「次はバイナの番だな」
セイザとタクマが仕事に出ている昼間、ヴェルはバイナとルオンをパルウム宮の裏手の森に誘った。ヴェルがバイナにたずねる。
「バイナはルオンの状態をどう見ている? お主がどこまで感じているかを知るためにも、率直な意見を知りたい」
ヴェルに言われ、バイナはちらりとルオンを見た。構わないというように、うなずくルオン。バイナは少し迷ってから口を開く。
「ルオンちゃんの中には……とんでもない力がある。魔法使いや神官でも、ここまでの力を持っとる者は他に見たことがない。というか正直、あんまりにも違いすぎて比べもんにもならん」
それからバイナはもう一度ルオンのことを見た。
「ただ、なぜか力が全く外に出て来ん。身体が触れとると、少しばかり伝わるようだが……ふだんは、まるっきり力がない子と変わらんくらいだ。理由は自分には全くわからん」
バイナの言葉にヴェルがうなずいた。
「正確だな。やはりお主の力の使い方や感覚は、かなり精緻なようだ」
そうしてヴェルは、バイナに言う。
「お主は力の使い方は上手いが、正確に制御しようとしすぎている。そのせいで、自分の中の力を使い切れていない」
剣の鍛錬などと同じで、自らの力のギリギリまで使うことで伸びていく力もある。しかしバイナはそれができていないのだとヴェルは言った。
「だから、ルオンの中にある神聖力を借りて練習をしてみるといい」
「ぇ……」
さすがにギョッと目を剥くバイナ。ルオンもさすがに少しおどろいた顔をしている。
「これはルオンにも、いい訓練になるはずだ」
ヴェルに言われ、ルオンはややあってからうなずいた。
「じゃあ、やってみよか……」
セイザのときと同じように、向かい合って座り、ルオンはバイナと手をつないだ。セイザのときとは異なり、すぐに互いが互いの力を感じ合う。
「まずはバイナ、ルオンの神聖力をしっかりと感じてみろ。大きさを正確に把握するんだ」
横からヴェルが言う。ルオンはバイナが己の力を探りやすいよう、己の中を解放した。バイナの力がためらいがちにルオンの力に触れる。熱をなだめてくれたときのように、表面だけを浅く撫でるのではない。己の中を触れられる感覚。
実はこれは、非常に無防備な状態だ。もしもバイナがこの状態でルオンに攻撃をしようとすれば、かなり危険なことになるだろう。だがバイナならば信頼できるし、そばにはヴェルもいてくれる。それに魔力や神聖力の鍛錬という意味では、それほどめずらしい行為でもない。だからルオンは何の心配もせずに己の中をバイナに明け渡した。
が……。
「ちょ……まって」
バイナが急に声を上げて、ルオンから手を離した。首を傾げるルオン。
「どうした?」
ヴェルが問うと、バイナはブンブンと激しく首を振った。
「こんなん無理だって」
バイナの額には冷たい汗が浮かんでいる。ルオンの力を正確に捉えようとした途端、底も果ても見えぬものを前に強い恐怖を覚えたのだ。たとえるならば、大海のど真ん中に一人で落とされたような、そんな心境だ。完全に及び腰になったバイナをヴェルが鼻で笑う。
「お主の問題は、まさにそこだ。大きな力に対して恐怖を感じすぎる」
「……」
眉を寄せるバイナ。ヴェルのキラキラと輝く翡翠の瞳が、真っすぐにバイナを射貫いた。
「お主の中にある力は、決して小さくはない。古の魔法使いにも、お主ほどの力の持ち主は少なかった」
「そんなことは……」
バイナは誤魔化すように乾いた笑いを浮かべたが、ヴェルはそれを無視する。
「恐れさえしなければ、お前の力はまだまだ大きくなるだろう」
その言葉に、バイナはぐっと奥歯を嚙み締めた。ルオンの手が、気遣うようにバイナの手に重なる。バイナはただあいまいな笑みを浮かべてルオンの手を握り返した。
その後、バイナは何度かルオンの力を探ろうとしたが、やはり途中で恐怖に襲われて中断するというのを繰り返した。
「本当はルオンの力を借りて、本来持っている力以上の力を使う練習もしたかったのだが……もう少し時間が必要そうだな」
「……」
バイナはまるで苦いものでも舐めたような表情をした。
その日の夜、バイナがヴェルに話しかけた。
「少しだけええか?」
それはヴェルと二人だけで話をしたいという意味だった。許可をするようにルオンがうなずく。
バイナはヴェルをパルウム宮の自室に招いた。タクマと同じような、元は客間だった部屋だ。
「ルオンちゃんについて聞きたいことがある」
ライティングデスクの椅子に腰を下ろし、そう切り出すバイナ。ヴェルはバイナの前に座り込んでバイナを見上げた。バイナが言葉を選ぶように、わずかな間を開けて言う。
「率直に聞くわ。……ルオンちゃん、あの子は何者なんだ?」
ヴェルの耳がパタリと揺れた。まるで質問の真意を問うような表情。うながされるようにしてバイナは言葉を続ける。
「何もかもがチグハグだ。……あんな大きな力を持っとるのに、力は一切外に出て来ん。それなのに力の使い方は、よう知っとる。それこそ達者な魔法使い並だ。……力がある故の才能みたいなもんかと思っとったこともあったが、それで説明がつく範囲をさすがに超えとる。……あの子は、力を使えてた経験があるんじゃないか?」
ヴェルはしばらく黙っていたが、やがてため息と共に言った。
「……やはりお主の感覚は精緻だな」
バイナは、ヴェルがバイナの言葉を何一つ否定していないことに気づいた。それはつまり、バイナの予想が当たっていたことを意味する。だが、そうなると二つの疑問が残った。なぜルオンはセイザたちに出会うまで、神殿などに見出されず暮らしていたのか。そしてなぜ今は力が使えないのか。
しかしそれを口にする前にヴェルが言った。
「ルオンには少々根深い事情がある。ルオン自身も自覚している部分もあるが、無意識な部分もある。我はルオンの事情を知っているが、ルオンが語ろうとしない以上、お主に伝えることはできぬ」
「そっか……まあそうだよな」
ため息をついてしばらく考えると、バイナは別の質問を口にした。
「そういえばアンタは、ルオンちゃんの力を神聖力って言っとったけど、それは神官たちのいう光の力とはどう違うんだ? 自分にはあまり差がないように思えるんだが」
ヴェルはそれに対し、実にあっさりと答えた。
「同じものだ」
水たまりが池になり、湖になるように、そこにある力の大きさでよびかたが変わるのだと、ヴェルは語った。
「どこからを神聖力とよぶかの境界はない。……強いて言うならば、普通の者ならば恐怖を覚えるほど、と言えばよいか? お主のようにな」