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第35話

 黒い獣を追う魔物を倒してみても、その数がある程度少なくなると、どこからか瘴気が魔物を運んで来る。そんなことが何回か続いた。

「キリがないな……」

 ボヤくタクマ。さすがのタクマも息が上がりつつある。

「これもあまり効果的ではないということか」

「……」

 セイザがふとバイナに目をやると、バイナは何かを考えるような顔をしていた。セイザの視線に気づいたバイナが顔を上げる。セイザが問うように首を傾げると、バイナは唸るような声を漏らした。

「んー……」

 そうして、山のほうにチラリと視線をやる。

「ずっと考えとったんだけど、これは大元から叩かんとアカンかなーって……」

 そうは言っても、山を取り囲む瘴気については、バイナ自身が「自分の手には負えない」と判断している。あの規模と濃さでは、高位神官を呼んだとしても浄化には数日がかかるだろう。


 どうするかと迷っていると、不意に黒い獣が進路を変えた。それまではずっと村の外側を走っていたものが、急に村の中に入り込み、メインの大通りを真っすぐに進んでいく。

「……っ!!」

 焦るセイザたち。獣自体は村人を襲う意志はないようだが、獣を追う魔物はそうでもない。その上、この通りの先には村の中心部がある。ミハイルから村長を通し、村人には建物の外に出ないよう伝えてもらっているが、人が多い方に行けば、それだけ予想外の事態が起こる可能性が高くなる。セイザたちは、どうにかして獣の足を食い止めようとしたが、獣は走る速度をさらに上げて、村の中央へと向かう。


 そしてついに彼らの目に、村の中央の広場が見えてきた。大きめの通りが二つ、直角に交差する真ん中。小規模な噴水と、集会場のある場所。


 その時だ、彼らもよく知る小柄な影が、広場に向かって駆け込んできた。ルオンだ。

「なっ……おい!!」

 ルオンは獣の前に飛び出すようにして足を止めると、まるで見えているかのように、真っすぐに彼らの方を振り返った。いや、正確には獣のほうに顔を向けた。


 間に合わない。


 黒い獣が、走ってきた勢いそのままにルオンにぶつかる。その瞬間、ルオンと獣の間に真紅の光が、まるで盾のような形に広がった。出会った頃にバイナが渡した護石が反応したのだ。紅い護石が、燃え尽きる花火のように輝きながら砕け散る。

 次は防げない。

 セイザたちに焦りが広がる中、ルオンが獣に向かって両手を伸ばした。すると獣は、よく馴らされた犬が飼い主に抱かれるかのように、ルオンの腕の中に収まった。ルオンの細い手が獣の首に回される。


 その瞬間、金色の光が獣の内側から溢れた。卵が孵るときのように、獣の黒い表皮が割れ、その隙間から光が漏れる。

 獣を追っていた魔物たちは、その光にひるんだように足を止めた。

「ルオン!」

 馬から飛び降りたセイザがルオンを獣から引き剥がそうとする。しかしそれをバイナが止めた。

「今、集中を切れさせたらアカン」

 バイナには、ルオンの力と獣を包み込む力がせめぎ合っているのが感じられていた。二年前、遺跡の中でセイザに浄化の力を使ったように、ルオンは獣に対して浄化の力を使っているのだ。ただ、あの時と違い、今のルオンは明らかに意識的にその力を使っている。しかもその力は、光となってセイザたちにも認識できるほどに大きい。バイナは魔法使いの本能として、その勝負をジャマしてはならぬと悟っていた。

 そうこうしているうちに、魔物たちにも、光の根源がルオンであることが感じられたらしい。魔物たちの目がルオンに向く。

 バイナは馬から下りると右手の剣も抜き、両手で剣を構えながら言った。

「引き離すのが必要だと感じたら合図する。それまではルオンちゃんを応援したって」

 もしもルオンの力が押し負けるなら、そのときには即座にルオンを守らなければならないだろう。そして、その力のバランスを感じ取れるのは、バイナだけだ。

 セイザは言った。

「魔物はできるだけ私たちが引き受ける。バイナはルオンの様子を気に掛けていてくれ」


 セイザたちに守られながら、ルオンの力と獣を包む力の押し合いは、しばらく続く。やがてバイナは、ルオンの力がまるで何かに後押しされるかのように大きく膨らむのを感じた。と同時に、獣の尾のあたりから、一際強く光が漏れ出す。

 そこは昨晩、獣を斬ろうとしたセイザの剣がかすめた場所だった。

 そこに力の綻びがある。

「セイザ! そこを切ってくれ!」

 セイザはバイナの言葉に、すぐに反応した。魔物を切って捨てた剣を振りかぶり、獣の尾に向かってそれを振り下ろす。


 ばぁっと風が渦巻いた。


 大きな革袋にパンパンに空気を詰めたものを、一気に押しつぶしたような感じだった。けれどもそれは、瘴気と魔物を運んできた風とは異なり、どこか温かさがあるものだった。

 巻き上がる砂埃に、思わず目をつぶるセイザたち。

 風が収まり、彼らは目を開ける。


 ルオンの腕の中にいたのは、青い狼だった。夜明け前の空の、黒が水色に変わっていくときのような深みのある青い毛。頭の高さはルオンより少しだけ低いくらいで、姿形は狼によく似ているが、国内にいる狼や、魔物の黒狼よりもずっと大きい。ルオンと同じ翡翠色の瞳は、夜の暗さの中でもキラキラと輝いている。

「世話になった」

 声が響いた。老成した賢者のような、それでいて若者のような張りを持った、不思議な声だった。青い獣がセイザたちを振り返る。それでセイザたちは、それが獣の声であると分かった。

「あとは我が……」

 そうしてそれは、残っていた魔物に飛びかかると、牙と爪であっという間にそれらを屠ってしまった。獣が正体を取り戻したためだろう、今度は瘴気が魔物を運んでくることはなかった。



「おかげで助かったぞ、小さいの」

 静けさが戻った広場、青い獣がルオンに頰をすり寄せる。

「うん、お前はルオンというのか」

 毛並みが心地よいのか、ルオンがニコニコと笑って獣の首回りの少し長い毛に顔を寄せる。

「ああ、そうだな。そこの若者がつけてくれた傷が役に立った」

 セイザを振り返る獣。

「お前たちにも礼を言おう。我がアレから逃げられたのは、お前たちのおかげだ」

 翡翠の瞳に見上げられ、セイザはあわてて答えた。

「いや、当然のことをしたまでだ」

「ははは、信念に忠実だな」

 獣が笑う。

 しかし剣を収めたタクマが、足音も荒く、ルオンの前に仁王立ちになった。その背中からは、隠しきれない怒りが滲み出ている。

「ルオン、なんで飛び出してきた! 危ねえだろ」

 ビクッと背中を跳ねさせるルオン。獣が、まるでルオンを守るかのように、タクマとルオンの間に立った。

「この子は悪くない。非難されるべきは我だ」

 ルオンは手を伸ばして獣を引き止めようとする。そんなルオンを獣が振り返る。

「よいのだ、悪いのはお前を呼んだ我だからな。……なに、こめかみグリグリ? それは少々困るな」

 その様子にセイザたちは顔を見合わせた。そうする間にも獣はルオンに話しかける。

「確かにそこの若者はお前を大切に思っているようだが……いや、だが事情はきちんと理解してもらうべきだ」

 タクマはルオンを叱ろうとしていたことも忘れ、獣に向かってたずねた。

「……お前、ルオンと話せるのか?」

 獣は何でもない顔で答えた。

「ああ、我にはちゃんと聞こえている」

 ちょうどその頃、ルオンを追いかけていたヘンリーがその場に駆け込んできた。そしてほぼ同時に、村の集会所から、ミハイルとその護衛騎士、それから村長が出てくる。

 獣の姿を目にした村長は身体を震わせながらその場に膝を折った。

「『夢を紡ぎし風』よ……ようこそ、おいでくださいました」


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