勇者は都市から逃げ、辺境を目指し、渓谷を抜け、山間にこもった。
都市は生者同士の争いで崩壊した。
山間部では、いくつかの集落があったが、そのいくつかで物資を仕入れるだけで滞在はしていない。
そして、既に人がおらず、崩壊している集落の跡地に潜んでいる。
しばらく、この辺りで様子を見るか。
束の間の安心感を与えたほうが、絶望も大きいはずだ。
また、いつ、襲撃にあうか。そういった心理状態に陥っていれば、ジワジワと心を蝕む。
眠らなければならないし、食事もとらないといけない勇者よ。
持久戦になれば、俺の有利は明白だ。
だが、ドライアドのビュルから、想定していない情報をもたらされた。
「この奥地にエルフがいます。それなりの集落を形成しているようです」
エルフか。
連中は、勇者に協力し、俺と敵対するだろう。
生者は皆、敵だ。
しかし、ビュルは続ける。
「現代のエルフたちは排他的です。エルフの血を引くもの以外は受け入れないでしょう」
俺の狙いは勇者だ。
エルフの方から俺に接近しない限りは、放置でいいかもしれん。
そうして勇者の潜伏先を中心に、遠巻きに地形を確認し、作戦を練る。
他の人がいないと、勇者の絶望は引き出せないか。
山から追い立て、人の多い地域に誘導させるか。
そんな事を考えながら、山間の森を徘徊していると、朽ちた小屋を発見した。
狩人の仮住居かなにかだろうが、木造の小屋は屋根にも壁にも穴があいている。
人が使用しなくなり、久しいはずだ。
だが、小屋の周囲は整然としている。
下草が刈られ、踏み固められた地表。積まれた新しい薪。煙突から昇る煙。
「何か」がいる。
そして、俺の視界は赤くならない。
これは、何を意味している。
足音や気配を消し、小屋に近づく。
黒い影が、小屋の板越しに見える。
この影は、アンデッドだ。ゾンビか?
敵対するのならば、倒すまでだ。
俺は朽ちたドアを蹴破り、室内を見る。
一室しかない、小さな小屋の中、そいつは椅子に座っていた。
そして、立ち上がり俺の前に立った。
身長は俺の胸ほどしかないが、分厚く筋骨隆々の体つきをしている。
ドワーフか。
「よくぞ、来てくださった。スケルトンの戦士よ」
俺は答えない。
僅かに腰を落とし、すぐに反応できるように心がける。
ビュルにも罠や周囲を警戒するように伝える。
「そう、身構えないでいただきたい。ワシは弱い。少しお話ししませんか」
室内に招くような身振りをした。
コイツの名前は「ヒャルマー」
かつては近隣のドワーフの国の王家に繋がる者だったらしい。
百年ほど前に、そのドワーフの住処はエルフと人間、ノームの連合に滅ぼされてしまったというのだ。
「今ではエルフどもに、かの地は占拠されてしまっているのです。非力なワシ一人ではどうすることもできず、困っていたのです」
神妙な面持ちで語るが、俺は全く信用していない。
椅子も進められたが、いつでも対応できるように、立ったままだ。
「お前はなんだ?死んでいるのではないのか?何故、見た目が『生者』のようなのだ?」
コイツは赤く見えないから、生者ではない。怒りも湧いてこない。
しかし、見た目には張りのある皮膚があり、みずみずしい眼球と唇を持ち、ヒゲを蓄えている。
袖の無いシャツの腕には筋肉の隆起がはっきりと見え、血も通っているように見える。
「たまに、冒険者にエルフたちの調査を依頼しているのです。奪還の為に兵を雇うのならば、金銭も必要ですし。その為に、こうして生者の姿を模しているのです」
興味を失った俺は、もう立ち去る事にした。
振り返り、小屋の入口に向かう。
その眼前で、コイツはひれ伏した。
「お待ちください。貴公は強者とお見受けします。こちらに向かってくる姿を視ずとも、その気配は感じました。どうか、力をお貸しできませんか?」
俺は無言で、ひれ伏すドワーフを蹴り、壁際に寄せる。
そして、小屋から出ていこうとするが、ドワーフは足首を掴む。
「お待ちを。エルフを、生者を共に討ちませぬか!」
一瞬、ヴァンパイアのカール達と共に、生者の街を襲撃した景色が脳裏に浮かんだ。
そして、その後に崩壊していくカールとエッジの姿。
生者を討つ事自体は、悪くはない。
ひれ伏すドワーフの、生きているような髪の毛を無造作につかみ立たせる。
そして、その頬を両手で挟み込むように掴む。
「な、なにを…」
動揺するドワーフを無視して、掴む手に力を籠める。
こいつ…
俺の中に、カールからもらった「思考を伝達する力」は残っている。
たしかに、このドワーフ「ヒャルマー」はエルフに強い恨みを持っている。
領土を奪還したいというのも嘘ではないようだ。
しかし、「このスケルトンを利用して、こき使ってやる。低能なスケルトンごときが」という思考が強い。
「くっくっく。ヒャルマーよ。低能なスケルトンとお前、どちらが強いか戦おう」
俺はヒャルマーの顔を蹴り上げる。
生者ならば即死だろう角度に首が折れ曲がったが、ヒャルマーは俊敏に距離を取って立ち上がった。