る獣。

 獣がゴウッと吠えると、蜘蛛の子が散るように黒い霧が獣から離れた。


「……振り出しに戻るってやつかよ」

 苦々しく呟くタクマ。

 獣のまわりの魔物が増えていた。

 獣が再び走り出す。

「いやー、やっぱそうかんたんには行かんね」

 走り出した馬の背で、バイナがそうボヤいた。



 勇者たちの力が必要だからとオーリスに連れて来られはしたが、戦いについて、ルオンにできることはない。セイザたちが黒い獣を追っているころ、ルオンはヘンリーと共に野営地にいた。野営地には、ミハイルの護衛騎士も一人ついている。ルオンはセイザたちの無事を祈りつつ、ときおり届く獣の声と馬の蹄の音を聞いていた。しかし夜も遅くなったためだろう、いつの間にか浅い眠りに引き込まれていたようだ。


 ふと気づくとルオンの頰を風がなでていた。

 ああ、夢だ。とルオンは思う。

 身体の下に、青い毛並みがあるのが見える。

 視力を失う前に見た、夜明け前の空のような深い青。

 夢の中で、ルオンは青い獣の背に乗っていた。

 周囲の景色は見えないが、頰に当たる風の強さが、その速さを教えてくれる。


 わかるか?


 身体の下の獣がたずねる。


 うん。


 では来てくれ。


 どこに?


 だいじょうぶ、我が呼ぶ。お前にはそれがわかるはずだ。



 ふと目が覚めた。風が頰をなでていく。

「ルオン様!!」

 後ろのほうでヘンリーの声がする。

 そしてルオンは気づいた。自分が走っていることに。

 正直なところ、走るのはあまり得意ではない。というか、ほんの短い距離しか走ったことがない。だからあっという間に息が上がって、苦しくなった。でも急いでそこに行かなければならない。それだけは分かった。

 それに苦しいのは自分だけではない。だから今は、がんばらなければならない。

 つま先が、何かに引っかかってバランスを崩す。膝や手のひらを地面にぶつけて痛みを感じる。思わず少し泣きそうになったが、こんなものは以前に両親に殴られていた頃に比べれば何でもない。

 ルオンはぐっと地面を押して立ち上がった。そうして再び走り出した。


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