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修道院の女

 冷たい風が、朽木の間を抜け草木を揺らしている。

 黒い三日月が地上に静かな闇を広げていた。


 目の前には、四散したオーガの屍がある。


 俺は、確か…


 オーガにやられたはずだ。

 その前も、モンクのロジェにやられた。

 そして炎に焼かれ、浄化に消された。

 生き返って、黄泉がえっているのか?

 しかし、何故…あの痩せた男か?

 以前にも声が。

 どこかで聞いたような…

 …

 まあよいだろう。そのうちに思い出すかもしれない。



 思考はクリアだ。

 俺はかつて、人間であった記憶の断片がある。

 今は生者ではなくアンデッドだ。

 冷たい骨が軋む「スケルトン」だ。

 アンデッドであるからには「生者を憎む」任務を全うしなければならない。

 …

「そうなのか?」と疑念が浮かんだが、すぐに消えた。

 責務を全うするために、生者を探しに俺は歩き出した。


 村とも言えない、ボロ板を並べただけの集落を襲う。

 男が一人、農具を構えた。無駄だ。ロジェの動き。今なら再現できる。瞬く間に、それだけだ。

 八人の村人を屠り、俺は村を後にする。



 さらなる生者を探していたが、俺は「黒く映る人影」を見つけ、近付いた。

 やはりゾンビだった。

 ゾンビは十人ほどか。

 なにかを求めるように、虚空を探りながら列を成して彷徨う。それだけだ。

 俺に気付いているのか、どうなのかはわからなかった。

 しかし、眼前に立つと、胸の黒いモヤに触れていた。

 鈍重な動きだが、俺についてくるような素振りを見せている。

 ただ、漠然とついてくるようで、相変わらず意志の疎通はできない。

 俺の胸の黒いモヤに惹かれて、かもしれない。



 俺はゾンビを気にせずに進む。奴らは遅すぎる。

 ガケの上に赤い影が集まっている。

 それに白い光が天に伸びている。

 しかし、そんなものはどうでもいい。

 おれは…私は赤い景色の中に蠢く赤い影に惹かれて動く。


 そこにたどり着いたものは、皆、青い光がにじみ出ている。

 あのモンクや導師のように。だが小さく、燃えるように天には伸びていない。

 しかし、その滲む青い色に、強い憎しみを覚える。

「奴らにやられたから」だけではない、生理的とも言える嫌悪感。

 ここには私と同じ女しかいない。

 あの紋章、修道女の修行地か。

 逃げ惑う青く赤い女を追うが、奴らは全員、白く光る建物に逃げ込んだ。


 薄く白い膜で覆われているように見える。

 しかし、ドアに触れると蝕まれる感覚が走る。

 手を見ると、触れた部分の骨が溶けたように無くなっている。

 カッとなりドアを叩くが、弾かれる。

 ドアの前に赤い女が見える。


「不浄なる者よ。ディクト様の守りがあるこの地から立ち去れ」

 ドアの向こうの声の後、私の体は大きく弾かれ、転がり後方の木に激突して止まる。

 いまいましい。

 あの時と同じように私を見下し、ばかにする神殿の女ども!

 怒りに震え、立ち上がるその横を、ゾンビが通る。

 先頭を行くゾンビは、ドアの前に立つ女が見えているのだろう。

 普段の鈍重な動きとは一変し、うめきながら走りドアに突撃をする。


 …

 頭からドアに突っ込んだゾンビの上半身は白い光に包まれ消えた。

 残った下半身は、思い出したかのように、少し時間をおいてから倒れた。

 浄化か…あの女どもめ…必ず殺す…

 黒いモヤは私の逆鱗に呼応するように胸の中で渦巻く。


 ドアに向かい突進する。黒いモヤが肩から腕へと渦巻き、ドアに触れると、鈍い音を立てて木の枠ごと吹き飛んだ。

 中では、一人の老女が床に跪き、祈りを捧げていた。

 その顔に浮かぶ驚愕の表情を見た瞬間、胸の奥に歓喜が湧き上がる。


 その顔が見たかった――そして、砕きたかったのだ


 揃えた骨の指先が、一直線にその顔を貫いた。

 鼻を突き抜け、頭蓋骨を砕き、脳に達したはずだ。


 いたぶりたかったのに

 そう思ったが、怒りとは違う「何か」に動かされるように、私は奥の両開扉を開ける。

 ゾンビたちも後を追ってきているようだ。



 黒い霧が広がる

 胸の奥が軋む

 視界が赤く黒く沈む

 気づけば、礼拝堂

 祈る者たち

 赤い影

 突き刺さる音

 何度も、何度も


 待ってよ


 だが止まらない



 礼拝堂の中央に立ち尽くしていた私は、散っていた意識が集まり、体の制御を取り戻す。

 長い時間、水中に潜り、水面から顔を出して呼吸をした。

 そんな感覚だった。

 その時には全てが終わっていた。


 いまいましい修道の女どもは皆、潰えた。

 祈りの声も、見下す目も、今は無い。

 全てのゾンビたちも動いていない。

 修道女の白い服は一様に赤い大きなシミを広げている。

 これで、あの時の私の気分も少しは晴れるでしょう。

 昔から、私を見下すように見ていたこいつらが大嫌いだったのだ。


 私は神殿に…でも…まだ…

 …

 私は…私は…

 女…だったはず


 違う

 俺は…私…は


 静寂に包まれる礼拝堂で、俺はしばらく立ち尽くしていた。

 ステンドグラスからは黒い月が静かに影を落とす。

 崩れ落ちたゾンビたちの無残な姿が足元に広がる。

 散らばった死体の間に微かな風が流れ、静寂がそれを呑み込んでいった。

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