元勇者のマーティンは近隣の中核都市を目指した。
辺境の湖畔に居住していたが、向かう都市はそれほど都会では無い。
聖王都まで直通で行く馬車はない。
そもそも、1日で王都までは辿り着かない距離だ。
マーティンの目指す都市は、聖王国の東部に位置し、深い森を含む山脈が北部から伸びている。
山々の向こうは、聖王国領土では無い。
山岳や森林には、いくつかの先住民たちの集落があり、聖王国は領土を主張しているが、山の向こうの炎の国と言われる国も、彼ら先住民の自治権を黙認し、侵略することはなかった。
だが、今代の聖女にキアラが就任し、ディクト教の布教を強めた。
自領内の他宗教を弾劾する程度、今にして思えば、かわいいものであった。
辺境の先住民が信仰する、土着宗教や自然信仰などにも改宗を迫り、またたくまに武力による制圧が始まった。
マーティンは勇者となり、キアラの行動はわからなかった。
いや、考えや行動は、理解はできた。だからこそ、目を背けたかった。
何故、軍を再編して地方へ散らしていたのか。
新規に取り立てた大量の兵士は、何のためのものだったのか。
聖女ははじめから、他国との戦争を想定して準備を進めていたのだ。
無難な国家関係を壊してまでも、争う必要があるのか?
自分たちの信じる神のために、今ある平穏な生活を捨てる事を強要する信仰は、本当に正しいのか?
いや、もう僕には関係のない事だ。
聖王国の勇者をやめた、僕には…
だけど、僕はこの国の兵士だ。
だから、この地域の司令部に報告しなければ。
強力なアンデッドの出現と、僕のいた湖畔の村の崩壊を…
マーティンは都市内の軍の窓口に赴き、司令部に直接報告させて欲しいと伝えた。
・・・
勇者はそこそこ大きな街に入ったようだ。
低い城壁に囲まれた都市。
自然環境が少なく、ここではドライアド・ビュルの力も十全に発揮できないだろう。
どうするか
とにかく周囲を探索していこう。
今の俺とビュルの力ならば、あの都市一つ単独で制圧できそうな気もする。
しかし、それではダメだ。
もっと、ジワジワと勇者を追い詰めるようにしなければ。
生者や勇者と妖精の探知に入らないように、かなり離れた場所をうろつく。
森や山は近い。
この環境ならば、ビュルの力も存分に発揮できるか。
そう思って山間部に入ると、予想外の物を発見した。
みたことがあるような石積がある。しかも複数。
ストーンバックだ。
ビュルに確認を取ったが、間違いない。
これを勇者のいる街に向かわせることができれば、面白いのではないか。
ヤツは、以前装備していた武装ではない。大きく戦力を落としている。
しかし、冒険者や兵士たちの力も軽くみることはできない。
つい先日も、ドワーフたちに痛い目を見せられている。
しかし
一番の問題なのだが、ストーンバックを誘導できるのか。
「ビュル、ストーンバックと会話はできないのか」
「…申し訳ありません。前回の行動から分析して誘導できる可能性はあります」
「そうか。前回のヤツは何故か懐いているような感じだったが、これらは別もの、なのだよな?」
俺にはまったく区別のつかない石積だったが、ビュルは確信をもって答える。
「全て別個体ですね。深い休眠に入っている個体もあるようなので、ケイ様の呼びかけに答えるものは何体いるのか不明です」
「そうか。しかし、呼びかけて答える…」
「待ってください!山の精が来ます!」
咄嗟に構えると、隣には枯れ葉で人型を象ったビュルが並び立った。
少しだけ地面が揺れ、振動が頭蓋骨の中に伝わった。
「何用だ、森の精よ」
周囲には漠然とした気配はあるが、これといった強い個体の気配はない。
なるほど、最初期に見たビュルのように、実体は決まっていないのだな。
しかし、精霊は潜在的に敵だ。
俺は声を出さず、思考をビュルに送る。
「任せる。敵対したら、その時だ。生者の味方ならば、討つぞ」
「わかりました。お任せください。おそらく戦闘は回避できます」
・・・
「ほう、貴様はそのスケルトンについていくのか。それも悪くはないだろう」
地の精霊は振動で言葉を伝えるので聞き取りずらいが、内容は理解できた。
「はい。我が主は、あの街に入り込んだ人間を討ちたいのです。手を貸してほしいとは申しません。邪魔だけはしないでいただきたいのです」
ビュルは枯れ葉の体で身振り手振りも交えて、地面に向かって話している。
石積の一つが首の無いような人型に変わり、俺とビュルの前に立った。
「スケルトン、お主。我が眷属に施しをくれたようだな。それと、山の民も助けた。ワシは山に帰依するもの味方だ。生者や人間全てではない。返すと約束するのなら、この体を貸そう。礼じゃ。まあ勝手に返してもらうがな」
俺は押し黙る。
おそらく、過去にあった山岳民との共闘や、ストーンバックの前に投げた石の事だろうが…精霊に礼をされるような事をしているのか、俺は。
「感謝します」
ビュルはストーンバックに向かって頭を下げる。
「では、ワシはまた眠るとしよう」
山の精霊はさったようだ。
「ばー」
ストーンバックは俺の眼前に来て、重低音の声を出した。挨拶か?
俺は軽くその岩の体を叩いて、手を上げた。
ストーンバックは岩の体を軋ませながら、ゆっくりと万歳の姿勢で固まる。
「大丈夫なんだよな、ビュル」
「た、多分」
ビュルは枯れ葉の体を散らしながら答えた。
人間の街にさえたどり着ければ、勝手に暴走してくれるだろう。
「移動しよう。お前、言葉は理解できるのか?」
万歳の姿勢で固まっているストーンバックに声を掛ける。
ゆっくりとだが、地面に手をついた。
…
そして、ぴくりとも動かない。
「ビュル。ヤツは任せる。ダメな時は諦める。周囲の地形を探るぞ」
そうして歩きだし、しばらくすると背後から声が聞こえた。
「お、おまえーついていくー」
何故か二体のストーンバックが付いてきた。
「ケイ様、そこに落ちている石を拾って右手で握ってください」
一度拾った石を与えるのか?
ビュルの事だから、何か考えがあるのだろう。
俺は石を拾い上げ、握る。
僅かに石が緑色になった。薄くだが苔が生えたようだ。
「これを後から来た個体に与えてください」
どれが後から来た個体なのか不明だが、ビュルの指示通りに与えると、ストーンバックは胸の口に石を放り込んでいた。
「うまくいくかどうか自信はありません。これでしばらくは追従してくれると思われます」
周囲の地形を探り、勇者を追い詰める計画を立てていく。
「ストーンバック二体いれば、あの程度の人間の街などたやすく陥落できるのではないですか?」
ビュルの言はもっともだ。
確かに、すぐに攻め込んで勇者の苦痛にあえぐ顔を見たい。
しかし…
「少し、安心させてやったほうが、絶望した時の衝撃が大きいはずだ」
「そうなのですか。わたくしには人間の気持ちはよくわかりませんが、ケイ様がそういうのでしたら、間違いはないでしょう」
俺の言う事は、そこまで正確ではないが、妙案を思いついた。
「山の精には悪いが、一体は人間に倒させてもいいかもしれん。しかし…」
今のところ、大人しく後をついてきているストーンバック二体だが、俺の想定通りに動いてくれるだろうか。
こいつらの行動は理解不能だ。
だが、そんなことはどうでもよくなってきた。
森の中、木々の隙間から見える黒い月を見上げる。
薄雲を被った月は、淡い光を落とし、静かに佇んでいる。
「黒い月よ。我が友エッジ、そしてカールよ。勇者を、聖女を苦痛にあえがせて見せる。必ず…」
真っ赤に燃え上がる視界でも、黒い月は赤く染まらない。
黒い月を睨みあげ、復讐を誓う。