「デュラハンは来ない」
俺とエッジはカールの屋敷に戻り、そう報告をした。
一瞬、カールの目がキラリと赤く光ったが「そうか」と言った返答だけだった。
理由すら聞かない。
大きな机と一つの椅子だけの部屋。
書斎とも会議室とも呼べなくはない部屋で、報告をしていた。
室内は椅子に掛けるカールと、その背後に立つセミョン、そして俺たち二人。ヌイグとナディアはいない。
俺たち四人は赤い紐でつながっているが、カールの思考はまったく読めない。
だが、俺とエッジの思考も、もう読めてはいないだろう。
「いかがしましょうか?時間的にも後二か所か三か所が限界かと」
「そうだな。お前達が選ぶか?北か南にしよう」
ニヤニヤと俺たちを見つめるカール。
俺が「どちらでもよい」と言おうとしたのだが、エッジが遮る。
「北と南、どちらが強い?」
「くくく。総合的に南だな」
「よし、では南だ」
次は南に行く事に決まったようだ。
俺たちはまた、夜の森にいる。
セミョンを先頭に、漆黒の森を歩いている。
「セミョンよ。ここは前の転移陣に向かっているのではないのか?」
俺はセミョンの肩に触れ、そう伝える。
「転移陣は、ある地域に密集している場合もあるようです。理由は、わかりかねますが。今日は少し先の洞窟の中です」
森の中にある巨石をセミョンは押しのけた。
生身の人間が動かせるサイズではないが、簡単に動かし息も切れていない。
巨石の下には空洞があった。
「この奥になります。少し狭いですが」
かがんで進むと、立ち上がれる空洞に出た。
高さは二メートルもないだろう。
そして空洞の広さは楕円形で半径三メートルと言ったところか。
広くはない。
「ここでしたら見送りもできますが」
畏まるセミョンに言い放つ。
「不要だ。去れ」
「では、屋敷で待っています。次こそは吉報を」
また笑顔で去っていくセミョンの後ろ姿を睨む。
「やつはやはり強者だな、エッジ」
「ああ、早く殺し合いたいぜ」
空洞の中央で待っていると、足元が光り出す。
七色の幾何学模様が宙に浮き、俺たちを包んでいた。
その一つに触れようと手を伸ばした時に、白い光に包まれた。
転送先も洞穴の中のようだった。
出口は無いみたいだ。
暗く狭い空間にいると、安らぎを感じる。
閉じ込められたか、まあそれもいいか。
そう思ったが、天井から僅かに漏れている光。
光の部分に指を差し込み、力を籠めると横にずれる。
石板で蓋をしていたようだ。
外は丘陵地帯の草原のようだ。
風に靡く草原の草が大きな生き物のように見える。
一斉に動き、朝日を照り返す背丈ほどの草。
丘が多く、視界は遮られるが、遠くに大きな山や深い森も見える。
「ここには石畳などないな。さて、どちらに向かうか」
エッジもあたりをゆっくりと見まわしている。
「向こうには生者の気配だな」
エッジが差す方向は平原のようだ。
なら、反対方向か。
「あちら側は生者の反応がないな、不自然だ。行こう」
生者、生体の反応が無い方に向かっていくと湿地になっていた。
浅いぬかるみを進んでいくと、奇妙なゾンビがいる。
皮膚がピンクや緑に変色しており、顔や体からキノコやシダを生やしている。
なんだあれは。しかし、俺にはそのシダ植物に見覚えがある。
「毒草だ。この湿地もよく見れば毒草が多い」
湿地をさらに進む。
同じような変色し、植物を生やしたゾンビ数体に遭遇する。ゾンビたちは皆、俺たちに無反応だ。
そして、湿地の水の色も鮮やかな色合いを見せる。所々ピンクや緑、赤や青にもなっている。
空気もわずかに黄色になった。
そして、大きな石柱が見えた。
石柱の周りには、腰丈よりも深い沼が広がっている。
沼の中央に島があり、そこに石柱が立っている。
その根本には降る階段が、ぽっかりと真っ暗な口を開けている。
俺とエッジは島に渡り、階段を下る。
おそらくだが、ここに生者は来れないのであろう。空気も水も致死量の毒だ。
わずかに適応できた植物や昆虫などが生存する事を許される。そんな場所。
長い下り階段を降りると、石で囲われた通路になっている。
階段も通路も二人並べるかどうかという程度の広さだった。
通路の左右に扉のない部屋があるが、無人だ。
石でできた丸椅子が一つあるだけのがらんとした部屋だった。
しかし、感じるぞ。この先に生者ではない何かがいる。強い何か。
突如、通路の前にソイツは現れた。
元の色は何色かわからない、黒く、赤い薄汚れたボロボロの長いローブを引きずり、大腿骨のような骨を持った存在。
かろうじて肉がついているが、骨に皮を貼り付けただけの青白い顔。わずかな頭髪。黄色く変色した目。同じく黄ばんだ歯をむき出し笑う。
俺はその姿に驚愕した。なんだ、この違和感は。大気が歪んでいるのか、近くに見えて遠くにも見える。視線を前後左右、上下からも感じる。
「かっかっか。こちらの客は久方ぶりじゃ。時の忘れ物よ」
なんなんだ、こいつは。そう思う俺を押しのけ、エッジが飛び出した。
既に二刀を抜き放ち、弾丸のように目の前の存在に向かう。
「待て、ヤツは異常だ」
エッジは目にもとまらぬ速さだったが、横の壁面にとらえられていた。
壁が動いたのか、エッジが壁に向かったのか。
空間が歪んだように感じたが…正確には全く理解できん。
体のところどころが壁に埋まり、一部が壁から出ている。石の壁のオブジェのように、一体化しているのか?ヤツに一直線に突撃したはずだ。
壁に埋まってなお、エッジはシミターを振るう。
僅かに壁から出ている二本の指で、持ったシミターが旋回し、石の壁に当たるが弾かれていた。
「身に修羅を宿し、炎を躍らせるのか。ええのう」
壁に囚われたエッジに近づき、エッジの顔を見上げて頷く。
エッジはヤツのその顔を噛みつこうと歯を鳴らすが、届かない。
そして、ヤツは俺の方を向く。
「おぬしは…そうか、あの時の」
「なんだ?お前は俺を知っているのか?」
俺はヤツの肩を掴んだ。掴んだつもりだった。
「かっか。知らぬとも。明日になれば知っておるやもしれん」
背後から声をかけられた。振り返る。
「お前はなんだ?何故会話できるのだ?」
先ほど感じた驚愕や怒りも霧散し、気持ちが平坦になっていく。
「おるだろう?触れて。お主ら」
俺はコイツを見て、エッジを見る。
エッジの声は聞こえない。
「む?仕方ないな。そう騒ぐな」
そう言うと、コイツは手に持った骨でコンコンと石壁を叩く。
「放せ!俺と戦え!こんなことで負けと認めぬぞ!俺を砕け!」
エッジの声が頭に響いてきた。
そんな
コイツは
この空間は
「お主、やはり」
俺の顔を見てニヤリと黄色い歯を見せる。
この空間がやつの領域なのだ。
石壁がそうなのか、大気すらもなのかは不明だが、既に俺たちはヤツに触れている。囚われている。
悟ってしまった
勝てない、と
カールやその仲間たちならば、戦うことができる。
だが、コイツとは戦う事すらできない。
そもそも、ここに侵入した時点で『負け』なのだ。
「兄弟!お前の黒い力なら!俺を解放してくれ!」
エッジが叫ぶ。しかし、静かな声が響く。
「やめておけ。その力は制限がある。だいたいコントロールできないじゃろ」
「お前は、そうか。リッチ…エルダーリッチとかそう呼ばれるものか?」
「生者たちにはそう呼ばれているな。お前は名前が…そうか」
俺は焦燥に駆られる。
「お前は何を知っているんだ?教えてくれ。俺はなんだ?」
リッチは笑った。
「かっか。あの時を下ればわかる。ワシは『ルー』だ。アイツはエッジか」
これが、俺とリッチのルーとの出会いだった。